日本メノナイト白石キリスト教会

聖書からのメッセージをお届けします。

◎特集「旧約聖書に見るイエスと神の御国について」

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序)主イエスは、主の祈りの中で「御国が来ますように」と祈られた。この祈りは、果たして新約においてのみ有効なのだろうか。いや、そうではない。天地創造から黙示録まで貫かれた神の偉大な計画の完成を願うという、人類の救済とそこから召された者の使命として最も崇高な祈りである。主イエスによる旧約聖書における御国建設の業を今一度考えてみたい。

 

I. 天地創造
A. 初めに(神の普遍的統治)
1. 天地創造におけるイエスの関与
 「初めに、神が天と地を創造した。」(創世記1:1)この大いなる御業の初めから御子はおられた。それは「初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。」(ヨハネ1:1)というみことばによって裏付けられる。御子はまだ名を現してはおられなかったが、人間を創造されるとき、聖なる独り言を仰せられた。「さあ人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて。」(創世記1:26)

 

2. 天地創造における神の住まい
  このときまで、神はどこにおられたのか。私たちが知る限り「地は茫漠として何もなかった」(創世記1:2)という神の住まいは「やみが大水の上にある」という神の国であった。神の霊が水の上を動いていたという御霊の様子を示す表現は、いささか私たちにはわかりにくい。しかしわかることは、神は、茫漠で終わらない新しいご自分の王国の建設を始められたということである。

 

B. エデンの園
1. 園を歩く神としてのイエス
  神は天地を創造され、地にエデンの園を置いた。神は、そこに人間をお造りになり、人間との交わりを始められた。しかし、人間は神に背き、神から身を隠した。そのときの神のエデンの園における様子が描かれている。「そよ風の吹くころ…園を歩き回られる神である主」(創世記3:8)とは、まさに主イエス受肉前とはいえ、そのようなお姿で神としておられたとしても不思議ではない。2世紀に活躍した教父エイレナイオスも、エデンの園を定期的に歩き回りアダムと交わりを持っておられたのは「ロゴス」。つまり、第二位格の御子だと言っている。

 

2. エデンの園における御国の型
 人間は罪を犯し、神が与えてくださったエデンの園を追放されてしまった。そして、その神は、入り口にケルビムを配置し(創世記3:24)、人間が簡単に戻れないように閉ざした。それはまさに、エデンの園が神とともに住む神の御国であったことの証拠である。これによって、エデンの園の場所は私たちの目には見えなくなった。そして、その後幕屋の至聖所として、そこに近づくことの難しさをイスラエル民族を通して学ばせられる。ところが神は、「女の子孫」によって人類の救済プランを明かされた(創世記3:15)。

 

II. 出エジプト~カナン
A. わたしはある
1. モーセに現れるヤハウェとしてのイエス
 ヤハウェなる神は、燃える柴の中からモーセに語られた。そして、その名を「わたしはある」と仰せられた。その声は最初御使いであったが、いつの間にか神になっていた。この神こそ、新約においてἐγώ εἰμι と語られたキリストである。主イエスは度々、ἐγώ εἰμι を用いられ、ご自身が燃える柴の中からモーセに語ったYHWHであることを現された。

 

2. 幕屋礼拝に見る御国の型
 主は荒野で40年間イスラエルの民を訓練された。その訓練の最も重要なテーマは「礼拝」であった。かつてエジプトにいたイスラエル人たちは、必ずしも純粋に主なる神を礼拝していたわけではなかった。だから約束の地に入るまでに、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である主がどれほど聖なるお方であり、どのように礼拝すべきお方かを学ぶ必要があった。それで、主はモーセに幕屋を造るように命じ、荒野を進み行きつつ、主を礼拝するためには罪の贖いを続けなければならないこと。そして、ひいては約束の地で主を礼拝して、主こそ神であることを世界中に証しするためであった。それは即ち、神殿礼拝のための訓練であり、来るべき御国における礼拝の予表であった。

 

B. ヨシュアによるカナン攻略
1. ヨシュアの役割にみるイエスの姿
 旧約におけるイエスは、人物を通してであったり、出来事を通して、その姿を現す。パウロによれば、律法は信仰による義に至るまでの養育係であった。律法はあくまで私たちを御国に至るまでの養育係であり、御国に至る手段はあくまで主イエス・キリストを信じる信仰によってである。それは、まさしくカナンの地に至るまではモーセイスラエル人たちの養育係であり、カナンへ入ったのはヨシュアによるものであったことと類比できる。御子はヤハウェなる神としてヨシュアを導きつつ、やがて自ら信仰の創始者であり完成者として成される「信仰による義」としての救いの業を重ねていたのである。

 

2. カナンに見る御国の型
 カナンの地は別名「乳と蜜の流れる地」であった。それは神が与えられた約束の地としての期待と希望に溢れた、安息の楽園のようなイメージであった。しかし、実際には偶像を崇拝しているカナン人が住み、砂漠や荒野に囲まれた地であった。夢に見た楽園には程遠かった。しかし、このカナンの地への旅こそ、将来、訪れる新しい天と新しい地を先取りした、祝福の旅であり、祝福の土地だったのである。荒野で幕屋によって唯一真の神である主を礼拝することを学んだイスラエルの民は、いよいよ、更に具体的なヤハウェ礼拝へと向かっていくことになる。

 

III. 王国時代とバビロン捕囚
A. イスラエル王国(神の特別統治)
1. ダビデ王家の確立とイエス詩篇2:4~6参照)
 神がアブラハムに約束されたことは、ダビデの家系に繋がっていく。ダビデ王こそ、主に油注がれた者であった。その王座は堅く立ち、その治世は永遠に続くという主の約束がソロモンよりも力のある王である主イエスの王国を指し示すものであった。だからこそ、マタイはその福音書の1章に、ダビデ王家の系図アブラハムから記し、イエスこそ来るべきキリストであったことを証明している。主がダビデとの間で結ばれた契約は、主の一方的な恵みの契約である。これは、将来におけるイエスの十字架の犠牲にフォーカスさせる。

 

2. 神殿礼拝にみる御国の姿
 ダビデが準備した神殿は、すべて心から主を喜んで進んでささげる者たちのささげものによって造られた(Ⅰ歴代29:9)。ダビデの後を継いだソロモンがその神殿を奉献した。栄光の雲が神殿に満ち、主の臨在が現された(Ⅱ歴代5:14)。この神殿こそ、イエスご自身の型であり、御国における礼拝のひな型である。しかし、ソロモンが建てた神殿はバビロンによって破壊され、捕囚後における神殿建設において、イスラエルは神を礼拝する喜びを改めて教育させられた。

 

