●エレミヤ書 29章11~14節
"わたし自身、あなたがたのために立てている計画をよく知っている──主のことば──。
それはわざわいではなく平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。
あなたがたがわたしに呼びかけ、来て、わたしに祈るなら、わたしはあなたがたに耳を傾ける。
あなたがたがわたしを捜し求めるとき、心を尽くしてわたしを求めるなら、わたしを見つける。
わたしはあなたがたに見出される──主のことば──。
わたしは、あなたがたを元どおりにする。あなたがたを追い散らした先のあらゆる国々とあらゆる場所から、あなたがたを集める──主のことば──。
わたしはあなたがたを、引いて行った先から元の場所へ帰らせる。』"
《メッセージ》
主は私たちに回復を与えてくださるお方です。ひっくり返って中の水すらこぼしてしまったようなコップを、あらためて立て直し、その中の水すら溢れさせることのできるお方です。
「覆水盆に返らず」と言いますが、主にあっては「覆水盆に返らせる」なのです。
私たちの人生においても、そのことが起こってきます。もし、私たちが主のみことばに信頼して、主により頼んで生きようとするならば、私たちのこれまで歩んできた人生がどんなにひっくり返ったようなものであったとしても、それは主によって建て直されるからです。
今日のみことばは、バビロン捕囚となったイスラエルの民の回復を約束された主のことばです。
神のことばに逆らい続けたユダ王国は、ダビデの子孫としてその王権が守られてきましたが、いよいよバビロニア帝国によって滅ぼされようとしています。
しかし、それは主によるユダへのさばきであり、懲らしめであったのです。しかも、それは本当に滅ぼし尽くすためのさばきではなく、その70年後には必ず回復させるというものでした。だから、これからの捕囚となる自らを省みて、悔い改めてダビデの子孫としてやり直すことを求めたものであったのです。
そして、その子孫からイエス・キリストがお生まれになり、真にダビデの血族の子孫だけでなく、ユダ族だけでなく、またイスラエル民族だけでなく、全人類の回復をも指し示す預言であったのです。
ここで、今日、あらためて覚えたいのは、
「あなたがたがわたしに呼びかけ、来て、わたしに祈るなら、わたしはあなたがたに耳を傾ける。あなたがたがわたしを捜し求めるとき、心を尽くしてわたしを求めるなら、わたしを見つける。」
この受難節のおり、私たちは何に呼びかけ、何に耳を傾けているでしょうか。何を探し求めているでしょうか。
昨今、ロシアによるウクライナ侵攻によって多くの市民が犠牲になっている様子を目の当たりにして、私は心が騒いでいます。あの子どもたちの泣き顔、あのお母さんたちの悲しむ姿、銃をとって戦いに行こうとする男の方々。確かに暴力で暴力は解決しないと思う。しかし、彼らに丸腰になれとは言えません。そのようなことを、私たちは毎日、テレビのニュースやインターネットを通して情報に耳を傾け、そのような情報に心が騒がされているのです。
そのような情報を得ることが間違いなのではありません。しかし、このような苦しみの中にあるときだからこそ、そのニュースの情報だけで心が荒まないように、また真の平安の中で正しい判断ができるためにも、神のことばである聖書のみことばに耳を傾け、神の御心を探り求めてまいりたいと思うのです。
大変な情勢であります。だからこそ、祈りは欠かせないのです。
主は約束しておられます。
「それはわざわいではなく平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ」と。
このみことばに信頼して、今日も世界のために、ウクライナのために、プーチンのために、世界の指導者たちのために、日本の指導者たちのために、私たちの家族のために、そして、私、あなた自身のために祈りましょう。
《祈り》指揮者のために。ダビデの賛歌。
1,主よいつまでですか。あなたは私を永久にお忘れになるのですか。いつまで御顔を私からお隠しになるのですか。
2,いつまで私は自分のたましいのうちで思い悩まなければならないのでしょう。私の心には一日中悲しみがあります。いつまで敵が私の上におごり高ぶるのですか。
3,私に目を注ぎ私に答えてください。私の神主よ。私の目を明るくしてください。私が死の眠りにつかないように。
4,「彼に勝った」と私の敵が言わないように。私がぐらつくことを逆らう者が喜ばないように。
5,私はあなたの恵みに拠り頼みます。私の心はあなたの救いを喜びます。
6,私は主に歌を歌います。主が私に良くしてくださいましたから。
(詩篇 13篇より)