日本メノナイト 白石キリスト教会

おもに聖書からのメッセージをお届けします。

北海道キリスト教史概論

1.キリスト教の伝来
 北海道にキリスト教が伝えられたのは、プロテスタントが1874年、カトリックが1618年である。世界のキリスト教史から見れば大変短い。この短い歩みの中にも豊かな歴史的遺産が残され、今も生き続けている。

 

2.アイヌへの侮辱と支配
 政治的には、16世紀後半に松前藩の封建的支配が確立し、アイヌ民族への苛酷な侮辱政策がとられていた。1620年前後に松前に来た切支丹宣教師は胸を痛めてそれを見ていたという。何度かアイヌの抵抗運動が各地で起こり、その中で最も大きな抵抗運動は1457年のコシャマインの役と、1669年のシャクシャインの役であった。それが皮肉にも、前者が反対に松前藩形成の端緒となり、後者はアイヌ民族への支配権を確立することになってしまったことである。

 

3.徳川幕府から明治維新
 1854年日米和親条約により箱館開港となり、ハリストス正教会の伝道や、カトリック教会の再布教となった。明治維新直後、榎本武揚らによる箱館戦争があり、短期間であったが日本で唯一の共和制がしかれたこともある。しかし、明治政府が勝利したことにより1869年に開拓使がおかれ、蝦夷を北海道と命名し、本格的な開拓が進められるようになった。
 1873年、切支丹禁制の高札が除かれ、この年、函館~青森間の定期航路が開かれ、、また函館~札幌間の道路が開通した。その翌年にプロテスタントの宣教師が渡来した。1881年開拓使官有物払下げ事件が起り、自由民権運動の頂点となった。それが政変に発展したのである。翌年開拓使は廃止され、函館、札幌、根室に県がおかれて、三県一局 の時代となった。しかし、政治力が分散しては思うように開拓が進まないとして、1886年再び札幌に本庁を置き、北海道庁時代となって今日まで至っている。

 

4.急進的発展の光と影
 北海道は、僅か100年の間に原始社会から近代化の途を走り、土地が開かれ、産業を興し、近代工場が立ち並んで昔日の面影はなくなった。アカシヤの並木にロマンの香りを放つ道都札幌を100年前の人々は夢想だにしなかったに違いない。それは勤勉な開拓者の汗と涙の結晶であり、政治力の象徴、文明の謳歌であると言えるだろう。
 しかし、その陰に土地を追われて、生活権を奪われ、差別に泣く先住民族がおり、人生の挫折と権力の集中化の中で弾き出された人々が流刑の地として囚人労役に服し、タコ部屋といわれる土工部屋や、蟹工船に象徴される非人道的な就労、軍国ファシズムの中に中国・朝鮮から強制連行されてきた人々がいた。日本の近代化路線の功罪を凝縮したのが北海道の歴史であったと言えよう。

 

5.北海道の歩みとキリスト教
 以上のような歴史的状況の中でキリスト教の伝道がなされ、教会が生まれ、キリスト者が生きてきた。そのような歴史の中で、キリスト者は、そして教会は、一体、誰を隣人としてきたであろうか。
 キリストに在って生きるとは、イエス・キリストが歴史の本質をご自身に担い給うた方(受肉)と信ずる信仰によって、歴史に深い関わりを持つことである。これは、キリスト論的歴史観ということができる。教会は、活けるキリストを信じ、ただ神の栄光を仰ぎ望むが故にこそ、キリストが受肉し、世を愛してその罪と暗さを身に負い給うた歴史に深い関わりと、責任をもとうとするのである。キリストが指差すその方向を共に視つめるのが歴史的洞察となる。

 

6.キリスト教地方史を考える
 キリスト教史は教会の歴史として把握されなければならないと言われているが、その背景となっている政治史、経済史、思想史的研究の成果を無視することはできない。ことにキリスト教地方史を研究しようとするとき、その社会的・風土的影響を考えずに教会の歴史を見ることは困難である。
 キリシタン時代の迫害によって当時蝦夷地と呼ばれた北海道に逃れ、礼拝を守り、小さな教会をつくったのは、切支丹のもつ固い終末論的信仰と、徳川幕府の徹底した迫害政策、そして松前に新しく発見された金山の採掘が可能にしたものと思われる。和親条約による箱館開港が、カトリックやハリストス正教会の宣教師に門を開き、諸外国の強い非難と外交があって高札が撤去され、プロテスタント宣教師の渡来を容易にした。これらの出来事の背後に神の深いご計画があったことは言うまでもない 。
 すなわち、教会と地域を二つの点として描いた楕円として見る視点が重要であることがわかる。ことに北海道では、アイヌ民族や、自由民権者たち、土工部屋で働いた人々等をキリスト教史との関わりで考えようとするとき、その視座を外しては出来ないことであろう。
 地方にはそこにしかない独自な生活や言語、文化を生み出してきたものがある。それは全体史に組み込まれることによって光を受け、同時にその特質を失うことも避けられない。しかし、やや狭く、微視的でも、その独自性を掘り下げることにより、逆に全体史に新たな光を与えるものとなることであろう。
 北海道キリスト教史においても、それを掘り下げることにより、日本キリスト教史を新たに理解し、チャレンジをもたらすと思われる。


7.時期区分
第一期 前 史  〔1617(元和3)年~1857(安政4)年〕
津軽に流されてきた切支丹が迫害を恐れて松前に渡ってきた。アンジェリス 神父渡来。千軒岳、大沢金山等での大殉教。ハリストス正教会イヲサブ司祭の千島伝道。
第二期 開始期  〔1858(安政5)年~1886(明治19)年〕
・ハリストス正教会のマアホフが領事館司祭として箱館に来た年、カトリックジラール神父が箱館に宣教師派遣を決めた年を北海道伝道開始期とみる。プロテスタント史としては、1874(明治7)年のM.C.ハリス(メソジスト)、W.デニング(聖公会)の来道から開始期とすべきであるが、キリスト教史としては、ハリストス正教会の宣教開始まで遡る。
第三期 教会形成期〔1886(明治19)年~1911(明治44)年〕
・開拓伝道の困難期から前進期。教会組織の整備、日本における教会形成。1886年・日本組合基督教会、1887年・日本聖公会、1890年・日本基督教会などが組織される。カトリック教会では函館司教区(1891年)が設置されている。
第四期 協力伝道期〔1901(明治34)年~1932(昭和7)年〕
・1901年に展開された20世紀大挙伝道、1914年からの全国協同伝道、1929年から32年までなされた神の国運動など、北海道でも各派協力伝道が盛んになされた時期である。
第五期 苦難期  〔1931(昭和6)年~1945(昭和20)年〕
・苦難期は、ファシズム化していく国情の中で教会は嵐の中に巻き込まれていく。満州事変、支那事変、太平洋戦争と非常時体制下に協力を強いられ、宗教団体法下の苦悶の歴史が続いた。1941年の宣教師強制退日、42年聖公会やホーリネスへの弾圧、43年の非戦論のため浅見一仙作の拘留、44年反戦主義容疑で小野村牧師逮捕など暗い日々であった。
第六期 戦後発展期〔1946(昭和21)年~〕
・焦土の中から天皇人間宣言、民主主義国家の誕生、平和憲法の制定、信教の自由が保証され、50有余派の教会が北海道伝道するに至った。

 