B. 預言者とバビロン(終末的側面)
1. 預言者が指し示すイエスの姿
 イザヤ書記者は、イザヤ書の中で4つの「しもべ」の預言をしている。その姿は主イエスを指し示している。特に苦難のしもべとしての描写は預言とは思えないほど、具体的で詳しい。だれがこのしもべをメシアだと認識していただろう。預言は、未来のある一定の出来事の予告だけでなく、何重もの歴史的事実が重なっている場合があるため、イザヤが預言していた時代に近いところで第一の成就があったのかも知れないが、旧約聖書において詳細な主イエスの情報を知り得る貴重な預言である。そういう意味では、45章のクロス王についての記述は実にユニークである。それは、あきらかにペルシャのクロス王を指していると同時に、それだけでなく主イエスを指し示す意味も含んでいるからである。それは、ユダ王国のバビロン捕囚と解放、帰還について書かれていると同時に、終末的な神の御国に至る預言でもあるということである。

 

2. 来るべき御国の姿
 ただし、イザヤ書における御国の描写は、どことなくエデンの園の再来のような地上における被造物の回復に留まっているように見受けられる。猛獣が子どもと戯れるなどは、まさにその善い例である(イザヤ11:6~8)。35章の様子は、荒野に水が湧きだし、荒れ地に川が流れるなど、自然界のバランスが回復していく様をよく現している。しかし、エゼキエル書の描写は、地名は既存のものであるが、その様子は常識を超えた広がりを感じさせる(エゼキエル47章)。
 イスラエル民族にとって、これらの預言はこの地上における歴史の延長上にある世界への希望だったのかもしれない。期待されるメシアもイスラエル王国も、現在のイスラエル共和国の上に成り立つというイメージである。しかし、聖書はイエスをキリストとして、既に神の国の到来を宣言し、同時にやがて訪れる完成された神の王国を待ち望むことを語る。 
それは、Laddが言うように、「神は王であるが、同時に王となる必要もある」ということと繋がる。

 

結論)主イエスは、新約聖書だけの主ではなく、天地創造の初めから父とともにおられ、また神としてその業に関与された。アダムとエバの罪をご覧になり、人類救済のプランを計画したとき、父なる神とともにおられたひとり子の神である。神は、人間と交わることを望まれ、共に住む王国の建設を目指された。そこに、犠牲の子羊としてのイエス・キリストを予定され、旧約聖書の中でイスラエル民族を通して、その輪郭を現してきたのである。だから私たちは、その主イエスの輪郭とやがて来る神の御国の輪郭を、旧約聖書の中から味わうことができる。 
  それによって、ワルトケが言うように「神はイエス・キリストの王権を通して、自ら選んだ契約の民のうえにご自分の支配を確立しようとされた。」ということを理解することができる。それは現在、クリスチャンという個人の中に、また教会の中に建てられた御国であり、同時にキリストの再臨によってやがて完成される御国である。


文責:川﨑 憲久

 


   

序論
 今日の箇所からは、新しい世界での生き方を学びます。それで今日は大きく二つに区切って読みたいと思います。
  きょうの説教の一つ目のポイントは、(1~7節)前回の礼拝を受けての「神様からの祝福」について聞いていきます。二つ目には、(8~17節)「新しい契約にある恵み」について考えたいと思います。
それでは、1~2節をもう一度読みます。

 

