●イザヤ書 45章1~7節
"主は、油注がれた者キュロスについてこう言われる。「わたしは彼の右手を握り、彼の前に諸国を下らせ、王たちの腰の帯を解き、彼の前に扉を開いて、その門を閉じさせないようにする。
わたしはあなたの前を進み、険しい地を平らにし、青銅の扉を打ち砕き、鉄のかんぬきをへし折る。
わたしは秘められている財宝と、ひそかなところに隠された宝をあなたに与える。それは、わたしが主であり、あなたの名を呼ぶ者、イスラエルの神であることをあなたが知るためだ。
わたしのしもべヤコブのため、わたしが選んだイスラエルのために、わたしはあなたを、あなたの名で呼ぶ。あなたはわたしを知らないが、わたしはあなたに肩書きを与える。
わたしが主である。ほかにはいない。わたしのほかに神はいない。あなたはわたしを知らないが、わたしはあなたに力を帯びさせる。
それは、日の昇る方からも西からも、わたしのほかには、だれもいないことを、人々が知るためだ。わたしが主である。ほかにはいない。
わたしは光を造り出し、闇を創造し、平和をつくり、わざわいを創造する。わたしは主、これらすべてを行う者。"
《メッセージ》
神である主は、全宇宙を創造し支配しほじしておられるお方です。
イスラエルの民をバビロン捕囚から救い出すためにペルシャ帝国のキュロスを選び、キュロスによって、イスラエルの民を贖い出したのです。
同じように、罪の奴隷となっていた私たちを救うために、神なる主は御子キリストを遣わし、御子キリストによって私たちを罪の支配から、悪魔の支配から贖い出してくださいました。
その方法はキュロスとは違い、強力な軍事力によってではなく、たった12人の弟子たちと、名の知れぬ人から借りたロバの子に乗った救い主の姿でした。
しかも、そのあと弟子たちは皆んな逃げてしまい、救い主はひとり捕らえられ、鞭打たれ、殴られ、なじられて、十字架を負わされ、その十字架に釘付けにされたのです。
その頭には荊の冠。
キリストと言う王の冠は荊。
王座は荒削りの十字架。
しかし、その痛々しい姿こそ、
私たちの贖い主としての姿だったのです。
それは、キュロスがバビロンを滅ぼし勝利したように、キリストは罪を滅ぼし悪魔に勝利した姿。
私たちは、この主日、この御子を送ってくださった神なる主に、この御子キリストのゆえに、御霊に助けられて礼拝をささげます。
その恵みに預かっているのは、ただ、神の御子の苦しみのゆえであることを覚えつつ、心からの感謝と賛美をおささげしようではありませんか。
《祈り》
愛する主よ
あなたは私の真の贖い主です。
あなたに並ぶ救い主はなく、
あなたのほかに神はありません。
十字架の苦しみこそ、
平和のしるし。
十字架で受けた傷跡こそ、
私たちの救いの証しです。
今日も素晴らしいあなたに礼拝をおささげできる恵みに感謝します。
どうか、多くの方々が、
この素晴らしい救いに預かれるよう
導いてください。
そのために、私たちをきよめ、整え
遣わしてください。
主イエスの御名によって
祈ります。