8.北海道に教会が形成されるパターン
①宣教師の伝道によって生まれた教会:日本伝道の熱意と祈りをもって本国のミッション本部から派遣された宣教師たちによってなされた。長い鎖国と切支丹禁止令の中で邪教観が身にしみている日本での伝道は、開拓者である宣教師の人物にかかっていたという一面がある 。
②開拓者たちによって生まれた教会:北辺の守りと殖産興国の施策によってたくさんの移住者たちが北海道開拓に応じてきた。その中には、キリスト教の信仰によって新理想郷土をつくろうとして入植してきた群れもいくつかあった。彼らは米国のピューリタンにならい、村の中心に教会堂を建て、学校を起こし、聖日厳守、禁酒、賭博禁止など高い倫理的生活を目標とした 。
③移住者たちによって生まれた教会:開拓者のように初めから同じ目的をもって来道した者ではなく、町の発展に伴い、それぞれに移住してきた者がやがて同信の友を見い出し、各家庭を回って集会を持ち励まし合っているうちに生まれた教会である 。
④邦人の伝道者が移住し、あるいは伝道旅行にきて生まれた教会:これは必ずしもそれぞれの教派が伝道計画をもって伝道者を送ったというよりも、他の理由で移住することになったか、個人の熱意によって伝道されたかによる 。
⑤各派の教団や教区(部会・中会)の伝道計画によって生まれた教会:後期にできる教会はほとんどがこの型に属する。教会の発展に伴い、道内にも中会や部会などの組織ができ、まだ教会が設立していない地域での伝道計画も立てられる。多くの場合はこの中会や部会の決議が全国の大会や年会に提案され、しばらくはミッションよりの補助を得て伝道者が送られる 。

 

9. 明治期の北海道キリスト教史の特徴
 明治期における北海道キリスト教史の特徴を見る前に、その時期の日本キリスト教史の特徴をまず押さえておきたい。
 明治期における日本キリスト教史は、その初期は超教派を旗印とする公会主義。十年代は自由民権運動キリスト教主義学校の設立、聖書翻訳など。二十年代は天皇制を中心とした国家主義との衝突、新神学による影響、各派形成。三十年代には無教会主義及びキリスト教社会主義の誕生、協力伝道の推進。四十年代には世界教会との交わり、三教会合同などを特徴としてあげることができる。
①北海道では、初期の公会主義はほとんどなかった。公会主義は1876年までで、その後は公会という名で設立される教会はなくなった。その時期に北海道に入っていたプロテスタントは、メソジスト教会聖公会だけであった。道内では1886年に設立された赤心社の浦河教会とバチェラーによるアイヌ公会がある。しかし、アイヌ公会は聖公会に属するという意味での公会であり、公会主義の公会ではない。赤心社においても積極的な意味で公会という名称を用いたわけではなく、指導者たちの出身に由来していただけであった。内容的には札幌独立キリスト教会にみることができる。
②十年代の自由民権運動も北海道ではみられず、同時期に札幌農学校に生まれた俊英な学生キリスト者たちの中にも、その動きはみられない。官立校であったことや民権を支持する社会的基盤がなかったことが考えられるがキリスト教史研究の課題の一つである。
③二十年代になって、土佐民権で挫折した指導者たちが、新しい理想を北海道開拓にたくしてきたときに自由民権運動と関わりを持つようになった。浦臼の武市安哉、北見北光社の坂本直寛、前田駒次、浦臼から移った遠軽の学田農場などの開拓者たちである。加波山事件事件などで集治監に送られた自由民権運動者たちの中には教誨師を通じてキリスト教に触れていく者たちが空知集治監などでかなりみられる 。この時期に同志社で信仰的働きの視野を社会改良にと目を向けさせられた卒業生十余名が、集治監の教誨師として来道し、彼らは激しい情熱をもって教誨の働きと共に伝道にあたっているが、その当時本州では伝道の衰退期であった 。新神学の影響も道内ではあまり見られず、その影響を最も受けていた同志社を中心とする組合教会も、北海道には本格的な伝道はしていなかった。
キリスト教主義学校としてはメソジストの遺愛女学校(1882年)、ハリストスの正教女学校(1884年)、カトリックの聖保禄女学校(1886年)、長老教会のスミス女学校(1887年)、聖公会の釧路英和女学校(1889年)、靖和女学校(1889年)、長老教会の静修女学校(1896年)などが建てられ、女子教育の先駆的働きをしている。

⑤北海道には5つの集治監が出来、重罪を犯したものとともに多数の政治犯も送られて来た。その中には自由民権運動で捕らえられた者も多く、集治監の中でキリスト教に触れ、獄中で信仰をもち、筆墨がないために血で聖書に懺悔を書いたものが残されている。
国家主義との衝突は、その偏狭性の故か、1891年の内村鑑三不敬事件を頂点として本州でみられた官憲の迫害や教勢の沈滞はあまり見受けない。もちろん、天皇制を中心としたナショナリズムキリスト教のもつコスモポリタニズムとの緊張関係は続いていくが、北海道は拓殖に急務であったため、思想・宗教を問題視する余裕がなかったと思われる。しかし全くなかったわけではない。1889年の帝国憲法発布記念祝賀行列を拒否した日本基督教会室蘭教会員の小学校教師が学校を追われるという事件があった。また1892年10月に「空知集治監の不敬事件」として東京の絵入自由新聞に報じられたことがある。これは当時集治監典獄となった大井上輝前の教化主義に反対する者たちによる全くの捏造であった。

⑦三十年代には、札幌バンドの内村鑑三による無教会主義の誕生がある。しかし、道内に無教会主義の聖書研究グループができたのは大正時代に入ってからであった。

キリスト教社会主義との関りは片山潜の北海道訪問が1899年にあり、札幌で協働店の設立に尽力している。彼は翌1900年にも来道し、各地で演説し、教会でも礼拝の説教をしている。「日本基督教団旭川六条教会65年史」をみると、1900年7月29日に六条教会で説教をしていることが出ている。彼は1906年頃の社会新聞に「自分は信徒の一人として、日本の教会の牧師・信徒諸君に忠告する。どうか社会主義を研究してもらいたい。もし諸君が注意して社会主義を研究したら、必ず自分の主張に賛成してくれるだろう。それは結局、キリストのために働くことになるのだから」と記しているので、おそらく、この北海道遊説の際の教会での話しでも社会主義について触れていたと思われる。片山の影響を受けた永岡鶴蔵は1897年に院内鉱山(秋田)から同志80名と共に夕張炭鉱に移住し、南助松と知り合って労働者のために力を合わせて働こうと誓い、1902年の春、大日本労働運動がやや衰微した時であったと言われている。彼らはキリスト教精神による社会運動として大日本労働至誠会憲法に次の4つをあげている。

 

1) 労働者の品位を高めること
2) 独立自営の精神を養うこと
3) 勤倹貯蓄を実行すること
4) 会員互いに相親しみ相助けること
 

 彼らは夕張だけではなく、道内各地の炭鉱をまわって呼びかけたり、さらには全国に遊説して日本炭坑夫組合をつくろうとしたり、有名な足尾銅山に大日本労働至誠会の支部をつくったりしている。永岡は一方で夕張に講義所を設け伝道にも励んでいる。後に夕張に派遣された小山恒次郎伝道師は社会主義研究会などをつくったりしている。