1.祝福のことば
「それで、神はノアと、その息子たちを祝福して、彼らに仰せられた。「生めよ。ふえよ。地に満ちよ。野の獣、空の鳥、――地の上を動くすべてのもの――それに海の魚、これらすべてはあなたがたを恐れておののこう。わたしはこれらをあなたがたにゆだねている。」
 ここの神様のことばは8章の21節以降の続きのことばです。しかし、8章21節以降のことばはあくまで神様の心の声でした。それはノアの礼拝を通してなだめられて、ノアを祝福しようとする思いをつづったものでした。そのノアの礼拝による感動がことばになって、この9章に続いているわけです。その第一声は何でしょうか。それは「生めよ。ふえよ。地に満ちよ。」でした。どこかで聞いたことがあるフレーズです。これは前回も触れましたが、天地創造に戻ったかのような思いになる言葉です。
 神様は、人類の再出発を祝福して、まさに再創造したということで、この言葉を語られたのです。しかも、この9章では2回言われています。それは7節です。
「あなたがたは生めよ。ふえよ。地に群がり、地にふえよ。」
 これはつまり、繰り返しであり、同時に同じ意味の祝福のことばで、大事なものを挟んでいるサンドイッチ構造になっています。ここが一番最初の天地創造とは違うという意味でもあります。神様はノアの礼拝を祝福した。そして、その献身に感動して祝福しました。それも「生めよ。ふえよ」と。だからどんどん子孫を増やしていくことを神様は望まれているし、結婚も出産も神様は祝福されているということです。それで二回も繰り返して言われました。
 でも、この再出発は何かが違います。天地創造のときと違う点は何か。それは罪を持った人間から始まるということです。しかも、今度は一家族から始まります。つまり罪の性質を持った集団からの再創造ということです。ですから、神様は、いい人たちだけが残ったから良かったねと言って、両手離しで彼らに任せはしませんでした。確かに、この2節では「野の獣、空の鳥、――地の上を動くすべてのもの――それに海の魚、これらすべてはあなたがたを恐れておののこう。わたしはこれらをあなたがたにゆだねている。」と言われていますが、それをどのようにするか、その基準を定めておかないとまた混乱が起きてしまうでしょう。
 そこで、神様は契約を結ばれるのです。今日は特別に聖書に見る契約の歴史という図を配りました。左上のエデンの園から始まって、罪が入ったことで死がもたらされました。それで堕落がきわまったために大洪水でのさばきがありました。それがその図の一番下の部分です。そして、今日のところではノア契約のことをお話しています。
 最初の契約、アダム契約をみなさん覚えているでしょうか。それは、園のどの木からでも食べても良いけど、善悪の知識の木の実は食べてはならない。食べると死ぬ。これが最初の契約であり、たった一つのルールでした。しかし、そのたった一つのルールは最初の人アダムに委ねられていました。それを妻や子どもに伝えるかどうかはアダムにかかっていたと言っても良いでしょう。しかし、そのあと悪魔の誘惑があって罪が入り、人間は神のことばよりも自分の考えを優先することになりエデンの園から追い出されました。それで無法地帯で人間は増えていき、しまいには堕落して滅ぼされたのです。それがノアの大洪水です。
 だから残った人たちは良い人たちだから良かったねと言いたいですが、そうではない。罪の性質を持った人たちが生めよ、増えよでどんどん増えたら大変です。そこで、更に神様はルールを設けました。それが3節以降です。
「生きて動いているものはみな、あなたがたの食物である。緑の草と同じように、すべてのものをあなたがたに与えた。」
 まず食べ物の枠を植物だけでなく動物にも広げました。天地創造以来、食べて良いのは木の実など植物に限定されていました。しかし、ここで神様は動物も食べて良いという許可を与えました。それはどうしてでしょうか。大きく二つのことが言えると思います。それは、洪水後約1年が過ぎて、周囲に食べられる木の実などの植物が少なかったと言えます。畑を作って実りを期待したとしても、とてもすぐに食べられる物はできません。また動物たちが食べる分もありますから、食料不足を補うためだったかも知れません。これはあくまで憶測です。第二の理由は、罪ある人間たちから始まる再出発ということなので、血を流すことの責任、血を流すことの意味。動物のいのちを奪って自分が生きるという、いのちの原理を自覚させるためだったとも言えます。そのことが4~5節に書かれています。
「しかし、肉は、そのいのちである血のあるままで食べてはならない。わたしはあなたがたのいのちのためには、あなたがたの血の価を要求する。わたしはどんな獣にでも、それを要求する。また人にも、兄弟である者にも、人のいのちを要求する。」
 アダムの契約は罪を犯す前に交わされた契約で、原則的なことしか言われていませんでした。そこでカインが弟アベルを殺したときに、アダム一家はどうして良いかわからなかったでしょう。そういう人たちが増えていって、自分の考えで良し悪しを決めていった結果堕落したわけです。だから人を殺しても何とも思わなくなっていた可能性があります。そこで神様は、そうではいけない。人間をはじめとするすべての生き物のいのちは何よりも尊い。そのことをこれから始まる人間社会の大原則にしたのです。それがこのノア契約の特徴ではあります。それはすべての被造物のいのちへの思いやりにも繋がっていきますから、ノアにそれらをゆだねていこうと言われた意味が見えてきます。
 私たちは、いのちを大切にする。それは自分のいのちも他の人のいのちも、そして他の生き物のいのちもです。4節のみことばから輸血拒否をする宗教団体がありますが、その解釈は間違っています。血のまま食べることと輸血を混同してはなりません。むしろ、いのちの危険がある人に対して、自分のいのちである血液を差し出すことこそ、主のしもべの姿です。「人がその友のためにいのちを捨てるという。それよりも大きな愛はない」とイエス様が言われたようにです。イエス様ご自身が、ご自分を犠牲にして十字架で血を流して、その血を私たちに注がれました。その血は永遠のいのちとして、キリストのいのちとして今、私たちのうちにあるからこそ、今こうして救われた者として恵みを受けているのです。
 それで、新しい洪水後の世界では、社会の中で人の血を流す者への責任を問うことになりました。6節。
「人の血を流す者は、人によって、血を流される。神は人を神のかたちにお造りになったから。」
 このことばは、個人の復讐を認めているのではありません。「目には目、歯に歯」の本来の意味を告げているのです。このことが更新されてモーセの律法ができるともっと鮮明に書かれています。
「レビ24:20 骨折には骨折。目には目。歯には歯。人に傷を負わせたように人は自分もそうされなければならない。」
 やられたらやり返すのではなく、やってしまったら同じことをされなければならないということです。ですから、ここから人間社会における刑罰の正当化が始まります。人間社会に神様が与えた権威としての剣のことです。このことについてはまた違う機会に学びたいと思います。
 このように、神様は罪の性質を持った人間たちが正しく治めていけるように、大原則を与えたのです。その原則をもって、生めよ増えよと言われたのです。
 次にその契約の恵みについて見ていきましょう。
9~11節を読みます。

 

2.契約の恵み
「さあ、わたしはわたしの契約を立てよう。あなたがたと、そしてあなたがたの後の子孫と。また、あなたがたといっしょにいるすべての生き物と。鳥、家畜、それにあなたがたといっしょにいるすべての野の獣、箱舟から出て来たすべてのもの、地のすべての生き物と。わたしはあなたがたと契約を立てる。すべて肉なるものは、もはや大洪水の水では断ち切られない。もはや大洪水が地を滅ぼすようなことはない。」
 この契約の特徴の一つは、いのちを大切にすることが中心であることは先程言いました。それは全ての生き物をひっくるめてのいのちであります。この9~11節の契約の言葉にも、ノアと家族だけでなく、すべての生き物も含めての契約を立てると書いてある通りです。だから、人間は責任を持って、動物のいのちも気遣って食べなければなりません。また気遣って殺して服を作らなければなりません。その上で、神様はもう洪水で滅ぼすことはしないと言われました。
 しかし、現代はもうすでに絶滅した動物が多く存在することを私たちは知っています。そして更に絶滅危惧種も多く存在していることも知っています。それは、人間による乱獲から始まり、人間による公害、開発によるもの。また外来種による在来種の駆逐によるものです。自然界の生態系を壊しているのは人間です。それはいのちを軽んじるところが出発点になっている。それをこのノア契約を通して知ることができます。
 それで神様は、契約を人間とすべての生き物との間に結ぶに当たって「虹」を与えました。12~14節。
「さらに神は仰せられた。「わたしとあなたがた、およびあなたがたといっしょにいるすべての生き物との間に、わたしが代々永遠にわたって結ぶ契約のしるしは、これである。わたしは雲の中に、わたしの虹を立てる。それはわたしと地との間の契約のしるしとなる。わたしが地の上に雲を起こすとき、虹が雲の中に現われる。」
 契約が口先だけで終わらず、かたちとして記憶されるためにしるしとして虹が与えられました。
虹のことを英語でレインボーと言います。それはレイン(雨)とボー(弓)の合成になっています。雨のあとに現れる弓という意味なのでしょうか。旧約聖書の原語であるヘブル語では、虹も弓も同じケシェトという単語が使われます。旧約聖書の中で稲妻が神の矢として比喩的に用いられている箇所があるので、神の怒りがおさまって、その弓が置かれた状態が虹に表されているという説もあります。
 いずれにしても、神様の怒りが止み、祝福がそこに表されていることをまず覚えたいと思います。虹を見て、神様との平和、そこから来る平安(シャローム)を覚えて、特別な気持ちにさせられるのは、聖書を信じている人の特権だと思います。
子どもたちが小さい頃に聖書かるたをよくしました。その読み札のことばを今でもよく覚えています。「虹は平和のお約束」ぜひ、今日、メッセージの全てを忘れても、この言葉はぜひ覚えて帰ってください。「虹は平和のお約束」
 ここに神様のノアたちに対する祝福の御心が溢れています。契約を交わすだけでなく、それを思い出すためのしるしとして虹を与えてくださったからです。しかし、それだけではありません。今日の箇所から、大きく三つの恵みを受け取りたいと思います。
  それは、まず「契約」という恵みです。9節以降7回も使われています(最初は6:18)。先週の祭壇とか全焼のいけにえと同じように、この契約という言葉もノアの箱舟のお話の中で初めて使われています。それは、特に罪を持った人間たちが社会を築いていく中で必要なことだからです。
  現在、私たちは多くの契約の中で生活しています。そしてそれは法律というものによって統制されています。その法律は一見面倒臭いとか、細かくて厳しいという面はありますが、でもその法律があるから、そこに契約があるから守られているのも事実です。

