のりさん牧師のブログ

おもに聖書からのメッセージをお届けします。https://ribenmenonaitobaishikirisutojiaohui.webnode.jp/

◎「平和をつくる」

副題:積極的に平和を行う信仰
 
「平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子と呼ばれるからです。」
マタイ5:9

 
 今、ロシア軍によるウクライナへの軍事行動は世界を巻き込んで、戦争が終わるどころか、まだまだ出口の見えない状態になっています。そうこうしているうちに、多くの市民が犠牲になり、その中でも弱い立場の方々。高齢者、女性や子どもたちが逃げ場を失い、悲しみにくれている人たちが増えています。
 
 ロシアの兵士たちの中にも、戦いたくない、戦争をやめたいという人たちも多くいるようで、ロシア軍の士気が上がらず、なかなかロシア軍の侵略が進まないとも言われています。そのような中で、アメリカやヨーロッパ各国では、ウクライナを支援するということで、経済的、物質的な援助だけでなく、軍事的支援も行って、最新兵器がウクライナ軍に供給され、ロシア軍も苦戦しつつ、国際的には孤立してきています。
 
 日本も、難民支援、経済支援など非軍事的な分野での応援を行っているようです。それでも、この戦争の出口がまだ見えて来ないのが現実のようです。
 
 今日のみことばは、イエス様が山上の教え(垂訓)として語られた有名な教えの中の一つです。それは、平和をつくる者が幸い。つまり、祝福がある。素晴らしい。なぜならば、平和をつくる者とは神の子と呼ばれるようになる。それは神の子なるイエス・キリストの神の子としての特権に与ると言う恵みです。
 
 平和ということを思う時に、平和を語る人は多くいても、平和をつくる人は多くないと思わされます。イエス様も、平和を語る人は幸いではなく、平和をつくること。すなわち行動によって平和を表わすことが大事だとおっしゃっています。
 
 では、平和をつくるとはどういうことでしょうか。この世における平和とは、実は非常に危なっかしい平和であることがわかります。それは、軍事力のパワーバランスによって維持しようとする方法だからです。それは、本当に平和な状態と言えるでしょうか。核の傘の下と言われることも、核兵器と言う恐ろしい武器を背景に、抑止力という意味での力のつり合いで成り立っています。


 それが本当に平和なのでしょうか。それは、そのバランスが崩れたら終わりと言うものです。それはいとも簡単に崩れてしまう平和づくりに過ぎないのです。では、イエス様が言われた「平和をつくる者は幸いです」とは、どういうことなのでしょう。私たちが目指す平和とは、平和つくりとは、どういうことを指すのでしょう。
 
 それは、今、自分が置かれている、その場所で、その場所にある社会、世界での平和を考え、平和を語り、そして、実際に実行していくことです。
 
 マザー・テレサノーベル平和賞を受けたときに、人々が言いました。
「なぜ、あなたのような有名人が、インドの貧困をなくし、世界平和のために声をあげないのですか。」
 それに対してマザー・」テレサはこう答えたそうです。
「私には偉大なことはできません。私にできることは、小さなことに大きな愛を込めることです。」
 
 平和について議論することも大切です。国際間の紛争をやめさせることも大切です。しかし、私たち一人ひとりが日常生活の中でできることを疎かにして、いたずらに平和について考えても、平和は実現できないでしょう。

 

 私たちの家族の中に、今置かれている社会に、笑顔、労り合い、赦し合いができているでしょうか。他人に迷惑をかけないことはもちろん。進んで、困っている人、寂しい人に手を伸べて、相手が喜ぶように努力しているでしょうか。平和を考える会議は必要でしょうが、それを実行しようとしているでしょうか。
 
 平和とは祈りとともに実行するところに意義があるのです。それが平和をつくる者です。アッシジのフランチェスコはこう言いました。
「憎しみのあるところに愛を。分裂のあるところに一致をもたらす平和の道具とならせてください。」
 
 これはまさに、イエス様が言われた「平和をつくる者」としての積極的な祈りです。そのためにも、主の十字架の救いを信じ、その十字架の痛みをわが身に受けて、イエス様がそう語り自ら実行された平和つくり、シャロームの道を今日も表してまいりましょう。

 

 あなたの生活の中にも、神様の平和がつくられ、そして、私たちもその平和つくりに参加できるよう、ともに祈りささげてまいりましょう。