 協力伝道も北海道の各地で盛んになされた。1900年から20世紀を迎え、各派協力して20世紀大挙伝道が全国的に展開された。北海道でも中央からキリスト教界の名士が多数来道して、聖公会、メソジスト、日本基督教会、組合教会など各地で協力して伝道集会をもった。札幌では1週間連続集会をもち2570人が集まったと報じられている。

⑨四十年代では、三教会同が内務次官の呼びかけで神・仏・基の代表者が一同に会した。「北日本カトリック教会史」には時の内務大臣原敬は青年時代カトリックの信仰をもっていたので陰の力となったことであろうと書いている。これはキリスト教がはじめて公認された事件であるとも言われたが、他方国家主義との対決を避けて妥協した象徴であるとも批判された。しかし、北海道ではほとんど注目された形跡はみられない。

10.札幌とキリスト教

 札幌は、日本の多くの都市の中でもキリスト教色の強い町であった。繁華街の近く、大通や北一条通のあまり騒がしくないところに、主要な教会が点在していた。教会のある風景は、市民が見慣れた風景であった。信徒数は住民人口の2~3%というところだったが、信徒でなくても教会の幼稚園に通ったり、日曜学校に出席したことのある市民は多い。音楽会や講演会を聴きに行って、キリスト教会の雰囲気に触れたことのある市民は多かった。キリスト教が市民生活の中によく溶け込んでいたのである。

 クリスチャンだからと言って、爪弾きにされたり変人扱いされるおそれはなかった。しかし、ある時期から、こうした印象は徐々に薄れていく。ある時期というのは、高度成長の初期である1960年頃のことである。札幌の人口は1920年に10万人、1940年に20万人、1960年に52万人、1980年に140万人へと増加している。札幌に市制施行されたのが1922年であるが、戦前においては10万~20万都市、戦後高度成長以前は30万~40万都市であった。札幌という都市の特徴がつかみやすいのは、大体この時期までであって、それ以後の人口の急増と流動化、都市の巨大化は町の特質をわかりにくくしてしまった。現在、200万都市札幌の中では、いったいどこがキリスト教的なのか判断に苦しむところである。

 札幌で最初の教会は、札幌基督教会である。札幌農学校の関係者によって創立された。彼等はクラークによって信仰に導かれた農学校1、2期生が中心であり、札幌バンドと呼ばれる。内村鑑三新渡戸稲造、佐藤昌介、宮部金吾、町村金弥など、これらの名があまりにも著名であり、その印象が強烈なために、札幌のキリスト教は札幌バンドや札幌基督教会の後身である札幌独立基督教会と結びつけて考えられやすい。札幌農学校出身の有島武郎も、農学校の後身である農科大学の教師であり、キリスト教から離れるまでは独立教会の熱心な働き人であった。このことからも、札幌のキリスト教のイメージは、札幌農学校北海道大学+独立基督教会と結びつくことになったと考えられる。

 草創期の問題としては、クラークの伝道だけに目を向けるのではなく、英国教会海外伝道協会(CMS)の伝道活動や、アメリカン・ボード(米国海外伝道会社)の活動や、早くから函館に拠点をもったハリストス正教会カトリック教会にも目を向けなければならない。

 これらの様々な教会教派の影響のもとに、札幌のキリスト教会も展開したのであり、その結果として戦前の札幌にはプロテスタントとしては、札幌日本基督教会(現・日本基督教会札幌北一条教会)、日本メソヂスト札幌教会(現・日本基督教団札幌教会)、札幌組合基督教会(現・日本基督教団札幌北光教会)、札幌聖公会(現・日本聖公会札幌キリスト教会)などの教会が、さらに札幌天主公教会(現・カトリック北一条教会)と、札幌顕栄会堂(現・日本ハリストス正教会教団札幌ハリストス正教会)が併立したのである。これらの教会はそれぞれの個性と立場を守り、ときに協力し合いながら発展してきた。

 札幌が近代的な都市として形態を整えた第一次世界大戦後、札幌の諸教会も、それぞれ市民の記憶に残るような大会堂を持ち、市民生活に溶け込んで、揺るがすことのない地位を確立した。しかし、その後、太平洋戦争の数年前より思想統制が始まり、教会は理不尽な攻撃にさらされ、苦悶の時代となった。

 今日もなお、この受難に教会はどのように対処し、復興を迎えたか、それは、札幌キリスト教会史だけの問題ではなく、北海道のキリスト教会史、また日本のキリスト教会史としても捉え、更に検証し、次代に継承していく責任を私たち現代のキリスト教会は担っているのである。

 

【参考文献】

福島恒雄「北海道キリスト教史」日本キリスト教団出版局、1982年

永井秀夫、松沢弘陽「札幌とキリスト教北海道新聞社、1987年

 

 

みことばは

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"まことに、みことばは、あなたのすぐ近くにあり、あなたの口にあり、あなたの心にあって、あなたはこれを行うことができる。"
申命記 30章14節

"これこそ悩みのときの私の慰め。まことにあなたのみことばは私を生かします。"
詩篇 119篇50節

"あなたのみことばは私の足のともしび私の道の光です。"
詩篇 119篇105節

"みことばは、あなたがたを成長させ、聖なるものとされたすべての人々とともに、あなたがたに御国を受け継がせることができるのです。"   使徒の働き 20章32節b

 

 

 

「耳のある者は聞きなさい」

聖書箇所 マタイの福音書13章1節~23節
 
 

 今日から始まるマタイの福音書13章はイエス様の喩え話が詰まっている章です。そして、今日の箇所は少々長い箇所です。それで先に交通整理します。まず最初に、なぜイエス様は喩えを用いて語られるのかということについて、お話したいと思います。そして、後半で種蒔きのたとえについて考えたいと思います。
でも、その二つのテーマに共通することは、「聴く耳のある者は聞きなさい」ということです。それを抜きにしては次の喩え話に進めないくらい大切なお話です。それは、真のメシアであるイエス様の御国に入る者の資格に関わってくるからです。
 
誰でも天国か地獄かと言われると、天国へ行きたいものです。だから、イエス様は山上の教えで天の御国に相応しい者とは誰なのかについて語られました。そして、山から降りてからは、癒しや悪霊の追い出しなどの様々な奇蹟を通して、ご自分こそ、その天の御国を治めるメシアであることを表してきました。そして、ここに来て、その天の御国とはどういうものか、その奥義を教えてくださるというのです。そのために必要なのが、どのような耳、どのような心構えで聴くか。そして、その聞いたみことばをどのように扱っていくのか、ここに聞く者の姿勢が問われ、天の御国に相応しい生き方が問われているのです。
 
1.たとえを用いるイエス
 では、まずイエス様がたとえを用いる理由について考えてみましょう。そのことを弟子たちも10節で尋ねています。10節。
「すると、弟子たちが近寄って来て、イエスに言った。『なぜ、彼らにたとえでお話になったのですか』」
 弟子たちは、譬え話が群衆にだけ語られていると思ったようです。それに対してイエス様は、こう答えられます。11節。
「あなたがたには、天の御国の奥義を知ることが許されているが、彼らには許されていません」
 ここで「天の御国の奥義」とイエス様は言われています。この奥義とは、秘密中の秘密事項ということです。もとの言葉でミステリオンと言って、英語のミステリーの語源にもなっています。それも天国の秘密。だから誰にでもわかるようには教えられないのだということです。だから、それを知ることができるのは弟子である「あなたがた」であり、それを知ることを許されていないのは群衆である「彼ら」だということです。これは、一見、差別しているように聞こえますが、そうではありません。というのも、弟子と言うのは、前回お話した、キリストの兄弟姉妹です。家族だというくらい愛によって互いに労りあう関係です。しかし、そうでない人は、愛によって労り合うよりも、様々な先入観でイエス様を見て、その教えを聞く耳も不信仰と言うフィルターがかかっています。
 だから、譬え話と言うものは、その聞き方によって、真理を解明するために用いられたり、逆に謎めいたものへと変えてしまうものなのです。それは、見ていても見ず、聞いてはいるが聞かず悟らないところに問題があるからです。
 