   車を運転する人は大抵、保険の契約をします。その契約のせいで毎月ある一定のお金を払わなければなりませんが、それによって、事故を起こした場合でも、その規則によって守られて大金を払わずに済むというのも、契約のおかげであり、それを定めた法律のおかげなのです。このように、人間の社会に多くの法律があり契約があって、私たちは互いにバランスをとりながら、平和を保とうとしているのです。その大原則が、今日のノア契約であることを覚えたいです。ただしアダム契約も生きていることを前提にしなければ、いくら良い法律を作っても脱法しようとする力に負けてしまうでしょう。今は、善悪の知識の木はないですが、アダム契約の基本的なおきては生きています。それは自分の考えや知恵知識ではなく、神のことばを優先するという大原則です。神のことばから離れるならば、どんな立派な知恵も力も何の意味を持ちません。あくまで神のことばを第一にする上におけるいのちの大切さであり、社会制度、そして契約なのです。まさに、この世の社会の決まりはそもそもが神様がノア契約の中で言われたことから始まっているのです。だから、神様を信じている私たちは、神様のことばを第一にして初めて、この社会の決まりとの調和を実践できるのではないでしょうか。
  この神様との契約もまた、続くアブラハム、シナイ、ダビデ、そして新約までそれぞれがその都度なくなるわけでなく、その次の契約ごとに更新されて、最後の新しいイエス様による契約で成就します。そこに完成した神の国があり、今の私たちが聖霊の助けの中でその建設に関わっているのです。それが教会の時代です。
  そして二つ目の恵みは、契約のしるしである虹が、真っ青な晴天の中で見るのではなく「雲の中に」あるということです。13節、14節、16節にも、「雲の中に」と書いてあります。それは、どういうことでしょうか。これは読み込み過ぎかも知れませんが、やはり初めから言われているように、この再出発は天地創造のときとは違って、罪の性質を持った人たちからの再出発でした。ある意味、すっきり晴れてはいない状況かも知れません。その不安な要素を持っているからこそ、そこに現された虹の意味が際立つのではないでしょうか。
  私もこの春、神学校を卒業したばかりの新卒牧師です。暗雲どころか雷雲か台風の雲かも知れません。でも神様はそんな中に虹を与えて、主の約束を信じるように示されているのではないでしょうか。皆さんも、これまでの歩みの中で様々な問題を抱えつつ4月を迎え歩んで来られたのではないでしょうか。それは教会のことだけでなく、それぞれの家庭や夫婦や兄弟や職場や学校の中で、暗雲立ちこめた状況があったのではないでしょうか。しかし、主はそこに虹を現してくださる。そこに神様の約束を示してくださる。それは信じる者には祝福が必ずあるという約束であり、その問題の中にあっても主の契約に生きることこそ希望であり祝福であるということではないでしょうか。なぜなら、神様との契約は、すべてその契約の主体が神様にあるからです。私たちが契約を忘れても神様は忘れません。今週のみことばにもあります。
「主は、ご自分の契約をとこしえに覚えておられる。
お命じになったみことばは千代にも及ぶ。 」 詩篇105篇8節
  主はご自分の契約をとこしえに覚えておられる。私たちは忘れてしまうかもしれない。しかし主は責任をもって覚えてくださる。今日の三つ目の恵みはまさにそこです。今日の説教題は「契約を思い出す神」としました。今まで見てきた、契約のしるしの虹。「虹は平和のお約束」と覚えてきた虹のことを神様はどのように言っておられるでしょうか。それは16節。
「 虹が雲の中にあるとき、わたしはそれを見て、神と、すべての生き物、地上のすべて肉なるものとの間の永遠の契約を思い出そう。」
  神様は忘れるお方でしょうか。神様は虹を示して、「あなた方人間は罪深く神のことばも忘れるだろうから虹をしるしとして与えた」とは言わなかったのです。ご自分が虹を見たときに永遠の契約を「わたしは思い出そう」と言われるのです。なぜでしょうか。神様は忘れっぽいお方なのでしょうか。そうではありません。それは、虹が出たときに、当然私たちはそれを見て、神様との平和の契約を思い出し感謝するでしょう。そのとき、その虹を神様ご自身もいっしょに見ているよ。そして、あなたを祝福してるよ。安心して歩みなさいと仰っているのではないでしょうか。しかし、もし私たちが忘れたとしても、神様は誠実にその約束を果たされるのです。私たちが不真実でも、主はいつまでも変わらず真実なお方だからです。

 


  それは契約の歴史の中で常にそうでした。アブラハムが罪を犯しても、イスラエルの民が堕落しても、ダビデが罪を犯しても神様の契約は変わらず履行されました。そして、最後の契約であるイエス様は、十字架にかかってそれをすべて成就しました。そして契約のしるしとして、今、私たちはパンとぶどう酒によってそれを記念しています。ですから、今の私たちにとっての救いの契約のしるしはパンと杯に表される主の死と復活であり、イエス・キリストご自身であります。
 今、聖霊が与えられ、完全な契約に入れられた私たちは、今日、16節のことばを自分のことばにしたいと思います。これは私たちが言うべきことばを神様が先立って語ってくださった。その言葉だからです。 
「 虹が雲の中にあるとき、わたしはそれを見て、神と、すべての生き物、地上のすべて肉なるものとの間の永遠の契約を思い出そう。」
 今週も私たちにとっての虹である主イエスを新しい契約の主として崇めてまいりましょう。

 

 

◎ローマ人への手紙 アウトライン

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【参考文献】
田吉三郎「ローマ人への手紙」『新聖書講解シリーズ6』(いのちのことば社, 1996年)、尾山令仁「ローマ教会への手紙」(羊群社, 1990年)、
泉田昭「ローマ人への手紙」『新聖書注解新約2』(いのちのことば社, 1981年)、ロバート・リー著「輪郭的聖書」(伝道出版社, 1989年)
吉田浩二「旧新約聖書通論テキストブック」(厚別福音キリスト教会, 2015年)、メリル・テニィ『新約聖書概観』(聖書図書刊行会,1996年)
トムソン, デヴィッドソン共著, 大島末男訳「ローマ人への手紙」『聖書注解』(聖書同盟, 1987年)

