日本メノナイト 白石キリスト教会

おもに聖書からのメッセージをお届けします。

受難節 第12日 火曜日

詩篇 34篇15~22節

"主の目は正しい人たちの上にあり主の耳は彼らの叫びに傾けられる。


主の御顔は悪をなす者どもに敵対し主は彼らの記憶を地から消し去られる。


苦しむ者が叫ぶと主は聞かれそのすべての苦難から救い出してくださる。


主は心の打ち砕かれた者の近くにおられ霊の砕かれた者を救われる。


正しい人には苦しみが多い。しかし主はそのすべてから救い出してくださる。


主は彼の骨をことごとく守りその一つさえ折られることはない。


悪は悪しき者を殺し正しい人を憎む者は責めを負う。


主はそのしもべのたましいを贖い出される。主に身を避ける人はだれも責めを負わない。"

《メッセージ》

真の神は、正しいことをする者をご覧になられます。正しい者に目を注がれます。正しい者を蔑ろにはなさいません。

 

主なる神は、逆に悪いことをする者に対しては、祝福を与えることはなさいません。悪い者にはその悪事に報われる方です。悪い者が神に逆らうならば、主は、そのまま滅びに向かわせることができるお方です。また、そのような者たちをご自分の記憶から消すことのできるお方です。

 

しかし、この世において、正しい人が虐げられ、悪いことをしている者が成功しているかのように見えることがあります。正しい人が苦しみ、悪者がその悪事によって祝福されているような、正しく生きようとしている者の心を挫くような、諦めさせるような光景に出くわすことがあります。

 

でも、そう言うときにこそ、実は神は目をとめておられるのだ。だから、安心しなさいと言われているのです。

 

この詩篇を歌ったダビデは、この詩を歌ったとき、サウル王に追われて、敵であるはずのペリシテ人アビメレクのところへ逃げ込み、気が狂ったように装っていたという、ある意味人生において最低な状況にあったと言えるでしょう。

 

ダビデは主を信じていたのに、彼は苦しみの中にあったからです。

 

そんなダビデなのに、彼自身の心はどうだったのか。気が狂ったように芝居をしなければならないほど、追い詰められていながら、彼の信仰は決して揺らぎませんでした。

 

それは、主に信頼することこそ、正しい者である最も大切な証しであるからです。そして、目の前に起こっている苦しみも、それはいずれ神の御心のうちに滅び去り、主の憐れみが自分を覆うはずだと、望みを置くのです。

 

だから、こう歌っています。

「主はそのしもべのたましいを贖い出される。主に身を避ける人はだれも責めを負わない。」

 この神への信頼は素晴らしいです。しかし、彼にも弱さがありましたので、追ってくる敵サウルを呪うこともしばしばありました。だからこそ神に対する完全な信仰者の姿は、このダビデの時代から約1000年後に完全に成就します。

 それは、ダビデの子孫としてお生まれになったイエス・キリストによって成し遂げられたのです。

 

 イエスこそ、全く罪のないお方です。そして、何も罪を犯していないにも関わらず、人々からなじられ、蔑まれ、痛ぶられ、最後には神から捨てられたお方です。

 全く罪のない歩みをして苦しみ続け、その上、神からも見放されるという究極の不幸をその身に受けてくださったのです。

 しかし、父なる神は、死んでも父なる神を疑わず、信頼し通したイエスを死からよみがえらせたのでした。これこそ、最悪の呪いから贖い出された、真の正しい者の姿です。

 今、私たちも、この主イエスを信じる信仰によって正しい者とされています。だからこそ、この世を歩むときに、最も正しい方である主イエスが味わった苦しみも経験します。なぜなら、この世は罪の世界であり、アダムのゆえに呪われた世だからです。

 正しい者が生きづらい世界なのは当たり前なのです。

 しかし、キリストがご自身の身をもって神への信頼に生きるように模範を示された。ここに、私たちが歩むべき姿が示されているのです。

 特に、その十字架への道が私たちの生きる道であることであると同時に、そもそも罪の呪いの中にあった私たちが罪赦され正しい者として生きられるように、その罪を贖う救いの御業であったことも受け取りつつ歩まなければなりません。

なぜなら、ここに神の完全な愛があるからです。

神からの完全な愛を知り続けるからこそ、この世の苦しみに耐えられるのです。そして、その耐える力すら私たちから出るものではなく、その耐える力すら神から与えられた聖霊の助けによってさせていただけるのです。その聖霊こそ、信じる私たちが義とされた証しだからです。

 

今日もその恵みを思い巡らしましょう。

主イエスの苦しみは誰のためか。何のためか。

 

《祈り》

"あなたの義にしたがって私のためにさばきを行ってください。主よわが神よ彼らを私のことで喜ばせないでください。
彼らに心のうちで言わせないでください。「あははわれわれの望みどおりだ」と。どうか言わせないでください。「われわれは彼を吞み込んだ」と。
私のわざわいを楽しむ者たちがみな恥を見辱めを受けますように。私に向かって高ぶる者が恥と恥辱を身にまといますように。
私の義を喜びとする者たちが喜びの声をあげ楽しむようにしてください。彼らがいつもこう言うようにしてください。「主は大いなるかな。ご自分のしもべの平和を喜ばれる方は」と。
私の舌は告げ知らせます。あなたの義を。日夜あなたの誉れを。"
詩篇 35篇24~28節より