 目の前で同じものを見て、同じものを聞いても、それを信じる人と信じない人がいます。特にここで言っているのは、聞いても悟らない人のことを言っています。イエス様は13節で「聞いてはいるが聞かず、また、悟ることもしない」と言い、またイザヤの預言を引用して「聞きはするが悟らない」と仰って、旧約聖書の預言が成就したのだと言われます。
 預言者イザヤの時代も預言者の語る言葉、すなわち神のみことばを聞きはするけれども、御心を悟らない人が大勢いました。それが後にバビロン捕囚として神様の裁きが下されました。そのときと同じように、真剣になって聴く耳をもって聞こうとしなければ、せっかく語られている奥義を受け取れなくるのです。その聞く耳を持っているかどうかで、例え話の役割が大きく変わって来るからです。
 現代の私たちに神様は、預言者ではなく、聖書を完成させて、聖書に御心を啓示しています。ですから、聖書のことばをみことばと言います。その聖書のことばも神様の御心を求めて、へりくだって素直に読まなければ、それは逆に分かりにくい、理解できない言葉になります。
 
 19世紀にキルケゴールいう哲学者が、実存的に聖書の言葉を捉えることを始めました。実存的というのは、私たち自身の個人個人の感じ方や受け取り方を重要視する考え方です。だから、聖書の言葉も神のみことばだと思う人にはそうかも知れないが、そう思わなければ、聖書は神のことばではないとする人間中心の読み方の自由が取り入れられるようになりました。だから、同じ目、同じ耳を持っているようで、実はその聞き方、見方が変わって来たのです。そして、それまで教会の権威であった神のことばである聖書が相対的なものとして扱われるようになったのです。
 
 これは大変恐ろしいことです。神様が望むようにみことばに聴かないということは、私たちを救おう、御心を教えよう、天の御国の奥義を理解させようと働く聖霊の働きを拒むことだからです。そのことを、「聖霊を冒瀆する」とも言います。それは赦されない罪であると、前々回学びました。かつて出エジプトのとき、エジプトの王様パロは、モーセとアロンを通して語られた主のみことばを故意的に拒んだために、そのあと益々強情になって、悔い改める機会を失いました。同じように、現代でも神様は聖書を通して御心を語ってくださっています。しかし、そのみことばに対して、悪意や自分の先入観、自分の読み方をやめないならば、聖霊を冒瀆することになるので注意が必要です。 だからこそ、聖書を読むときは、愛するお方からのラブレターとして、主への愛を持って素直に聞いていくことが求められているのです。
 
 だからこそ、あらためて私たちは天の御国を受け継ぐべく主イエスを信じたのですから、みことばに聞くとき、先入観や不信仰ではなく、愛する主のことばとして素直に読まなければなりません。そのときに、摩周湖の霧が晴れて、真に透明感のある美しい湖が見えていくように、これから語られる例え話が、神様の奥義を明らかにしてくれる大切な方法として用いられるのです。
 
2.種蒔きのたとえ
 ここでようやく「種蒔きのたとえ」のお話となります。イエス様も、18節で、譬えで話をする意味を説いた上で、「ですから、種蒔きのたとえを聞きなさい」と言われました。
 この「種蒔きの譬え話」自体は、3節から8節までにあり、その解説が19節以降となります。イエス様は船に乗って腰を下ろし、ユダヤ教の教師が教えるスタイルを取りながら、浜辺に立って聞いている群衆にお話されました。
 「種を蒔く人が種蒔きに出かけた。蒔いているとき、道端に落ちた種があった。すると鳥が来て食べてしまった」
 
 この時代のイスラエルの種蒔きは、種を蒔いてから耕したそうです。だから、当然、道端や岩地や、いばらの中に落ちる種があったのです。ですから、ここで言われている光景は当時の人々は誰でも経験上知っていることで、その誰もが知っていることの中に、イエス様は天の御国の秘密を織り交ぜて語られたということです。
 それで道端に落ちた種、岩地に落ちた種、いばらの中に落ちた種、そして良い地に落ちた種と大きく4種類の地での種の生育具合を用いました。そして、この4種類の土地が何を表しているのか。
それが19節を見ると「御国のことばを聞いても悟らないと」とありますので、先ほどのイエス様が言われた「聞いてはいるが聞かず、悟ることもしない」人と重なっています。同じように、そのほかの土地も、みことばを聴くけれども、そのあとのステップに問題があることは同じです。みんな神様のみことばを聞くけれども、そのあとの態度、状況に問題があります。
 
その中に、道端のような、そもそも不可抗力的に落ちてしまったように、興味もないけれどもたまたま聖書のことばを耳にしたような状況の人がいます。19節の後半で「道端に蒔かれるとは、このような人のことです」とありますから、この例え話での状況が私たちを表しているということです。
だから一つ目のパターンは道端に落とされているような状況の人です。ですから、その種である神のことばは雀かカラスのような鳥に食べられて終りです。それが、悪い者が来て、そのみことばの祝福を奪っていくという意味だとイエス様は解説しておられます。悪い者とは「悪魔」とも訳せる言葉ですので、悪魔や、悪魔が背後にいる人によって故意的に祝福を持って行かれるということです。それは、奪っていく悪魔は当然悪いですが、神のことばを人が踏みつけてしまうような場所に置いても平気だという、みことばに対する価値観も、そこに表されています。それは、種も石ころも同じと考えている人です。聖書の言葉も、人間の書いた他の本の言葉と同列に置いている状況です。そんな価値観だと、自分にとって、もっと気持ちの良い言葉に出会ったら、いとも簡単にみことばを捨てられるというふうにも言えるでしょう。これは日ごろから、神のみことばに対する価値が低い人です。今でいうと聖書を軽く見ていると言えるでしょう。
岩地に蒔かれるとは、みことばを聴くと、とりあえずは喜んで受け入れるが根っこが生えないので、枯れてしまう。それは、信仰を持ちたいと言いながら、困難があるとすぐにあきらめてしまう人のことです。岩地では、種が根を下ろすことができない状況を見過ごしているということですから、みことばを聴いていい話だと思いながら、それを自分に適用しようとしないということでもあります。自分の中に福音が広がることまでは受け入れないことです。「イエス様のお話はいい話」で終わってしまっている人のことです。
いばらの中に蒔かれるとは、みことばを聴いても、この世の中の風潮や価値観に支配されてしまって、みことばの素晴らしさが表に現れることを隠す人です。種も成長するには日光が必要であるように、邪魔をするいばらを切るとか、取り除くことをしなければなりません。同じように、自分の信仰を妨げるものに対して、戦おうとしないことはそれと同じでしょう。信仰の戦いを避けていては、信仰の成長は望めません。
 
