のりさん牧師のブログ

おもに聖書からのメッセージをお届けします。https://ribenmenonaitobaishikirisutojiaohui.webnode.jp/

2022年8月24日 白石教会礼拝説教

説教題 「キリストのかたちへと」
聖書箇所 コリント人への手紙第二3章18節
 
 

聖霊は、神の霊、キリストの霊であり、人に罪を悟らせ、悔い改めを促し、神に心を開くすべての人を真理と義の道に導かれます。聖霊は、教会に力を与え、いのちの源となり、救われた者をキリストのかたちへと変えていきます。」
 
 
1.もうひとりの助け主
 今日のテーマは「聖霊」です。白石教会の信仰告白の4番目にある通りの順番です。でも、「聖霊」については、これまでの信仰告白からの説教においても、またペンテコステ礼拝でも触れてきましたので、今日は少しポイントをしぼってお話ししたいと思います。そのポイントとは説教題にあるように「キリストのかたちへと変えてくださるお方として」ということです。
 
 これまでもこの教理説教では、聖書、神、イエス・キリストと三回学んできましたが、信仰告白を見ると、「聖書」のところにまず、「聖書は、すべて神の霊感による」と学びました。それは、聖書は当然、人間が記したものですが、その記した人間に聖霊が働いて、その書いたものが神のことばとして特別に守られ、神のことばとして残されてきたということです。また、「神」のところでも、父子聖霊という三位一体の神様の第三位格のお方として学んでいました。
 
 また「イエス・キリスト」のところには書かれていませんが、「イエス・キリストは、聖霊によって処女マリアに宿り、人としてお生まれになった」ことは使徒信条でいつも告白しています。また、イエス様ご自身が、ヨハネから洗礼を受けたときに、聖霊が鳩のように下られた場面をマタイの福音書の講解説教でも学んできたところです。そして、ペンテコステでは、その聖霊がその弟子たちに下り教会が誕生したことや、今や、このイエス・キリストを信じて救われキリストの弟子とされた私たちクリスチャンもまた、その主イエス様のように聖霊に満たされて生きる者でもあるということを学んできました。
 
 しかし、私たちは聖霊に満たされて歩みたいと願いつつも、いつも同じ罪を犯してしまったり、きよくない考え方や、悪いことばを口から出してしまい、なかなか聖霊に満たされ続けることの難しさを覚えるのものではないでしょうか。先週の水曜日の聖書研究会昼の部でエペソ人への手紙を学んでいますが、ちょうど「神の聖霊を悲しませてはいけません」という箇所の学びでした。パウロは、そこで「悪いことばを、いっさい口から出してはいけません」と教えていました。そして、むしろ「人の徳を養うのに役立つことばを話し、聞く人に恵みを与えなさい」と教えていました。それが聖霊に満たされた人の姿であるということです。そのことをパウロは「新しい人」を着る者と言っていました。
 
 つまり、イエス様を信じて救われたということは、キリストを着せられて神の子ども、つまり養子にしていただいているということです。それは、放蕩息子のたとえ話で、ボロボロになってお父さんのところに帰って来た弟息子に、お父さんが新しい服を着せますが、そういうイメージです。
 
 私たちはイエス様を信じて救われたということは、神様によって義の衣であるキリストを着せられたという意味です。自分のことを見ると、いつもまだ罪を犯してしまう弱さがあるのに、どうして神様は私の事をきよいと言ってくださるのか。それは、イエス・キリストという神の子の衣をまとっているからなのです。だから、まずは表面的には神様から見れば、御子イエス様のことを見るように見ていただいているということです。
 
 だから着せていただいているキリストのゆえに、私たちは、その罪によって滅びることはないのです。
 
 では、いつになったら、中身も神の御子イエス様のようになれるのか。それが聖霊の助けによってであるとイエス様は言われるのです。今日の交読文があるヨハネ福音書を見ると、イエス様は、聖霊のことを「助け主」とお呼びになっています。しかも14章16節を見ると「もうひとりの助け主」と言われていて、ひとり目の助け主がご自分であることを証ししています。
 
 イエス様を信じて救われるというのは、単に死んだあとに天国に行けるというだけでなく、この地上で生かされている時から、天国の国民としてふさわしく整えられるということなのです。だから、そのためには、まずキリストを着る。そして同時に私たちの心に、聖霊に住んでいただいて、内側からも助けていただける。これが、救われた私たちの特権です。
 
