のりさん牧師のブログ

おもに聖書からのメッセージをお届けします。https://ribenmenonaitobaishikirisutojiaohui.webnode.jp/

受難節 第11日 月曜日

詩篇 139篇19~24節

"神よどうか悪者を殺してください。人の血を流す者どもよ私から遠ざかれ。
彼らは敵意をもってあなたに語りあなたの敵はみだりに御名を口にします。
主よ私はあなたを憎む者たちを憎まないでしょうか。あなたに立ち向かう者を嫌わないでしょうか。
私は憎しみの限りを尽くして彼らを憎みます。彼らは私の敵となりました。
神よ私を探り私の心を知ってください。私を調べ私の思い煩いを知ってください。
私のうちに傷のついた道があるかないかを見て私をとこしえの道に導いてください。"

《メッセージ》

  この詩篇の表題には「ダビデの賛歌」とあります。ダビデとは、古代イスラエル王国でサウルの後、正式に王様になった人です。

 ダビデ詩篇に多くの歌を残していますが、この詩篇もそうです。それで賛歌とありますので、どんな楽しそうな、嬉しそうな歌かと思えば、何と神様に殺人をお願いする歌なのです。

 神様を信じる者が「人を殺してください」なんて、何という祈りをするのかと驚かされます。

 

 でも、私たちもいつもそうではないでしょうか。あの人に腹が立つ。あの人がいなければと呪うようなことは日常茶飯事ではないかと思うのです。

 最近、報道されているロシアのウクライナ侵攻も、あのプーチンさえいなければと、私は思いました。ここにゴルゴ13がいれば、誰かが暗殺を依頼するだろうと、酷いことを考えてしまう自分がおりました。

 では、信仰者としてそれで良いのでしょうか。いいえ、そのままでは、やはりいけないと思います。

 

 この詩篇を歌ったダビデもそうでした。彼は敵を憎み、それを神様に訴えますが、そういうふうに、敵を赦せない自分の中に「傷」があることを知っていました。それは、人間とは心に傷があるから人を赦さないし、憎み続けるのです。そして、そういう自分にも苦しむのです。

 実は、そういう自分で決して良いとは思っていないはずなのです。人を憎み続けることは、自分の心の傷にとって何の癒しにもならないのです。

 

 だから神に祈る。心のすべてを隠さずに神に訴える。そうすることによって、心が探られ、とこしえの道に導いてくださいと願うのです。

 このとこしえの道とは、神の完全な支配にある神の国に続く道です。その道を全ての人に与えるために御子キリストが私たちの傷を全てその身に負ってくださいました。それがこの世に送られた御子の使命でした。

 十字架の道こそ、私たち罪人をとこしえの道に導く方法だったからです。

 今日も、私たちをとこしえの道に導くために十字架の道を歩まれた主イエスに心を合わせてまいりましょう。

 そして、その主の前に、人を憎んでしまう自分の罪、弱さも全て打ち明けましょう。主はご自身の流された血潮のゆえに、私たちの全ての咎を罪を赦してくださいます。

 

《祈り》

「神よ私を探り私の心を知ってください。私を調べ私の思い煩いを知ってください。
私のうちに傷のついた道があるかないかを見て私をとこしえの道に導いてください。」 詩篇139:23〜24より