"あなたの神、主がこの四十年の間、荒野であなたを歩ませられたすべての道を覚えていなければならない。それは、あなたを苦しめて、あなたを試し、あなたがその命令を守るかどうか、あなたの心のうちにあるものを知るためであった。
それで主はあなたを苦しめ、飢えさせて、あなたも知らず、あなたの父祖たちも知らなかったマナを食べさせてくださった。それは、人はパンだけで生きるのではなく、人は主の御口から出るすべてのことばで生きるということを、あなたに分からせるためであった。"
申命記 8章2~3節
イスラエルの民が味わった四十年にもわたる荒野の旅はとても苦しく辛いものでした。しかし、その辛い四十年間は主が与えたものでした。それは、主がイスラエル人たちの「心のうちにあるものを知る」ためだったのです。
その中でもっとも大切なことは、神の民は主の御口から出るみことばによって生きることでした。この後神様が与えてくださる約束の地に入って、そこで安寧に暮らすことで、彼らが主を忘れることのないように。むしろ、そこで主に感謝し、主を礼拝して過ごせるように、かえって主の恵みを覚えていくために、この四〇年があり、みことばがあるのです。
私たちも、この人生において苦しみにあうことがあります。しかし。それはこの後に益々主の恵みを覚え、主のみことばだけが私を生かすのだと主を崇めて生きるために与えられた、主からの賜物なのです。
今日という一日にも苦しみがあるでしょう。しかし、そこにこそ、主がくださるマナが与えられます。そのマナ、つまり主のみことばを味わい、恵みを覚えて、この後に迎えに来てくださる主の訪れを待ち望もうではありませんか。
"苦しみにあったことは私にとって幸せでした。それにより私はあなたのおきてを学びました。
あなたの御口のみおしえは私にとって幾千もの金銀にまさります。"
詩篇 119篇71~72節