しかし、良い地に落ちた種は百倍、六十倍、三十倍の実を結ぶと、約束されています。その良い地とは何か。それは「みことばを聞いて悟る人のこと」とイエス様ははっきりと仰いました。ですから、それ以外の道端に落ちた状況や岩地、いばらの地、すべてに共通する根本的な問題がやはり「みことばを聞いても悟らない」ことであるということです。
 
この「悟る」と訳されている言葉は、理解するとか、判別する、洞察する、わきまえるという意味があります。ですから、みことばに対して何も考えない。洞察しない。通り過ぎるだけならば、天の御国にはふさわしくないと言うことなのです。
この13章のイエス様の例え話の中心テーマは「天の御国は」ということで7つの例え話があります。すべて天の御国について述べられている例え話ですが、その最初にこの種蒔きのたとえがあります。それは、すなわちみことばに対する私たちの態度がどうあるべきか、そのことを問う例え話であるからです。
 
どうしてイエス様は、御言葉に対する態度についての例え話を最初にお語りになって、大事なことだ、天の御国の入口にある問題としてお話されたのでしょうか。それは、私たち人間の祖先アダムとエバが、天の御国のモデルであるエデンの園で堕落した原因があるからではないでしょうか。アダムとエバは、園の木の中で善悪の知識の木からは食べてはならないというみことばを軽んじて、悪魔の言うことを優先したからです。でも、もしアダムとエバが、その神様のみことばを思い巡らし、理解し、洞察し、わきまえていたら、悪魔が語っていた偽りに気が付いたでしょう。しかし、彼らは自分に蒔かれたみことばの種をわきまえず、その蒔かれた道端の状態から耕すことをしていなかったのです。
 
結び
私たちも、主のみことばに対する態度がいつも問われています。毎日、みことばは農夫である神様によって蒔かれています。しかし、そのみことばに絶対的な価値を認めつつ、求めながら、悟ろうとしているでしょうか。理解しようとしているでしょうか。
もしあなたの心が道端でも、岩地でも、いばらの地でも良いのです。最初はそれでも良いのです。なぜならば大切なことは、耕して良い地にすることだからです。耕すことは、御言葉が私たちのうちに広がる様に、願い祈り、聖霊の力に頼みながら、みことばを悟ろうとすることです。それはみことばを唯一の宝として理解すること、判別すること、洞察することです。天の御国とは、私たちが神のことばをどう考え、どう扱うかによって、その国民としての資格が問われているのです。これが天の御国の奥義です。
それはつまり、神のことばを愛しているかです。神を愛する者はそのみことばをも愛します。みことばに仕えるとはその文字に仕えているのではありません。それを語られた愛する神に仕えているのです。神に仕えるとは神を愛することです。
 
そのみことばを愛し、みことばに仕え、みことばを日々思い巡らしていく人生こそ、天の御国がそこに来ている歩みです。それは、最初のアダムの失敗を第二のアダムである主イエスが回復してくださったからです。このキリストが十字架で死んでくださり、私たちの罪を贖い、天の御国に招いてくださっています。ぜひ、この主のみことばに立って、聞く耳のある者として、今週もみことばを聞き、心の畑を耕してまいりましょう。最後に、みことばを一緒に読んで祈りましょう。
「ですから、すべての汚れやあふれる悪を捨て去り、心に植えつけられたみことばを、すなおに受け入れなさい。みことばは、あなたがたのたましいを救うことができます。」
ヤコブ1:21

2021年2月14日 白石教会礼拝説教

説教題 「キリストの兄弟姉妹」
聖書箇所 マタイの福音書12章46節~50節
 
 

 私たちは、今、このマタイの福音書をずっと一緒に読んできていますが、このマタイの福音書では、「天の御国」という言葉が度々出て来ていました。それはその天の御国の王がイエス様であること、特に、この12章に入ってからは、安息日の主、真のメシアすなわち、キリストであることを学んで来ました。
 それで前回、イエス様御自身が語られた「見なさい。ここにヨナよりも、ソロモンよりもまさった者がいるのです」という言葉に注目しました。そこであらためてイエス様こそ、真の王様、メシアであるということを受け取って来たと思います。
 それで、今日は12章の最後で、イエス様はお兄ちゃん、私たちは家族だというお話です。天の御国というととても大きな、想像を超えた王国、神の国というイメージを持ちますが、ここで急に家族という身近な社会にチェンジして、このマタイの12章は締められるのです。
 それはどうしてでしょうか。どうして、マタイはここに来て私たちの身近な社会である家族に切り替えて、「イエスこそ真のメシア、安息日の主」であるお話を閉めているのでしょうか。
 
1.イエスを恥ずかしがる家族
 45節までの件の中で、ここでイエス様のお話がこの46節で中断されたことがわかります。46節、47節をお読みします。
エスがまだ群衆に話しておられるときに、イエスの母と兄弟たちが、イエスに何か話そうとして、外に立っていた。すると、だれかが言った。「ご覧なさい。あなたのおかあさんと兄弟たちが、あなたに話そうとして外に立っています。」
 
 イエス様が「まだ群衆と話しておられるときに」とありますから、まさにお話の最中にということです。だれが中断させたのか。それはイエス様の家族でした。そのことを周囲にいただれかが教えてくれました。あなたのおかあさんと兄弟たちが、話そうとして外に立っていますと。
 このおかあさんはマリアです。カトリックでは聖母マリアと呼ばれているくらい、他の人とは別格です。その他、兄弟たちとは誰なのか。これは、イエス様がベツレヘムで生まれた後に、ヨセフとマリアの夫婦の関係の中で生まれた子たちです。その名前は13章55節に書いてあります。
この人は大工の息子ではありませんか。彼の母はマリヤで、彼の兄弟は、ヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダではありませんか。
 
 そして、56節を見ると「妹たちも」とありますから、妹も2人以上はいたということです。これが妹2人だとすると、イエス様が群衆にお話をしているときにお母さんのマリア、弟ヤコブを初め4人と合わせて、7人くらいの家族が来たということです。
 このとき、イエス様は30歳くらいですので、一歳おきか二歳おきくらいに弟たち妹たちがいたと思われます。ですから、そこそこ、当時の社会ではみんな大人です。この聖書の舞台になっているイスラエルでは、男性は13歳で成人であり、神の律法に対して責任があるとされていましたし、女性もそのくらいで結婚していたのです。マリアも、仮に15歳でイエス様を出産していたとすると、このときは45歳くらいでしょうか。
 
 そんな感じでイエス様の家族がやって来たというのです。きっと、イエス様がお話されていた場所が、家があったナザレから近かったのでしょう。でも、これを書いたマタイは「イエスに何か話そうとして」来たと記録しています。何を話そうとしたのでしょうか。その疑問を解くカギは、他の福音書を見るとわかります。同じ場面のことが書いてあるマルコの福音書を見てみましょう。マルコ3:21にこう書いてあります。
「イエスの身内の者たちが聞いて、イエスを連れ戻しに出て来ていた。「気が狂ったのだ」と言う人たちがいたからである。
 
 なんとイエス様の家族が来ていたのは、イエス様のことを「気が狂っている」と言いふらす人たちの言葉で傷ついていたからだったのです。お母さんのマリアにしてみれば、確かにイエスという息子は、神様によってお告げがあって、聖霊によって妊娠し産んだ子でした。それはわかっている。ヨセフにしても夢でお告げがあって、神様によって与えられた子として認識していたはずです。それでも、自分の息子として育てて来たはずです。
 