 

 

 

 

 

 

文責:川﨑憲久

 

 

 

 

◎特集:教父「ヨアンネス・クリュソストモス」

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1.生涯
 ヨアンネスは4世紀の神学者コンスタンティノープル大主教キリスト教会最大の説教家として知られる。聖書解釈学者としては、アレクサンドリア学派の比喩的、思弁的解釈を退け、アンティオキア学派の伝統を踏まえて字句通りの解釈を主張した。聖餐を重要視したことから聖餐博士の称号をもつ(1) 。
クリュソストモス(κρυσοστομος)とは名前ではなく、ヨアンネスの死後につけられた(2) 「黄金の口」を意味する尊称である。 
344年、または349年にアンテオケで、ローマ帝国近衛軍人の父親と母親アンテューサの間に生まれた。しかし、母アンテューサが二十歳のとき、父親は死に、それ以降はアンテューサによって献身的に育てられた(3) 。
ヨアンネスは18歳で洗礼を受け、聖書と神学を学んだ。371年頃教会の聖書朗読者となるが、隠匿生活を志し、荒野の洞窟に2年間、聖書の言葉を瞑想しつつ過ごすが、厳しい禁欲生活によって健康を害してしまった。その後、町に帰り381年に執事に任ぜられ、386年に司祭となった。そのあとアンテオケの説教者となり説教者としての名声を博した。
 397年、ヨアンアネスは意に反してコンスタンティノポリスの総主教に選ばれ、398年その任に就いた。彼はコンスタンティノポリスの陰謀や圧力には屈しなかった。首都の道徳水準を引き上げようとするヨアンネスの努力は強烈な反対に合った。皇后エウドクシア、ヨアンネスを厳しすぎるとした地元の聖職者たち、首都に迎えられたアンテオケの聖職者たちを妬んだアレクサンドリアの総主教テオフィロスらが協力して、ヨアンネスに反対した。
 彼らは403年のオーク会議でヨアンネスを罷免し、皇帝もそれを承認し追放した。しかし、コンスタンティノポリスの市民は、ヨアンネスを支持して暴動を起こしたため、皇帝は驚き、翌日にはヨアンネスを呼び戻した。
 ヨアンネスの説教は一見無愛想とも言える勇敢なものであったが、皇后エウドクシアはそれに腹を立て、再度ヨアンネスを亡き者にしようとした。皇帝は彼に教会の公務から退くように命じたがヨアンネスが拒否した。ところがある日、ヨアンネスが洗礼を行うために求道者会を開いていたときに、彼は兵士らによって連行された。このとき多くの受洗予定者らが負傷した。この追放命令は、407年9月14日にヨアンネスが死ぬまで続いた。彼の死後遺骨は438年になってようやく使徒教会に埋葬された。

 

2.背景
 当時のキリスト者にとっては、名説教家の説教を聴くことが一種の娯楽となっていた。その中で教父と呼ばれる人々の大多数は司教であり、説教する機会を多く持っていた。聖書の連続講話、洗礼志願者の信仰教育のための連続講話、典礼の暦に沿った祝祭日・主日のための説教、葬儀説教といった多くの形式の説教がたくさん残されている。長さもまちまちで、20分くらいのものから1時間以上かかっただろうと思われるものもある。
 そのくらい、当時の教父のだれもが説教に力を注いでいたことがわかる。しかも、説教の内容が、キリスト者としての生き方について相当厳しいことが語られていた。
 3世紀以前には既に教会は財産を持ち始めていたが、教会を維持するパターンを変えたのは4世紀からの並外れた教会成長であった。自主的な献金が依然として教会収入の重要な部分を占めていたが、コンスタンティヌス以後は、政府補助による寄付金が収入の大部分を占めるようになり、初期においては、これらの収入は主教にのみ割り当てられ、乱用される結果になった。つまり、ローマの国教となって保護され、国家と歩調を合わせるようになってから、教会は様々な部分でキリストの香りを失っていったのである。
 
3.神学的貢献
 ヨアンネスは、黄金の口と賞賛されたほどに、語られてきた多くの説教は現存するだけでも数百はあるという。その説教はギリシャ語聖書の意味に対する洞察と、聴衆への適用能力において優れており、説教学において不朽の貢献と言われている(4) 。
 
4.思想
 ヨアンネスは、一人のキリスト者として、言葉と態度においてぶれることなく、一貫した歩みをした人物である。首都コンスタンティノポリス大主教となっても驕ることなく、他の指導階級の人々のような贅沢や毎晩の遊興に染まることなく、聖潔に努めた。特に彼が移り住んだ司教館が、前任者による華美な調度品に溢れていたところを全て撤去し刷新したが、彼のそのぶれない姿勢、信仰は宮廷に対しても向けられ、その反感を買い宗教的、政治的圧力を加えられても怯まなかったのである。
 ヨアンネスがコンスタンティノポリスの司教に任ぜられたとき、首都コンスタンティノポリスには、大勢の異端者が群れをなしていた。彼は早速、異端者の一掃に乗り出した。ヨアンネスは一般の人々に対しては物分りが良かったが、異端者に対しては頑固で、冷酷だったと言われ、イエスを十字架にかけたユダヤ人に対しても攻撃的であった。説教の中でも、時折、激しくユダヤ人に対して攻撃し、排斥することが語られていたという(5) 。
 また彼は、自分の不運に屈することがなく、自分のことよりも人のことを心配し、慰め励ましている。特にオリンピアスという女性信徒に宛てた17通の手紙にヨアンネスの信仰の姿勢、キリスト者としての立ち方、その思想を知ることができる。
「私はあなたの悲しみの傷を癒し、暗い雲を追い散らしたいのです。落胆してはいけません。恐れなければならないことはただ一つしかありません。それは罪です。私は繰り返しあなたのために歌い続けます。陰謀、憎悪、侮辱、告発、追放、抗争といったものは一時的なものに過ぎません。魂には何の危害も与えることはできません。禍が最高潮に達するとき、神は一挙にすべてを平穏に戻し、思いも及ばない平安へと導いてくださいます。」
「あなたは神の巧妙さがわかりますか。神の英知がわかりますか。人間に対する神の愛と配慮がわかりますか。心を動揺させず、心を乱さないでください。あらゆることで神に絶えず感謝し、賛美し、祈ってください。倒れた人々を立ち上がらせ、迷った人々を導き、躓いた人々を安心させ、罪人を変容させ、古くなったものを新しくすることが主にはおできになるからです。」
 以上のようにヨアンネスは、聖職者や為政者などの指導階級に対しては厳しく、庶民に対しては深い憐れみをもって対していたことがわかる。