 ヨハネ福音書1章12節にはこう書かれています。
「しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。」
 この「特権」とは、その神のこどもとしてイエス様のようになれるように、神様が造り変えてくださるという奇蹟です。罪の中に死んでいた者が、そのまま地獄に行かないで、天国の国民として、いやそれ以上に「神の子ども」として造り変えてくださるという前代未聞の恵みだということです。
 
 そのことを、この福音書を書いたヨハネはこうも言っています。1章16節。
「私たちはみな、この方の満ち満ちた豊かさの中から、恵みの上にさらに恵みを受けたのである」とこの救いの恵みの驚くほどの祝福を語っているのです。
 私たちにとって、イエス・キリストの救いとは単に「死んだあと天国に入れて良かったね」というだけではなく、イエス様のような「神の子ども」としてのかたちまで受け継ぐ者とされたということです。
 
 そのためにキリストを着せていただいただけでなく、もうひとりの助け主まで住んでくださって、内側からも大工事をしてくれるという、この上ない恵みをいただいたということです。まず、この恵みをあらためて覚えていきたいです。もうひとりの助け主。その助けが今、私の中に、皆さんの中に与えられている。自分では、こんな自分の貧しい部分、弱い所、罪深さは絶対に良くならないだろうと思えるかも知れない。しかし一流の建築士である聖霊が内側から、私と言う家を、またあなたという家を、土台から建て替えてくれているのです。私たちはその恵みに感謝して、その助けを妨害しないように、むしろ、ともに建て上げていく神の業に参加したいと願うようにされるのです。
 
 結果的に、私たちの努力も、意欲も益とされて、私たちはキリストのかたちへと造り変えられるということです。
 
 
2.栄光から栄光へと
 そのように、聖霊は私たちが神を信じて、神の子どもとされるために、いつもともにいて、必要な力といのちを与えてくださり、キリストのかたちへと変えていきます。
 
 今日の聖書箇所としては、第二コリント3章18節でした。
「私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じ姿に変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。」
 
 このみことばでは、「キリストのかたち」のことを「主と同じ姿」と言っています。キリストのかたちに変えられるというのは、主イエス様と同じ姿にされるということになります。では、天の御国に行ったら全員イエス様なのか。そんなことではないですね。主と同じ姿ということ。つまりキリストのかたちというのは、表面的なかたちのことではなく、その性質、気質において同じにされるということ。そして、この地上においても、イエス様を目標にして、イエス様に倣って生きることであるということです。
 
 パウロが、「生きることはキリスト。死ぬことも益です」と言っているのは、キリストが生きられたようにパウロも生き、死なれたように死ぬ者であるということでしょう。生きるにしても死ぬにしても、すべてがキリストに結び合わされた人生だからです。
 ですから、キリストに結び合わされ、キリストのように生き、キリストのように死んだ人は、パウロ以外にも大勢います。その中から、今日は一人の人の生き様を通して、「キリストのかたち」を見てみましょう。
 
 皆さんは「森永太一郎」という人を御存じでしょうか。現在では、お菓子や乳製品の大手ブランドとなっている森永製菓、森永乳業の創業者です。また先般、銃撃事件で亡くなった安倍晋三元首相の奥さん昭恵さんは、森永太一郎の外戚にあたるそうです。
 
 森永太一郎は、慶応6年(1865)に肥前の国、現在の佐賀県にあった陶磁器を扱う商人の家で生まれました。6歳で父を亡くし、母親が再婚し母とも離別します。そして親戚の家を転々としながら育ち、12歳から父親と同じ陶器商人として修行を始め、23歳の時にアメリカへ渡りました。そこで苦労しながらお菓子やパン製造のスキルを身につけます。
 そのアメリカで、生まれて初めてキャンディを口にした太一郎は、その瞬間に菓子職人になろうと決心したそうです。そして、どうしても日本の子どもたちに食べさせたいと、アメリカで日本人であることで差別を受けながら、10年以上も辛く厳しい修行を重ねました。しかし、そのような中で教会へ通うようになります。そしてイエス様を信じてメソジストの日本人教会で洗礼を受けます。彼に洗礼を授けたのは、札幌農学校の学生だった内村鑑三新渡戸稲造に洗礼を授けたハリスでした。
 