 きっと、そのあとも神と人とに愛されつつ成長していったと思いますが、ここに来て、お父さんの仕事である大工をやめて、神様のことを教える旅に出てしまった。マリアとしては、もしかしたら、家族がたくさんいますから、できれば家の仕事を手伝ってほしいと思っていたかも知れません。でも、イエス様も神が人の体をもって来ているということと、罪のない完全な人間であるということが一人のイエスとしていっしょになっていますから、その言動には神としての権威と、罪のない人間の模範として歩まれていることが、罪を持つ人間である私たちはすべて理解できるわけではありません。
 でも、これまで見てきたように、聖書に照らして観ると、23節にあるように、「この人はダビデの子なのだろうか」とメシアに結びつけて考えていけるのです。自分の基準、自分の経験や理解の中だけで判断するから「気が狂っている」と蔑むのです。
 
私たちも、この社会で、教会に行っているとか、クリスチャンですと言うと、「気が狂ている」と言われることがあります。特に、現代の日本社会では宗教はアクセサリーのようなもので良いと言われます。キリスト教に限らず宗教に本気で入信することを恐れます。特に、オウム真理教の事件があってから、信仰を持つことに対して、かなり危険視されます。だから、この地域では学校の周辺で教会のチラシを配布することは嫌がられるだけでなく拒否されたり、止められたりします。それは、洗脳されて気が狂っては困るし、その家族も皆不幸になると思われているからです。
マリアたち家族も、肉親である長男イエスがそのように言われるのが家族として堪えられなかったと考えられます。そして、そのような気が狂っている人の家族だということで、家族が嫌がらせを受けていたかも知れません。また、このときヨセフの姿がないので、ヨセフは既に死んでいたかも知れない。そうなると益々、心細くなっていたことは考えられます。
 
 しかし、その姿勢はイエス様の御心ではありませんでした。マリアたちは、イエス様と一緒に暮らしていたはずなのに、まだ真理に対して正しく向き合うことができませんでした。本当にカルト集団であるなら別です。しかし、聖書が示す真の神による真の救い主、メシアが救いを示しているのに、カルト宗教と一色単にして恥ずかしがることは、真のメシアとしては悲しかったと思います。
 
2.キリストの兄弟、母とは
 ここでイエス様は、その肉の家族を棄て去るようにこのように言われます。48節。
しかし、イエスはそう言っている人に答えて言われた。「わたしの母とはだれですか。また、わたしの兄弟たちとはだれですか。」
 
 ある意味、せっかく来ている家族に対して、イエス様は「その人たちは家族ではない」と言い捨てたのでした。ここを読んで、きっと家族に同情する人は多いと思います。家族にしたら、恥ずかしいから家に戻って仕事を続けてほしい。そんな思いがあってもおかしくないし、きっと、そう思っていたと考えられます。
 しかも「わたしの母、兄弟とは、だれですか」ととぼけているように、逆に質問されます。いったい、母とか、兄弟とか、どういう人のことを言えば良いのですかということでしょう。そして、言われます。49節。
それから、イエスは手を弟子たちのほうに差し伸べて言われた。「見なさい。わたしの母、わたしの兄弟たちです。
 
ここでイエス様は、ずっと一緒に旅を続けている弟子たちのほうに「手を差し伸べて」言われたとあります。それは、イエス様のことを恥ずかしい、またイエス様のことで非難されたくないと思っている肉親の家族ではなく、イエス様といっしょに、人間をとる漁師にしようと言われて、従ってきた弟子たちでした。
彼らは網を置き、舟と父親を置いて、または何もかも捨てて、立ち上がって従ってきた漁師たち、また取税人です。その彼らのことをイエス様はあえて手を差し伸べて、この人たちがわたしの兄弟なのだ。もっとも親しい、麗しい、一緒にいて嬉しい、かけがえのない家族なのだと言われたのです。
 
この弟子たちのことを、わたしの家族だと、わざわざ手を差し伸べて言ってくださった。これは、弟子たちにとって、どれほど嬉しかったことでしょうか。尊敬し、愛し、従ってきた先生から、あなたたちはわたしの兄弟だよ、家族だよと言ってもらえる幸せ。何よりも、前回まで、ずっとイエス様が証しされてきたことは、ご自分こそ聖書が指し示していた真のメシア、キリストである、安息日の主である、天の御国の王であるということです。
その偉大なお方、王の王、主の主、万軍の神である神の国の支配者であるキリストご自身に、わたしの家来だよではない、わたしのしもべだよでもない、わたしの兄弟、母、すなわち家族なのだという告白は、きっと彼らを生かしたに違いありません。
手を差し伸べてて言われたとは、口先だけではなく、きちんと彼らを見て言われたということです。だから、周囲にいた群衆にも「見なさい」と彼らを見るように命じているのです。それは、パリサイ人ならば、イエス様のことを悪霊に憑かれていると言い、マリアなどイエス様の家族の回りにいた人たちは気が狂っていると言って蔑みます。そして、肉親であるはずの家族すら、恥ずかしいと言って連れ戻しに来た。
 
 そんな中で、この弟子たちは、そうは思わず先生と慕ってついて来ているのです。イエス様は、そこで彼らのことを見なさいと言った上で、どういう人がご自分の家族なのかを仰います。50節。
天におられるわたしの父のみこころを行なう者はだれでも、わたしの兄弟、姉妹、また母なのです。」
 
 天のお父様である神様の御心を行う者が、イエス様の家族なのだ。それは、つまり、かけがえのない兄弟なのだと言われる。これはまさに弟子たちに対するラブコールです。愛の告白です。このようにイエス様は、主を信じる者を益々愛し、その存在を尊く扱ってくださるお方、真の神なのです。
 では御心を行う者というのは、どういう人のことなのでしょうか。これまで、見てきた中で、何が父の御心だったのでしょうか。それは、この文脈で見るならば、主イエスを恥じないということです。そして、主イエスを信じるときに起こって来る迫害や誹謗中傷にもひるまず、ついて行くということではないでしょうか。特に、赤の他人よりも身近にいる人に言われる方が辛いです。私たちが信仰を持つことを、家族が恥ずかしがったり、馬鹿にしてきたり、警戒することがあります。それが一番つらいです。しかし今日のみことばからわかるように、まずイエス様が、その辛さを味わってくださっているのです。だからイエス様御自身が、このような体験を通ってくださり、同じような境遇にある人の模範ともなっておられたのです。というのも、このイエス様の家族たちは、このときはイエス様のことを恥ずかしいと思ったかも知れませんが、最終的には、皆、イエス様を真のメシアであると信じて殉教をも恐れない信仰者となりました。
 マリアはキリストの母として、主イエスの十字架、復活、昇天後も弟子たちとともに歩み、カトリックでは聖母マリアと言われるほど尊敬されています。またヤコブは、初代教会の指導者として活躍し、エルサレム教会の責任を持ち、伝説では彼は祈りの人で、彼の膝はらくだのこぶのようになっていたと言われています。またヤコブの手紙の著者であり、最後は殉教したと言われています。また、ユダという人もユダの手紙の著者であると言われていて、おそらく名が出ていない兄弟姉妹たちも、それぞれ最終的には兄であるイエス、真の救い主であるイエスを信じて、御心を行う者。つまり、真にキリストの家族とされていったのです。それは、なぜか。それは主イエスご自身がその家族を一度捨てたからです。
 「わたしの母とはだれですか。また、わたしの兄弟たちとはだれですか」と。
 