5.知的・霊的遺産
①多くの説教集
 彼の「立像をめぐる第二の講話」は、「何を話し、何を語りましょうか。今この時は涙の時であり、言葉の時ではありません。嘆きの時であって、語りの時ではないのです。熱弁ではなく、祈りが必要です」という言葉で始まる。この説教は、四世紀末のアンテオケにおける市民暴動を背景としている。社会の混乱と対立を嘆き悲しみつつ、慰めのメッセージを伝えている。「ですから落胆せず、嘆くこともせず、逆に今この苦しみを恐れることもしないようにしましょう。自らの血をすべての人のために流すことを拒まず、その肉とともに血までも分かち与えた方が、われわれの救いのために何を拒むでしょうか……」
 また説教の中から名言として知られているものもある。
「明日の朝にしようなどと言ってはならぬ。朝が仕事を仕上げて持ってきてくれるわけではない。」
 また、復活祭説教のひとつは、今も尚、東方正教会において復活大祭典礼の一部に取りいれられている。
著書に『司祭論』『彫像について』などがある。

②東西教会に今も尚影響を与え続けている存在
 クリュソストモスの祈り(クリソストムの祈り):聖公会祈祷書
「いまこの共同の祈りに心を合わせて祈る恵みを与えてくださった主よ、
あなたはみ名によって心を一つにする我々二人または三人に、
み心にかなう願いを遂げさせてくださると約束されました。
どうか私らの願いをかなえて良しとされ、今の世では主の真理を悟り、
後の世では永遠の命の恵みにあずかることができるようにお願いします。
アーメン。」

 

【脚注】

(1)ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典(2017年10月18日閲覧)
(2)一方、人々が聖イオアンを「金口」と呼ぶようになったのは、ある時説教中に聴衆の一婦人が「心霊の師、いや金口なるイオアン、あなたが堀られる聖教の井戸はあまりに深く私たちの短い知識はその底に達することができません。」と叫んだ事に由来するとも伝えられている。(出展:正教時報聖人伝一覧2017.10.19閲覧)
(3)ファーガソン, E, 「カラーキリスト教の歴史」(いのちのことば社, 1979) p.191
(4)ファーガソン, E,前掲書, p.191
(5)教皇ヨハネ・パウロ2世は、このヨアンネスの言葉からユダヤ人に対して取ってきた厳しい態度を謝罪した。ヨアンネス自身も自分の欠点を認めており、自らの虚栄心について、嫉妬心について、激しやすさについて告白している。(出展:小高毅「父の肖像」ドン・ボスコ社, 2002)

【参考文献】
ハーレイ,H,ヘンリー,聖書図書刊行会編集部訳『聖書ハンドブック』聖書図書刊行会, 1984年。
『カラーキリスト教の歴史~クリュソストモス』いのちのことば社, 1979年。
小高毅『父の肖像‐古代教会の信仰の証し人』ドン・ボスコ社,2002年。

 

◎特集レポート:制度によらない「一つの教会」(舟喜 信著)

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【要約】


A. 序論 
 新約聖書におけるキリスト教会は、「制度によらない一つの教会」を歴史的事実として表している。しかし、それは多くの主の教会を結び合わせる外的な組織がなかったということで、必ずしも当時の各地域教会にまったく組織的な営みがなかったというわけではない。むしろ、後に拡大し強くクリスチャンたちを結び合わせる組織的、制度的な営みが当初よりあったことは明らかである(使徒6章、15章等)。このような中で「制度によらない一つの教会」は、歴史における事実であり、その歴史を通して語られる教会の事実であった。それは、大きな勢力として組織化された教会を持って現されるものではないし、行き過ぎた多様化によって壊されることもなかった。それは、信仰によって起こされていく教会としての行動が、正しく果たされていくための枠組みであり、この原理は現代の教会とその業のために掲げるべき前提である。

 

B. 教会の聖書に見る原則
 現代の教会が聖書に忠実であろうとするとき、新約聖書に記されている教会の姿にそのまま戻ることはできない。教会政治におけるかたちも何が最も正しいスタイルか明確に支持する文言を見つけることはできない。その本質は、教会の形態よりも教会の存在自体の在り方において問うているのである。パウロが育てた教会は、何れも「一つの教会」として実を結ぶ苦悩を経験した。しかし、それは一致を生み出す苦悩ではなく、もともと一つとされている群れが相応しく整えられるためのものであった。つまり、地域教会が一つでなければならないということではなく、既に教会が一つであるという事実が、教会の在り方を決めていくために大きな意味を持っているのである。そのために、教会が聖書的であることは、教会の在り方の全領域において問われ、理解され、生きなければならない事実である。

 

C. 「一つの教会」であること
 クリスチャンは地域の群れにありながら、同時に「いたるところ」(Ⅰコリント1:2)にいるクリスチャンたちと同じ群れに繋がっている。この二重の立場があるという理解がエクレシアという言葉の用いられ方によっても明らかにされている。家の教会も一地域のクリスチャン全体も、全てのクリスチャンを含む全体もすべてエクレシアである。それは各地域教会が大きさに関わらず、その地に現された「一つの教会」としての性格を持っており、小さな教会が大きな教会の下部組織ではないということであり、「一つの教会」は全地域教会の総和ではなく、一つの地域教会が教会全体をその地において代表しているのである。

 

D. 「一つの教会」となること
 地域教会がそれぞれ特色を持ち違って見えるものがあったとしても、それは「一つの教会」であることの妨げになるのではない。なぜなら、教会が一つであるのは、同じ福音によって存在しているからである。福音は隔たりを取り除く力であり、「一つにする力」である。教会は福音によって一つにされているという、その一点において成立しており、十字架の和解なくして本来の一致はない。「一つの教会」は教会の状態を表わすというよりも、あらゆる違いを一つにする福音の働く場であると言える。それは単に個々のものを一つとするだけでない、一つとされたものが一つのものとして実を結ばせる聖霊の業である。「一つの教会」自体が聖霊の働きだからである。初代教会が味わった、教会内の分裂とそれを癒すための働きは、外に向かう和解の福音による分裂を癒す働きと同時進行である。多くの人が一つとされた地域教会は、内部的にもまた外部に対しても一つとなる業を成し続けるのである。パウロは教会の分裂を目の当たりにして、本来別々の者たちが一つにされることによって起こる緊張状態の現実を知った。それは教会には多様な階層の人々によって構成されているという現実である。

  だからこそ和解の福音によって一つとされる意味があり、変革され続けるべき責任を、この世の現実にあって負っているのである。

 

