のりさん牧師のブログ

おもに聖書からのメッセージをお届けします。https://ribenmenonaitobaishikirisutojiaohui.webnode.jp/

ヨラム王、惜しまれずに死ぬ

歴代誌 第二21章
1,ヨシャファテは先祖とともに眠りにつき、先祖とともにダビデの町に葬られた。その子ヨラムが代わって王となった。

2,彼には兄弟たちがいた。ヨシャファテの子で、アザルヤ、エヒエル、ゼカリヤ、アザルヤ、ミカエル、シェファテヤであった。これらはみな、イスラエルの王ヨシャファテの子であった。

3,父は彼らに、ユダの防備の町々とともに、銀、金、貴重な贈り物を数多く与えたが、王国はヨラムに与えた。彼が長男だったからである。

4,ヨラムは父の王国の上に立つと、勢力を増し加え、その兄弟たちをすべて剣にかけて殺し、イスラエルの首長たち数人も殺した。

5,ヨラムは三十二歳で王となり、エルサレムで八年間、王であった。

6,彼はアハブの家の者がしたように、イスラエルの王たちの道に歩んだ。アハブの娘が彼の妻だったからである。彼は主の目に悪であることを行った。

7,しかし、主はダビデと結ばれた契約のゆえに、ダビデの家を滅ぼすことを望まれなかった。主はダビデとその子孫に常にともしびを与えると約束されたからである。

8,ヨラムの時代に、エドムが背いてユダの支配から脱し、自分たちの上に王を立てた。

9,ヨラムは、彼の高官たちとともに、すべての戦車を率いて渡って行き、夜襲を試みて、彼を包囲していたエドムと戦車隊長たちを討った。

10,それでも、エドムは背いてユダの支配から脱した。今日もそうである。リブナもそのときに背いてユダの支配から脱しようとした。ヨラムが父祖の神、主を捨てたからである。

11,また、彼はユダの山々に高き所を造り、エルサレムの住民に淫行を行わせて、ユダを迷わせた。

12,預言者エリヤから、次のような書状が彼のもとに届いた。「あなたの父祖ダビデの神、主は、こう言われる。『あなたが、あなたの父ヨシャファテの道にも、ユダの王アサの道にも歩まず、

13,イスラエルの王たちの道に歩み、アハブの家が淫行を行わせたように、ユダとエルサレムの住民に淫行を行わせ、また、あなたよりも善良な、あなたの父の家の兄弟たちを殺したので、

14,見よ。主は大きな災害をもって、あなたの民、あなたの子たち、あなたの妻たち、そしてあなたの全財産を打つ。

15,あなた自身は、悪性の内臓の病気をわずらい、ついにはその病のために、日に日に内臓が外に出て来るようになる。』」

16,主は、クシュ人の近くにいたペリシテ人とアラビア人の霊を奮い立たせて、ヨラムに敵対させたので、

17,彼らはユダに攻め上って侵略し、王宮で見つかったすべての財産をはじめとして彼の子や妻たちまでも奪い去った。そのため、彼には末子のエホアハズのほか、息子は一人も残らなかった。

18,これらすべてのことの後、主は不治の内臓の病で彼を打たれた。

19,年は巡り、二年の終わりが来ると、彼の内臓は病のために外に出てしまい、ついに彼は重い病で死んだ。民は、彼の父祖たちのために香をたいたようには、彼のために香をたくことはしなかった。

20,彼は三十二歳で王となり、エルサレムで八年間、王であった。彼は惜しまれることなく世を去った。人々は彼をダビデの町に葬ったが、王たちの墓には納めなかった。

 

 新約聖書にこのようなみことばがあります。

"思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、刈り取りもすることになります。自分の肉に蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、御霊に蒔く者は、御霊から永遠のいのちを刈り取るのです。"
ガラテヤ人への手紙 6章7~8節


 主を信じる者、主の憐れみによって選ばれ、救われた者に対する主の恵みは計り知れないものですが、そのような恵みを受けたにも関わらず、悪を行い続け、御心を損ない、しかも主に委ねられた主の民、主の羊たちを迷わせるような悪を続けるならば、必ず刈り取らされる時が訪れます。

 ヨラムが、父ヨシャファテに代わりユダの王になりましたが、その悪行は主の御心を損いました。それは、主の民たちを預かっていながら、その民たちに淫行を行わせ、不道徳を蔓延させたからです。かつてヨシュアによってカナンの地が攻略されるときに、主はカナン人たちを聖絶するように命じられました。

 それは男も女も子ども、家畜に至るまでという、かなり厳しいものでした。しかし、それが聖なる主の民のためであり、イスラエルの民を主の聖さにあずからせるため、言い換えるならば、主の民の中に悪を蔓延らせないためには必要であると主が判断されたものでした。

 同じようにヨラムに対しても、主はその責任を取らせます。内臓が出てくるという重い病を与えて、彼をさばくのです。

 しかも、その預言を与えたのは、ユダ王国預言者でなく、北イスラエル預言者であるエリヤでした。神様は北イスラエルで、悪を蔓延らせたアハブ王に対峙しバアルの預言者たちを殺させた預言者エリヤをユダ王国のためにも用いたのです。それも書簡によってです。

 その預言はみごとに成就したのです。しかし、この書簡をもらって読んだ時がヨラムに対する主による罪の赦しのチャンス。悔い改めるチャンスでした。しかし、彼は悔い改めなかった。それで、その罪のための罰を、つまり自分が蒔いた種の刈り取りをすることになったのです。

 私たちも、特に主の群れを預かる者は、自分の言動に注意が必要です。それは、その責任は重大だからです。信徒たちに罪を犯させたり、主への信仰を阻むような牧会をしているならば、その結末はヨラムと同じ道になるでしょう。

 しかし、この働きが尊く、素晴らしい恵みであることも事実です。預かっている群れ、教会、その民たち、羊たちを愛し、みことばという牧草を正しく与え、養い、主のもとへと導くなら、必ずその報いも大きい。

 ヨラムの死は民たちの誰からも惜しまれず、その葬られ方も、他の王と同じではありませんでした。その死が彼の生き様を象徴しています。しかし、そうであってはいけません。

 パウロは弟子テモテに対してこのように書き送っています。

 

"私は勇敢に戦い抜き、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。
あとは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。その日には、正しいさばき主である主が、それを私に授けてくださいます。私だけでなく、主の現れを慕い求めている人には、だれにでも授けてくださるのです。"
テモテへの手紙 第二 4章7~8節

 ぜひ、私たちも最後まで、その死様まで聖なる者でありたいです。だからこそ、今朝も主のみことばの前にへりくだり、主を愛し、主に喜んで仕えていきたいと思います。その先には主からの義の冠が用意されているからです。

「私だけでなく、主の現れを慕い求めている人には、だれにでも授けてくださるのです」とパウロが言っているとおり、あなたにも与えられるのです。

 ともに主の日を待ち望みつつ、日々犯す罪を悔い改めて、みことばを伝えてまいりましょう。