のりさん牧師のブログ

おもに聖書からのメッセージをお届けします。https://ribenmenonaitobaishikirisutojiaohui.webnode.jp/

新王戴冠と霊の戦い

歴代誌 第二 23章11~21節

 

"彼らは王の子を連れ出し、王冠をかぶらせ、さとしの書を渡して、彼を王と宣言した。そしてエホヤダとその子たちが彼に油を注いで、「王様万歳」と叫んだ。


アタルヤは、王をほめたたえている民と近衛兵の声を聞いて、主の宮の民のところに行った。
彼女が見ると、なんと、王が入り口の柱のそばに立ち、王の傍らに隊長たちやラッパ奏者たちがいて、民衆がみな喜んでラッパを吹き鳴らしていた。歌い手たちは楽器を手にして賛美の指揮をしていた。アタルヤは自分の衣を引き裂き、「謀反だ、謀反だ」と叫んだ。


祭司エホヤダは、部隊を委ねられた百人隊の長たちを呼び出して、彼らに言った。「この女を列の間から連れ出せ。この女に従って来る者は剣で殺せ。」祭司が「この女を主の宮で殺してはならない」と言ったからである。


彼らは彼女を取り押さえた。彼女が馬の門の出入り口を通って王宮に着くと、彼らは彼女をそこで殺した。


エホヤダは、彼と、すべての民および王との間で、彼らが主の民となるという契約を結ばせた。


民はみなバアルの神殿に行って、それを打ち壊した。彼らはその祭壇と像を打ち砕き、バアルの祭司マタンを祭壇の前で殺した。


エホヤダは主の宮に管理人を置き、それをレビ人の祭司たちに委ねた。彼らは、ダビデが組分けをして主の宮に配属した人々であり、ダビデの指示に基づいて、喜びと歌をもって、モーセの律法に記されているとおりに主の全焼のささげ物を献げる人々であった。
また彼は、主の宮の門に門衛たちを立て、汚れた者が、どんな理由があっても入れないようにした。
彼は、百人隊の長たち、貴族たち、民の君主たち、および民衆すべてを率いて、王を主の宮から連れて下った。彼らは上の門を通って王宮に入り、王を王国の座に着かせた。


民衆はみな喜んだ。アタルヤは剣で殺され、この町は平穏となった。"

 祭司エホヤダは7歳のヨアシュを王とするため、女王アタルヤを出し抜いて戴冠式を行いました。その陰にはアタルヤの異母妹エホシェバの尽力がありました。

 そして、さらにその背景には、私たちの目には見えない霊の戦いがあったことを知ることができます。

 それは、まずアタルヤのユダ王国における存在には、このダビデ王朝の末裔から出るはずのメシア誕生を阻止しようとするサタンの力があると見ることができるからです。

 アタルヤはユダ王国の王妃になっていましたが、その出身は北イスラエル王国であり、父は悪名高きアハブ、母はイスラエル偶像崇拝と淫行をもたらしたイゼベルでした。

 そのような人物がユダ王国に入って来ていることは、霊的な視点で見るならば、単に隣国、しかも兄弟国から王女が王妃として来たということではなく、そこにサタンの陰謀を見るのです。

 しかし、主なる神は、そのようなサタンによるメシア誕生妨害に対して、主を信じ、主の御心を行う人たちを立てさせ、ご自身の人類救済計画を断行されたのでした。

 それがアタルヤを出し抜いて行わせた新王戴冠式です。

 そして、ユダ王国にあってはならない悪魔的な存在であるアタルヤを処刑することで、まずはユダ王国滅亡の危機、ダビデ王家撲滅の危機から守ったのです。

 

 この悪魔の働きによるメシア妨害は、このあともかたちを変えて続けられるのですが、主イエスがお生まれになったときも、ヘロデ大王による2歳以下の子どもを殺させるという行為にもサタンの陰謀があったでしょう。

 そして、そのあともパリサイ人、律法学者たちをはじめとするユダヤ人たちにもイエスを殺そうとする企てがありました。最終的には、イエス様の弟子であるユダに悪魔は入り、イエス様を裏切らせて十字架刑に追いやるのです。

 この十字架刑こそ、サタンがほくそ笑む瞬間だったのです。あのエデンの園から始まった人類への誘惑からサタンは神様の聖なる業をことごとく妨害し、虚しくなるように働いて来ました。

 そして、この十字架においては、まさにメシアのかかとを噛む蛇として、メシアのとどめを刺して来たのでした。

 ところが、全能の神、主は、このサタンの陰謀に対して、まさに赤子の手を捻るように、サタンの勝利と思わせて、実はご自身の聖なる御業の中に取り込まれて、人類救済計画を断行されたのです。

 つまり悪魔にすれば、勝ったと思いきや、それはすなわち完璧な敗北にされてしまったということです。十字架刑こそ、サタンの敗北であり、神様の勝利になったのです。

 それは、人類の罪を負って生贄となってきた動物のように、神の子羊としての役目をその十字架に置き、キリストが十字架で罰を受けたのは、全人類の身代わりであったという驚くべきアクロバットのような救いの業となされたということなのです。

 サタンはまさか、せっかく生まれて来たメシアが死ぬことで自分が負けになるとは考えていなかったでしょう。

 アタルヤもそうでした。まさか、自分が全滅させたはずのダビデ王家の血筋であるヨアシュが生き残っていて、その戴冠式が知らぬ間に行われていたことは、まさに、神様に出し抜かれたサタンの姿でした。

 私たちの背後にはいつも霊の戦いがあります。常に私たちが神様に従おうとする思いを削ぎ、諦めさせ、敗北に追いやろうと働いてきます。

 神様を信じても良いことがないと思い込ませ、この世の罪の泥沼に沈めようとします。

 しかし、そのような泥沼に見えることすら、神様はご自分の主観の中で恵みの中に招き入れてくださり、そこから勝利をあたえることのできるお方です。つまり、神様に対して絶望する必要はないのです。

 だから諦めてはなりません。神様に心から信頼して良いのです。隠されていたヨアシュが王にされたように、死んだはずの主イエスが墓からよみがえったように、神様の勝利は、私たちの常識を超えたところに与えられるほど偉大だからです。

 今日も、その素晴らしい神様、私たちを罪の泥沼から救い出し、負け戦のような中からも勝利をもたらしてくださるお方に信頼して歩ませていただきましょう。

 

"しかし、神の人よ。あなたはこれらのことを避け、義と敬虔と信仰、愛と忍耐と柔和を追い求めなさい。
信仰の戦いを立派に戦い、永遠のいのちを獲得しなさい。あなたはこのために召され、多くの証人たちの前ですばらしい告白をしました。
私は、すべてのものにいのちを与えてくださる神の御前で、また、ポンティオ・ピラトに対してすばらしい告白をもって証しをされたキリスト・イエスの御前で、あなたに命じます。
私たちの主イエス・キリストの現れの時まで、あなたは汚れなく、非難されるところなく、命令を守りなさい。
キリストの現れを、定められた時にもたらしてくださる、祝福に満ちた唯一の主権者、王の王、主の主、
死ぬことがない唯一の方、近づくこともできない光の中に住まわれ、人間がだれ一人見たことがなく、見ることもできない方。この方に誉れと永遠の支配がありますように。アーメン。"
テモテへの手紙 第一 6章11~16節