E. 結論
 パウロが伝道旅行中に各地域教会から集めたエルサレム教会への献げものは、各地域教会が群れとしてエルサレムの教会の人々と一つであることの証しであった。これは既に制度によらない教会が一つであって、そのゆえに何を考え、いかに行動するかを決める能動的な力の現れである。この現実が世界へと拡大したとしても、本質において変わるべきことではない。組織や制度化によって一致が表現される状況においても、本当の一致は、既に一致している事実に参与し、一つの教会とその業の中に生きることによって知るべきである。また、この世に対しても、教会は教会の外の世界と生き生きとした関係を持ちながら、「一つであること」を拡大する働きをいつも続けている。それは、教会はあくまでもこの世にあり、この世に手を伸ばし続ける存在だからである。


"1さて、主にある囚人の私はあなたがたに勧めます。あなたがたは、召されたその召しにふさわしく歩みなさい。
2謙遜と柔和の限りを尽くし、寛容を示し、愛をもって互いに耐え忍び、
3平和の絆で結ばれて、御霊による一致を熱心に保ちなさい。
4あなたがたが召された、その召しの望みが一つであったのと同じように、からだは一つ、御霊は一つです。
5主はひとり、信仰は一つ、バプテスマは一つです。
6すべてのものの上にあり、すべてのものを貫き、すべてのもののうちにおられる、すべてのものの父である神はただひとりです。"
エペソ人への手紙 4章1~6節

 

聖書 新改訳2017

 

                                                  (文責:川﨑憲久)


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「情欲の問題」コリント人への手紙 第一7章1〜9節

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1,さて、「男が女に触れないのは良いことだ」と、あなたがたが書いてきたことについてですが、
2,淫らな行いを避けるため、男はそれぞれ自分の妻を持ち、女もそれぞれ自分の夫を持ちなさい。
3,夫は自分の妻に対して義務を果たし、同じように妻も自分の夫に対して義務を果たしなさい。
4,妻は自分のからだについて権利を持ってはおらず、それは夫のものです。同じように、夫も自分のからだについて権利を持ってはおらず、それは妻のものです。
5,互いに相手を拒んではいけません。ただし、祈りに専心するために合意の上でしばらく離れていて、再び一緒になるというのならかまいません。これは、あなたがたの自制力の無さに乗じて、サタンがあなたがたを誘惑しないようにするためです。
6,以上は譲歩として言っているのであって、命令ではありません。
7,私が願うのは、すべての人が私のように独身であることです。しかし、一人ひとり神から与えられた自分の賜物があるので、人それぞれの生き方があります。
8,結婚していない人とやもめに言います。私のようにしていられるなら、それが良いのです。
9,しかし、自制することができないなら、結婚しなさい。欲情に燃えるより、結婚するほうがよいからです。

 

 

  主イエスは言われました。

"しかし、わたしはあなたがたに言います。情欲を抱いて女を見る者はだれでも、心の中ですでに姦淫を犯したのです。"
マタイの福音書 5章28節

  情欲は人を支配して、姦淫を犯させます。主イエスは、女性を見て心の中で情欲を抱くだけで、それは既に姦淫の罪を犯していると断言されます。これは、人にとってかなり痛いところを触れられていると私は思います。よく若い人に対して情欲の問題を取り上げることがありますが、老若男女問わず、主イエスは情欲についての弱さをあえて取り上げているのです。詩篇119篇9節で「どのようにして若い人は自分の道を清く保つでしょうか。あなたのおことばどおりに道を守ることです」と言われていますが、それは全ての人の課題でもあります。

  それは、全ての人にまず罪の自覚を持たせることが必要であるからです。その罪に私たちを向き合わせて、罪からの解放が必要な存在であるということを気づかせるためなのです。だからこそ主イエスはその罪を負って十字架にかかり死んでくださった。その身代わりの死を通して、私たちの全ての罪を贖われるためだったからです。だから、イエスを信じる者は、その罪の報酬としての死で終わらず、永遠のいのちが与えられるのです。

  ではキリストを信じて救われた人は、もう情欲の問題は解決できたのかというと、そうではありません。確かにキリストが十字架にかかり罪を負って死なれた。それで信じた私たちは、もうその罪によって滅びることはなくなりました。だから、罪に囚われて歩む必要はなくなりました。更にキリストを信じることで与えられた聖霊によって、御霊の賜物として自制も与えられていますから、救われる以前よりも御霊の助けによって自制力が増していることも確かでしょう。しかし、私たちクリスチャンはその御霊の賜物によって完成されるときを願いつつも、まだ途上であり、工事中のお互い様でもあります。その工事中の私たちの完成に向かっていくための心得をパウロは語っているのです。

  この心得を疎かにしているなら、たとえクリスチャンだとしても、サタンの誘惑に負けることもあるからです。

 それでパウロはこう言っています。5節後半。

「これは、あなたがたの自制力の無さに乗じて、サタンがあなたがたを誘惑しないようにするためです。」

  私たちは完成を目指している工事中の人間です。ですから、それぞれ工事中の人間として注意を怠ることは大変危険です。工事中の家でも道路でも、必ずその現場には、工事標識が置かれ、周囲もバリケードで覆われます。それを解かれるのは完成してからです。

 それと同じように、私たちも工事中であることを自覚して、霊的なバリケードを必要としているのです。

  それでパウロは情欲をコントロールするためには結婚しなさいと勧めます。これは結婚の目的が情欲をコントロールするためのものとして限定しているわけではありません。あくまで、情欲を抱きやすい人に対するバリケードとしての結婚の一側面を言っているのです。

  それは私たちが自分自身を守るために必要な施策だからです。だからパウロ自身もこのことを命令とはせずに譲歩だと言っています。

「6,以上は譲歩として言っているのであって、命令ではありません。」

  ですから、結婚の本来の目的ではありませんから、結婚したからと言って情欲そのものがなくなるわけではないということです。あくまで、その起きてくる情欲を、結婚関係の中でコントロールしていくということです。性欲そのものは決して罪ではありません。それは祝福です。食欲もそうですが、人間が生きるために神様が備えてくださったものだからです。ただし、罪が入ってから私たち人間はその欲をコントロールすることが難しくなってしまいました。その性欲が一人歩きしてしまうと情欲として、制御から外れたものとなってしまうのです。

  それで夫婦は、時には信仰を持っているお互いとして、祈りに専念して、神との関係を優先して、夫婦として一つになることから離れることも勧められています。そうしないと、その結婚そのものが単に情欲のコントロールのためなのか、それ以上に相手を愛しているからこそ、神にあって祝福されているお互いとして、相手との結婚関係の素晴らしさを確認することができるからです。そういう意味で、神を中心とした結婚として捉え直していくならば、サタンの誘惑に勝つことができます。

