のりさん牧師のブログ

おもに聖書からのメッセージをお届けします。https://ribenmenonaitobaishikirisutojiaohui.webnode.jp/

善意に溢れる大切さ

"私の兄弟たちよ。あなたがた自身、善意にあふれ、あらゆる知識に満たされ、互いに訓戒し合うことができると、この私も確信しています。"
ローマ人への手紙 15章14節


 パウロはローマにある教会の信徒たちに、キリスト者としての成長について説いています。

 その筆頭が「善意」に溢れることです。それは、神の子どもとされた私たちの特徴とも言えるでしょう。なぜなら、まだ神も知らず主イエスの救いを経験していなかったときには、善意よりも悪意に満ちていたからです。

 テレビでニュースを見ていて、凶悪な事件があると、罪人の自分は横に置いて、犯罪を犯した人を酷く言ったり、犯罪でなくても、ドラマなどで、とても整った家庭や家族の面々が素晴らしい人たちを見ると羨ましさからか、批評的な目で見たり、どちらにしても悪意に満ちた思いばかりでした。

 でも、それはキリスト者になってからも、油断をしているとその思いは訪れます。だからこそ、成長が必要なのです。それは、意識的に聖書に触れ、神が私たちにどんな素晴らしいことを為してくださっておられるか。その知識を意識的に得ることが必要です。

 そのことをパウロ「あらゆる知識に満たされ」と勧めています。だから、その正しいみことばにある知識に満たされていくならば、自ずと互いの至らない点を互いに訓戒し合うこともできるようになります。

 訓戒し合うとは、つまり、この世にあって私たちキリスト者は、まだ救いの途上にあると言う面を持っているということです。まだ罪の性質を持ちながら、聖霊によって造り変えられている只中ですので、いまだ残っている悪意を聖霊の助けの中でみことばによって訓戒し合うことでキリスト者として、また、そのようなキリスト者が集まる教会として、益々キリストの御姿へと近づいていくのです。

 私たちも、このパウロの言葉から、今日も、悪意ではなく善意に溢れるために、聖書を読みキリストについてのあらゆる知識を得て、互いに教え、訓戒し合う者とされてまいりましょう。

 そこから主イエスのような善意に溢れた愛の人へと中身から変えられていくからです。

 

"善意の人は祝福を受ける。自分のパンを貧しい者に与えるからだ。"
箴言 22章9節


"あなたがたは以前は闇でしたが、今は、主にあって光となりました。光の子どもとして歩みなさい。
あらゆる善意と正義と真実のうちに、光は実を結ぶのです。
何が主に喜ばれることなのかを吟味しなさい。"
エペソ人への手紙 5章8~10節