使徒の働き 16章11~24節
"私たちはトロアスから船出して、サモトラケに直航し、翌日ネアポリスに着いた。
そこからピリピに行った。この町はマケドニアのこの地方の主要な町で、植民都市であった。私たちはこの町に数日滞在した。
そして安息日に、私たちは町の門の外に出て、祈り場があると思われた川岸に行き、そこに腰を下ろして、集まって来た女たちに話をした。
リディアという名の女の人が聞いていた。ティアティラ市の紫布の商人で、神を敬う人であった。主は彼女の心を開いて、パウロの語ることに心を留めるようにされた。
そして、彼女とその家族の者たちがバプテスマを受けたとき、彼女は「私が主を信じる者だとお思いでしたら、私の家に来てお泊まりください」と懇願し、無理やり私たちにそうさせた。
さて、祈り場に行く途中のことであった。私たちは占いの霊につかれた若い女奴隷に出会った。この女は占いをして、主人たちに多くの利益を得させていた。
彼女はパウロや私たちの後について来て、「この人たちは、いと高き神のしもべたちで、救いの道をあなたがたに宣べ伝えています」と叫び続けた。
何日もこんなことをするので、困り果てたパウロは、振り向いてその霊に、「イエス・キリストの名によっておまえに命じる。この女から出て行け」と言った。
すると、ただちに霊は出て行った。
彼女の主人たちは、金儲けする望みがなくなったのを見て、パウロとシラスを捕らえ、広場の役人たちのところに引き立てて行った。
そして、二人を長官たちの前に引き出して言った。
「この者たちはユダヤ人で、私たちの町をかき乱し、ローマ人である私たちが、受け入れることも行うことも許されていない風習を宣伝しております。」
群衆も二人に反対して立ったので、長官たちは、彼らの衣をはぎ取ってむちで打つように命じた。
そして何度もむちで打たせてから二人を牢に入れ、看守に厳重に見張るように命じた。
この命令を受けた看守は、二人を奥の牢に入れ、足には木の足かせをはめた。"
私たちの前には常に、福音を信じる人と信じない人に分かれます。そのうち、信じない人は信じないばかりか、私たちの宣教を反対したり妨害したりします。
紫布の商人リディアは、もともと神を信じていた人でした。すでにその心は耕され、福音の種が落ちるのに相応しい状態だったと言えます。
彼女はパウロの伝道によって主イエスを信じ、その家族もともに信じてバプテスマを受けました。
パウロとシラスにとっても、このことは大変励みになったでしょう。福音を伝えて、それを聴いて信じる人が起こされることほど、キリスト者として、伝道者として嬉しいことはないからです。
しかし、私たちの前にいるのは、そのように福音を受け入れて信じる人ばかりではありません。
パウロとシラスの前には、彼らを憎み訴え、牢に入れる人たちもいました。
しかし、その理由は彼らの福音に対しての反対や宣教に対する迫害ではありません。それはあくまで金儲けの邪魔をされたこと。金蔓だった女奴隷から悪霊を追い出されてしまったことへの恨みでした。
いずれにしても、このようにパウロとシラスの第二回伝道旅行で牢獄に入れられるという経験をするのです。福音を伝えて信じて喜ぶリディアとその家族のような人たちもいれば、福音を伝えて不服に思う人たちもいる。しかも、福音を妨害するという残念な行動までしてくるのです。
私たちの信仰の歩みにも、同じように私たちの語る福音を受け入れる人と、そうでない人がいます。ところが、福音に反対する人がいると、どうしても尻込みをしたり、宣教に対して積極性を失ったりします。
しかし、このピリピでのパウロとシラスを見ると、彼らは一貫しています。ひたすら福音を伝えること。福音を広めること。その町を福音で満たすことをやめません。
このあとも牢獄にいても神を賛美するという宣教を続けています。
私たちが福音を伝えるときに救われる人がいることは嬉しいし励みになります。しかし、そうでないときも当然あります。でもそれはやむを得ないことです。
福音を伝えても、その聞く人たちの中で神に選ばれた羊がいる場合とそうでない場合があるからです。しかし、神に選ばれている羊がいるならば、その羊は良き羊飼いであるキリストの声を聴いて集まってきます。
彼らは飼い主である主の声を聞き分けることができたからです。
この地に福音を満たす。これが私たちの使命です。その中から救い出すのは主の業です。確かに反対されれば悲しいしショックも受けるでしょう。
しかし、それでも私たちの使命を果たすときに、必ず主の羊に出逢います。そのことを期待して、今日も福音を宣べ伝えてまいりましょう。
"わたしの羊たちはわたしの声を聞き分けます。わたしもその羊たちを知っており、彼らはわたしについて来ます。
わたしは彼らに永遠のいのちを与えます。彼らは永遠に、決して滅びることがなく、また、だれも彼らをわたしの手から奪い去りはしません。
わたしの父がわたしに与えてくださった者は、すべてにまさって大切です。だれも彼らを、父の手から奪い去ることはできません。"
ヨハネの福音書 10章27~29節