●コリント人への手紙 第二 4章11~18節
"私たち生きている者は、イエスのために絶えず死に渡されています。それはまた、イエスのいのちが私たちの死ぬべき肉体において現れるためです。
こうして、死は私たちのうちに働き、いのちはあなたがたのうちに働いているのです。
「私は信じています。それゆえに語ります」と書かれているとおり、それと同じ信仰の霊を持っている私たちも、信じているゆえに語ります。
主イエスをよみがえらせた方が、私たちをもイエスとともによみがえらせ、あなたがたと一緒に御前に立たせてくださることを知っているからです。
すべてのことは、あなたがたのためであり、恵みがますます多くの人々に及んで感謝が満ちあふれ、神の栄光が現れるようになるためなのです。
ですから、私たちは落胆しません。たとえ私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。
私たちの一時の軽い苦難は、それとは比べものにならないほど重い永遠の栄光を、私たちにもたらすのです。
私たちは見えるものにではなく、見えないものに目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠に続くからです。"
《メッセージ》
私たちは、地上の命は地上の命としてあって、誕生で始まって死で終わるのであり、終わりの日に復活して新しい命に生きることになると考えます。しかし、使徒パウロの語り方は違います。確かに私たちは病み、傷つき、老い衰え、ついに朽ち果てます。しかし「私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています」。私たちは信仰によって主イエスと結ばれ、既に主イエスの命を生きはじめています。私たちはこの世からのものを一つ一つ捨てていきます。絶えず死に渡されています。そのただ中で、主イエスの命は私たちの死ぬべき肉体に既に現れているのです。
《祈り》
主イエスよ
あなたの十字架の愛のゆえに
どのような十字架のもとにあっても
喜びに溢れた者とならせてください。
あなたがお嫌いになるものや
あなたの愛を妨げるものをすべて
私から取り除いてください。
あなたをもっと深く愛することができますように。
あなたの愛で私を溶かしてください。
私の全てが愛になり
私の存在の全てをもってあなたを愛せますように。