"もしわたしを愛しているなら、あなたがたはわたしの戒めを守るはずです。
そしてわたしが父にお願いすると、父はもう一人の助け主をお与えくださり、その助け主がいつまでも、あなたがたとともにいるようにしてくださいます。
この方は真理の御霊です。世はこの方を見ることも知ることもないので、受け入れることができません。あなたがたは、この方を知っています。この方はあなたがたとともにおられ、また、あなたがたのうちにおられるようになるのです。
わたしは、あなたがたを捨てて孤児にはしません。あなたがたのところに戻って来ます。
あと少しで、世はもうわたしを見なくなります。しかし、あなたがたはわたしを見ます。わたしが生き、あなたがたも生きることになるからです。
その日には、わたしが父のうちに、あなたがたがわたしのうちに、そしてわたしがあなたがたのうちにいることが、あなたがたに分かります。
わたしの戒めを保ち、それを守る人は、わたしを愛している人です。わたしを愛している人はわたしの父に愛され、わたしもその人を愛し、わたし自身をその人に現します。」"
《メッセージ》
主イエスは、三位一体の愛の交わりの中に私たちを招き入れるためにこの世に来てくださり、まことに人となり、私たちの一人となり、それどころか、私たち自身と深く結びついてくださいました。主イエスが生きておられるので、私たちも生きることになります。主イエスの命と私たちの命は結びついており、一つになっているというのです。主イエスの生において、私たちのためでないもの、私たちと関わりのないものは何一つないというのです。
だから主イエスの物語は、すべて私たちの物語です。みことばの黙想を通して私たちの物語を受け取り、祈りを献げます。
《祈り》
私は羊ではなくて石なのでしょうか。
ああ、キリストよ。
ただあなたの十字架の下に立って
あなたの血潮がゆっくりと失われていくのを
一滴ずつ数えるばかりで
泣くこともできない私は
あなたを愛していて、深く悲しみ嘆いた女性たちと違って
痛切な涙を流して倒れ伏したペテロと違って
心を動かされた犯罪人と違って
暗闇の中で顔を隠した太陽や月と違って
私は、私だけは
嘆くこともできないでいます。
しかし、あきらめてしまわないでください。
まことの牧者よ
あなたの羊を見つけ出してください。
もう一度見回し、見つめ
岩をうち砕いてください。
(クリスティナ・ロセッティの祈り 1830〜1894年)