結び
 それは単に冷たくしたわけではありませんでした。あえて取り戻すために一度手離したのでした。それは御自分のみことばのとおりです。マタイ19:29
「わたしの名のために、家、兄弟、姉妹、父、母、子、あるいは畑を捨てた者はすべて、その幾倍を受け、また永遠のいのちを受け継ぎます。」
 
 私たちも主イエスのゆえに、握りしめているものを手放す時が必要です。握りしめている以上、せっかく用意されている祝福、永遠のいのちは遠くなり、その家族にすら届きません。しかし、主を信じて、主の辱めをも、ともに受けることを喜んでささげるならば、手放したものは必ず、幾倍の祝福となって戻って来るのです。あなたの肉の兄弟姉妹、母も父も、主イエスにある兄弟姉妹とされ、天の御国を受け継ぐ者とされるのです。
 
 私たちは、今日もこの幸いなキリストの兄弟姉妹として招かれています。ですから今日、主はあなたにも手を差し伸べて言われます。「見なさい。わたしの母、わたしの兄弟たちです」

2021年2月7日 白石教会礼拝説教

説教題 「見よ まことのメシアを」
聖書箇所 マタイの福音書12章38節~45節
 
 

 先週、何が心に満ちているかという題でメッセージしました。悪霊か、聖霊か。そのことによって、イエス・キリストというお方を見る目も変わって来るからです。その目を先入観と言ったり、不信仰と言ったりもすると思います。
 聖書も、読む私たちに、いつもチャレンジを与えています。このようなことが本当に起こるのか。本当に起きたのか。神は本当におられるのか。私達は本当に罪を持っているのか。イエスというお方は神なのか、人間なのか。聖書は真実か。本当に神の言葉なのか。ある神学者が言いました。聖書の疑問を解くのは簡単なことだ。それは、神を信じ、全能の神が与えた啓示として、へりくだってそのまま信じることだと。
そこに、人間の理性で理解できないこと、受け入れられないことだと言って、人間の理解の中に引き込んで解釈しようとするから矛盾に見えたり、誤った先入観によって誤った仮説をもとに誤った解釈が生まれるのです。
 
 イエス様の周囲にいるパリサイ人たちも、同じような思いになっていたと考えられます。目の前で、中風の人が癒されて立ち上がることや、悪霊につかれて目も口もきかない人がいやされたりすることを目の当たりにして、本当は、そのような癒しや悪霊の追い出しの奇蹟こそが真のメシアである証明であったのに、信じないばかりか、悪霊の力によって行っているのだとケチをつけるありさまでした。
 前回は、そのようにメシアとしての証明にケチをつけ、信じるように導く聖霊を冒瀆していることを見てまいりました。
 
 今朝の箇所は、これまでのイエス様のしるしとしての奇蹟をさんざん見て来た人たちの言葉からのお話です。彼らはイエス様のなさることを群衆に混ざってしるしを見ていた人たちです。そのしるしを行うイエスこそ真のメシアである証拠だと、福音書記者マタイはイザヤ書42章を用いて指し示していましたが、ここに来て、あらためて、そのことを主イエスご自身が語られる。そういう場面です。「見よ、わたしこそまことのメシアなのだ。」そのことをともに味わってまいりたいと思います。
 
 
1.しるしを求める姦淫の時代
 38節
そのとき、律法学者、パリサイ人たちのうちのある者がイエスに答えて言った。「先生。私たちは、あなたからしるしを見せていただきたいのです。」
 
群衆に紛れていた律法学者、パリサイ人たちがイエス様に求めました。「しるしを見せてほしい」と。この彼らの態度は、もっと、誰もが納得する刺激的な奇蹟を見せてくれたら真のメシアであると認めようということです。それも自分たちの理解に合ったしるしです。これまで、さんざん癒し、奇蹟を目の当たりにしてきたはずなのに、それだけでは足りないということです。
 
ここに、人間の罪深さを見ます。人は見えない神様を見るようにして生きるように造られました。しかし、神から離れ、神の御心よりも自分の心を第一にしていったときに、人は自分の目に見える神々を作るようになったのです。もともとは、神の息が鼻から吹き入れられて生き物となって、霊によって神と交わるようにされていたのに、肉眼で見えるものが全てという物質的な動物に堕落したのです。
 
だから、目に見えることでのみ判断するのです。本来は与えられていた霊によって、霊の目、霊の耳によって知っていくべきなのに、神から離れた結果、霊性が壊れてしまいました。だから、聖霊の助けが必要なのです。しかし、それさえも拒んで、冒瀆し、さらに目に見える刺激を求める。ここに、私達にもある、肉の心、物質主義を覚えさせられます。
 
エス様は山上の教えで言われました。「心のきよい者は幸いです。その人たちは神を見るからです」と。そのきよさが失われているからこそ、神様が聖霊によって助け舟を与えてくださっていることを、もう一度覚えたいと思います。
ここでイエス様はお答えになりました。39節、40節。
しかし、イエスは答えて言われた。「悪い、姦淫の時代はしるしを求めています。だが預言者ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられません。ヨナは三日三晩大魚の腹の中にいましたが、同様に、人の子も三日三晩、地の中にいるからです。
 イエス様は、そのしるしを求める姿勢を「悪い、姦淫の時代」であると強いお言葉で言及されています。それは、律法学者やパリサイ人たちは表向き聖書を学び、ユダヤ人たちの指導者でもあり、だれよりも神に対して信仰が篤いと思われていながら、実は神を信じているのではなく、宗教者としてのプライドに立っているに過ぎない。それは神を愛しているのではなく、おきてをきちんと守っている自分が凄いという、自己中心の偶像に仕えていることへの指摘です。神以外のものに執着しているならば、それが偶像礼拝であり、神様に対する姦淫の罪です。この世を愛するか神を愛するか。自分を愛するか神を愛するか。
 
パリサイ人たちは自分の行いに立っていました。律法を守っているという自分を誇っていました。そのような行いに立つ信仰には、いつも目に見える成果主義が伴います。きちんとできているか、見えるようにその成果を誇るのです。それこそ、自分が信仰者であるしるしなのだと。だから、より刺激の強い、目に見える業を求めます。際立つしるしを要求するのです。
 
 しかし、イエス様は、ここでメシアのメシアである究極のしるしについて言及を始めるのです。それが「預言者ヨナのしるし」です。
 昨年、11月にヨナ書を4回に分けて講解説教しましたが、その2回目の時に、預言者ヨナが体験した魚に呑みこまれたことをお話しました。それは本来ならばありえない出来事です。人が3日間もたとえ大きかったとはいえ、魚の腹の中で生き続けることは。だからしるしなのです。つまり、そのことはイエス様の十字架の死を表す出来事でした。しかし、モデルに過ぎませんからヨナは実際には死んでいません。三日間、死のような経験を通して神様に再献身して吐き出されるのです。
 
 その出来事こそ、まことのメシアとしてのしるしなのだ。それは、「人の子も三日三晩、地の中にいる」とあるからです。このことは、十字架刑のあと墓に葬られることと、その霊がよみにまでくだることを意味していると考えられます。真のメシアこそ、実は死とよみがえりを通して救いをもたらすお方であるということです。
 
