のりさん牧師のブログ

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テモテへの手紙第二 3章「困難な時代と聖書」

    パウロは来るべき背教について語る。福音を腐敗させ、キリストのわざを妨害しようとする力は初代教会の時代から既に起こっていた。パウロはあえて「終わりの日」、「困難な時代」(1)という表現で、終末的な危機感をテモテに伝えている。


 終わりの日には、大きく二つのことが起こると言われている。

 第一に「見えるところは敬虔であっても」(5)、「自分を愛する者・・・情け知らずの者・・・裏切る者」(2~4)など「その実を否定する者」が現れる。

 第二には、「キリスト・イエスにあって敬虔に生きようと願う者はみな、迫害を受け」(12)るということである。両者ともに、その背景には「神よりも快楽を愛する」ことが教会に入り込み、信徒たちを惑わし、または迫害が起こるというのである。2節から4節の内容は丁寧に自己吟味する必要がある。自らに忍び込むこれらの背教の種に気づかされたなら、早く素直に悔い改めなければならない。


 これらの背教や堕落は、「いつも学んでいる」(7)にも関わらず起こってくるという点に注意したい。パウロはそれらの人たちを「知性の腐った、信仰の失格者」(8)だと言っている。それは「真理に逆らう」ことだからである。しかしパウロは、テモテがパウロの「教え、行動、計画、信仰、寛容、愛、忍耐・・・迫害や苦難」について来たことを賞賛し励ます。それは、その生き方こそ「キリスト・イエスにあって敬虔に生き」ることだからである。しかし、これらの困難な時代にあって、テモテを敬虔に導く真理とは何だろうか。それは、彼が「幼いころから聖書に親しんで来たこと」(15)である。聖書がテモテに「知恵を与えてキリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせ」たからである。


 「いつも学んでいる」ようでも、それが聖書からの「神の霊感によるもの」(16)なのか点検が必要である。あなたにとって困難な時代は、もう始まっているかも知れない。しかし、「すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるため」(17)に今日も聖書によって神のことばに聞いていこう。