 1899年(明治32)に帰国した太一郎は、東京で小さな菓子工場を始めます。そして、ガラス張りの箱型の荷車を特注して、屋根には漆塗りの板に金色の文字でこう書きました。
「キリスト・イエス 罪人を救わんがために世に給えり」という第一テモテのみことばと「義は国を高くし、罪は民を辱かしむ」という箴言14章34節のみことばです。
 彼は熱心なクリスチャンになっていたのです。だから、明治維新後もなかなか消えないキリスト教へのバッシングにも堪えて、伝道しながら、マシュマロやチョコレート、キャラメルなどのオリジナル菓子を生産し、車に積んで東京の街を売り歩きました。その後も、「耶蘇の菓子屋」と揶揄されつつ次々にヒット商品を生み出して、彼の商売は祝福され発展していきます。彼のうちにかたちづくられたキリストが仕事にも反映して、品質本位で誠実に徹した彼の経済理念と使命感に繋がったのです。
 
 まさに彼の生き様に御霊の実がかたちづくられて行きました。栄光から栄光へと主と同じ誠実さ、神への献身へと押し出して、祝福されていったのです。
 
 ところが、やがて彼は、仕事がうまく行き、有名にもなり、お金持ちになっていったときに、信仰から離れてしまいます。太一郎が後にこう言っています。
「私はその時、名利の奴隷となり、金銭や物質偶像崇拝者となって…百万長者を夢見て野心満々たる際は、神に感謝の念も皆無となった」
 そのときから30年も教会に行くことをやめてしまい、事業の成功も、自分の労苦や能力の賜物だと思い上がってしまっていたのです。
 
 しかし、そのような慢心していた矢先に20歳のときから連れ添った妻を失います。そして再婚しますがまた死に別れてしまいます。その言い知れぬ喪失感の中で彼は、ようやく、目が覚めます。その喪失感の中で、これまで自分がどれほど神のみ旨を痛めてきたかを知らされ、深く悔い改めの祈りに導かれるのです。事業が伸びたのも神から受けた特別な恵みだったのに、思い上がっていた自分の愚かさに気付いたのです。まさに、彼に住んでおられた聖霊が彼に罪を気づかせ、悔い改めに導いたのでした。
 
 涙ながらに太一郎は神に祈りました。すると心の奥から「主よ、みもとに近づかん。のぼる道は十字架に…」という讃美歌がわき溢れてきて、涙にむせび祈る中で、そこに神の声を聞いたと言います。「われに帰れ」と。
しかし、それは、実は長い間ずっと彼の心に響いていた言葉であったということです。御霊が、ずっと太一郎がキリストのかたちに近づくように、神の子どもとして回復するように語っておられたのでした。
 
 そして、さらに心の中に声が響いたそうです。
「行け。迷える多くの者に証しせよ。われ汝を助けん」
それはまさに、助け主の声ではないでしょうか。
 
 太一郎は晩年、「ただ主にのみ忠実なるしもべとなって、神のご恩を証しする」ために、迷える世界から神に呼び戻されたと、証ししています。
 そのときから、十数万戸ある全国の取引先や販売店、その従業員たちやあらゆる人々にキリストの福音を伝えるため、国内外を巡ったと言います。そうです。そこから、あらためて創業当時の聖書のことばとエンゼルマークをシンボルとして掲げた原点に帰って、あらためて神の栄光のために生き、そして、天に凱旋して行ったのです。
 
 
結び
 私たちの信仰の歩みも、決して平たんではありません。キリストのかたちに日々変えられていると聖書は言っているが、なかなかそれを実感できず、かえって後退している感じさえします。
 
 しかし、森永の創業者である森永太一郎の生涯を観るときに、その紆余曲折している人生にこそ、聖霊が助け導き、時に、信仰から離れてしまっていたとしても、彼の努力や能力ではなく、住んでおられる御霊が内側から語ってくださって、神の方に引き戻してくださる神の憐みを観ます。ここまでして、罪深い私たちを御許に招き、戻そうとされる主の憐みに心から感動を覚えます。
 
 そして「行け、迷える多くの者に証しせよ、我汝を助けん」と諭されて、主が生きたように生き、主が十字架の上で死んだように、死ぬのです。しかし、そのあとに待っているのが、よみがえりのキリストと同じようによみがえるということです。天の父の前に完成された神の子どもとして迎えられ、その目の涙を拭っていただくということです。
 
 私たちの人生もそうです。キリストを信じてここに今置かれているということは、森永太一郎だけでなく、私たちも同じように、キリストのかたちへと変えられていく神の祝福の道を歩む者とされているという事です。それが御霊なる主の働きです。
今週も、この聖霊に助けられて、その御声を聞きつつ、キリストのかたちへと変えられて行こうではありませんか。