 事実イエス様は、私たち罪人の身代わりに十字架に磔にされ死んで、墓に葬られ、よみに下り、三日目に死人のうちよりよみがえりました。しかし、このときのパリサイ人たちにはわからなかったでしょう。まことのメシアが苦難のしもべであることを。
 イエス様はそのように聖書の先生でありながら、聖書に掲示されている本当のメシアを正しく知らず、信じないパリサイ人たちに、さらに聖書を用いて、ご自分こそメシアであることを述べられます。
 
2.まことのメシアを受け入れる
 41節、42節を読みます。
ニネベの人々が、さばきのときに、今の時代の人々とともに立って、この人々を罪に定めます。なぜなら、ニネベの人々はヨナの説教で悔い改めたからです。しかし、見なさい。ここにヨナよりもまさった者がいるのです。南の女王が、さばきのときに、今の時代の人々とともに立って、この人々を罪に定めます。なぜなら、彼女はソロモンの知恵を聞くために地の果てから来たからです。しかし、見なさい。ここにソロモンよりもまさった者がいるのです。
 イエス様は、ここでさばきのとき、つまり「言い開きをする場面」でイスラエル人であるあなたがたよりも、異邦人であるニネベの人たちや、ソロモンの時代の南の女王があなたがたにまさっているのだ。むしろ彼らの方が天の御国にふさわしいことを告げます。
 それはどうしてでしょうか。それは、ニネベの人たちはヨナの説教だけで信じて悔い改めたからです。南の女王も、ソロモンの噂を聞いて、その知恵を聴くために遠路はるばる時間もお金も、労力も使って、自分を犠牲にしてもやって来たということです。
 それなのにパリサイ人たちは目の前にまことのメシアが現れても信じないどころか疑い、蔑み、冒瀆した。信じようとしている人をも妨害していました。
 
 ここでイエス様が仰りたいことは何でしょうか。それは、この41節と42節で繰り返されていることです。つまり、「しかし、見なさい。ここにヨナよりもまさった者がいるのです。」「しかし、見なさい。ここにソロモンよりもまさった者がいるのです。」
 それは、見よ、わたしこそ真のメシアなのだということです。ニネベの人たちは、イスラエル預言者であるヨナの説教だけでも悔い改めた。南の女王は、小さなイスラエル王国の王様ソロモンの知恵が聞きたいというだけで、遠い道のりをわざわざやって来た。しかし、目の前に本物の救い主が現れているというのに、これ以上のしるしはないはずなのに、あなたがたは信じない。
 
 それは、どうしてか。それは、先週のお話に繋がりますが、何に心が満ちているか、支配されているか。その問いがまだ続いているからです。
 そのことをあらためてイエス様は喩えを用いて語られます。43節から45節。
「汚れた霊が人から出て行って、水のない地をさまよいながら休み場を捜しますが、見つかりません。そこで、『出て来た自分の家に帰ろう。』と言って、帰って見ると、家はあいていて、掃除してきちんとかたづいていました。そこで、出かけて行って、自分よりも悪いほかの霊を七つ連れて来て、みなはいり込んでそこに住みつくのです。そうなると、その人の後の状態は、初めよりもさらに悪くなります。邪悪なこの時代もまた、そういうことになるのです。」
 
 それは、私達自身の心の中を家に譬えています。心の中というよりも、私達の体も含めた人格と言った方が良いのかも知れません。それは、支配されるときは、それが心だけの問題ではなくなるからです。神様に支配されたとしても、悪霊に支配されたとしても、その支配は必ず言動に現れるからです。
 
 もともと私にも悪霊が住んでいました。その状態は、以前にお話したエクソシストの映画のようにオカルト的な状態ばかりが悪霊の支配ではありません。一見、善良そうに振る舞っているように見えて、実はいつも腹黒いこと、淫らなこと、そして神は必要ないとする価値観で満たされているということもそうです。それで、とりあえずは自由だと思っていました。しかし、悪霊に満たされているとは言っても、そのお部屋のかたちは神のかたちをしていますから、いくら悪霊で充満しているように見えても、決して満たされません。
 そこであるときに、聖書に出会いました。すると聖書を読み教会に行っているうちに、段々と私という部屋が家畜小屋のように汚れていることが分かってきました。みことばの光に照らされて、汚いところがよく見えるようになりました。しかも、その掃除をするために来て下さったのがイエス様だとわかると、イエス様をお迎えして、悪霊は出て行き、きれいになりました。
 
 でも、悪魔はほえたける獅子のように食い尽くすべきものを探し求めながら動きまわっていますから、ときどき、ピンポーンとやって来て、消火器買いませんかとか、布団買いませんかとかやってくるわけです。必要なものだと思わせて買わせようとするのと同じように、礼拝しなくてもいいんじゃないとか、聖書は毎日読まなくても大丈夫とか、楽で自由だと思わせて、骨抜きにします。
 家が片付いていますから、消火器でも布団でもインターネットでもどんどん買っても置けてしまいます。そのうちにせっかく片付いていた部屋が、以前よりもごちゃごちゃになって、家畜小屋よりもひどいゴミ屋敷になるのです。「その人の後の状態は、初めよりもさらに悪くなります」と言われている通りです。
 
結び
 ここで、大切なのはきれいに片付いているうちに、きちんと次の行動を始めることです。具体的に言うならば、イエス様を信じてきれいにしてもらったら、洗礼を受けて礼拝に来続けることです。そして、毎日、お祈りして聖書を読んで神様と交わることです。さらには教会の平日の集会にも参加して、悪霊が住むスキを与えないことです。そうすれば、主のみことばがあなたを守ってくれます。
 使徒パウロはこのように言っています。
「キリストのことばを、あなたがたのうちに豊かに住まわせ、知恵を尽して互いに教え、
互いに戒め、詩と賛美と霊の歌とにより、感謝に溢れて心から神に向かって歌いなさい。」
コロサイ3:16
 これは、キリストを信じてきよめていただいたときに、素直にキリストをお迎えし、キリストでいっぱいにしようということです。パリサイ人たちは、その人格さえも悪霊に支配されてしまいました。それは聖霊の助けを拒み、神のみことばよりも自分の価値観や判断を優先させ続けたからです。それでもイエス様は、彼らにこのように語っているということは、彼らの目が開かれることを願っているということです。イエス様は、どんな罪人も頑なな人をも招いておられるということです。
 
 それは、単に病気を治したり、悪霊を追い出す力を持っているだけでなく、そのような罪人、神を冒涜するような人だからこそ救うために、その罪を負って、十字架で殺されるために来られた救い主だからです。そういう、私のため、あなたのために死んで黄泉にまで下り、神様の裁きをその身に受けることで救う真のメシアだからです。だから、主イエスを信じるならば、どんな罪も赦されて神のこどもにしていただけるのです。
 これが、真のメシアであるしるしです。真のメシア、キリスト救い主は、あなたのために死ぬお方。そして、三日目によみがえるお方。これが真のメシアのしるしです。
 
 今日、イエス様は言われました。
しかし、見なさい。ここにヨナよりもまさった者がいるのです。見なさい。ここにソロモンよりもまさった者がいるのです。見よ。真のメシアを。

 

祈り