  単に情欲をコントロールすることに任せた結婚関係ではなく、神を愛し、互いに愛し合う祝福を確認するために離れ、また一つになることで、情欲ありきの結婚生活ではなく、神の祝福に満ちた愛の関係にある結婚生活にされていくのです。

  パウロ自身は単身者であったようですので、自分のように独身の賜物がある人なら、つまり自制の賜物が既に備わっている人ならば、独身でいることを勧めています。

7,私が願うのは、すべての人が私のように独身であることです。しかし、一人ひとり神から与えられた自分の賜物があるので、人それぞれの生き方があります。

8,結婚していない人とやもめに言います。私のようにしていられるなら、それが良いのです。
9,しかし、自制することができないなら、結婚しなさい。欲情に燃えるより、結婚するほうがよいからです。

  ここでまたパウロは繰り返して、結婚によるコントロールの意義について語ります。それほど情欲の問題は、私たちの一生の課題でもあるからでしょう。だからこそ、常に覚えて起きたいのは、これらの罪を背負ってイエス・キリストが十字架にかかり死なれた事実です。その事実を信仰を持って、もう一度確認しましょう。

"キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、情欲や欲望とともに十字架につけたのです。
私たちは、御霊によって生きているのなら、御霊によって進もうではありませんか。"
ガラテヤ人への手紙 5章24~25節

  私たちはキリストから目が離れるとき、罪の誘惑に陥りやすい弱い者です。だからこそ、信仰の創始者であり完成者であるイエスから目を離してはならないのです。そのキリストご自身を仰ぎ、そのキリストのことばに聴き続けるならば、必ず私たちは御霊のご支配に覆われて、御霊によって進むことができます。

パウロはこうも言います。

"ただし、本当にあなたがたがキリストについて聞き、キリストにあって教えられているとすれば、です。真理はイエスにあるのですから。
その教えとは、あなたがたの以前の生活について言えば、人を欺く情欲によって腐敗していく古い人を、あなたがたが脱ぎ捨てること、
また、あなたがたが霊と心において新しくされ続け、
真理に基づく義と聖をもって、神にかたどり造られた新しい人を着ることでした。"
エペソ人への手紙 4章21~24節

  新しい人を着せられた私たちは、日々「人を欺く情欲によって腐敗していく古い人を」脱ぎ捨てたのです。それは、その情欲そのものが偶像礼拝だからです。

  "ですから、地にあるからだの部分、すなわち、淫らな行い、汚れ、情欲、悪い欲、そして貪欲を殺してしまいなさい。貪欲は偶像礼拝です。"コロサイ人への手紙 3章5節

  私たちは求めるものはもはや、肉欲ではなく、キリストがその身を以て示された神の義であり、そのお方に信頼する信仰であり、その十字架に示された神の愛であり、その愛に満ち溢れた神の平和なのです。

  "あなたは若いときの情欲を避け、きよい心で主を呼び求める人たちとともに、義と信仰と愛と平和を追い求めなさい。"
テモテへの手紙 第二 2章22節

 ここで、大切なのは「きよい心で主を呼び求める人たちとともに」です。私たちは一人では大変弱いです。だからこそ、神様は私たちに教会を与えて、一緒に義と信仰と愛と平和を求める仲間を与えてくださいました。

  そこには、ともに弱さをもった工事中の人たちが集まってきます。そこで、ともに神のことばに触れ、ともに神の霊に満たされることによって、間違いなくあなたは昨日までのあなたではなく、キリストに似せられた新しいあなたに建てあげられるからです。

  

"ですから、すべての汚れやあふれる悪を捨て去り、心に植えつけられたみことばを素直に受け入れなさい。みことばは、あなたがたのたましいを救うことができます。"
ヤコブの手紙 1章21節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

  

  

   

◎特集:北海道キリスト教史「ピアソン宣教師」

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1.生涯
 ジョージ・ペック・ピアソン(George. Peck. Pierson)は1861(文久元)年、アメリカのニュージャージー州エリザベス市に、牧師の子として生まれた。1888(明治21)年に宣教師として来日し、東京の明治学院で教えた後、千葉の中学校を経て、1894年(明治27)年、北海道に渡り、函館・室蘭・小樽・札幌で伝道した。小樽に住んだとき、聖公会の女性宣教師のアイダ・ゲップと東京で結婚し、その後は特に小樽と札幌で女子教育に貢献し、札幌農学校の学生にも教えたこともある。1901(明治34)年、旭川に移り、山口庄之助・坂本直寛らと共に、帯広・釧路・名寄・美深・遠軽・北光社等を回って伝道活動を行った。1903(明治36)年には旭川聖書館を建てるとともに、廃娼運動にも奔走した。1914(大正3)年に野付牛(現北見市)に移り、約15年間滞在して伝道の足跡を残している(1) 。1928(昭和3)年、約40年の在日伝道を終えて帰国し、夫人は1937(昭和12)年に74歳で、ピアソンは1939(昭和14)年に78歳で天に召された。

 

2.活動・教え・貢献
①故郷エリザベスの精神風土
 ピアソンが生まれたのは、南北戦争が勃発した年であった。幼少年時代から青年期にかけて、彼を養い培った家庭はもとより、アメリカのピューリタン精神、エリザベス長老教会の改革派的信仰と伝統、知的水準の高さと豊かな徳性を校風とするピングリー中学校の教育(2) 、そしてプリンストン大学の学問、アメリカ独立戦争時代に演じたエリザベスの歴史的貢献、更にニューヨークに接するこの町の国際性と世界性がピアソンの信仰と人格を形成していったと言うことができる。

 

②日本最古の聖書との出会い~日本へ
   ピアソン少年が影響を受けたのは中学校だけではなかった。日本への宣教師として志す決意に影響を与えたのは、一冊の日本語聖書との出会いがあったと言うことができる。その聖書は、日本最古の聖書「約翰福音書」(3) である。ピアソンの40年間の日本における伝道で、最も充実した意義ある業績の一つは、一般に言われる「ピアソン聖書」、すなわち「略註旧新約聖書」等の編纂事業である。若き日の日本最古の聖書との出会いは、いよいよ日本への好奇心とロマンを無限に広げ、日本宣教の志しを一層深めた。ピアソンはプリンストン大学(4) 卒業後は、郷里で学校の教師を務めるが、その後プリンストン神学校に入学し伝道者として歩みだし、1888(明治21)年卒業し、父親が牧会するエリザベスのウェストミンスター長老教会で按手礼を受け、その夏アメリカを出帆して日本に向った(5) 。

 

明治学院~千葉で田舎伝道~北に向う~アイダとの結婚
  明治学院では英語と新約聖書はもとより、普通学部でギリシャ語と教育学を教授することになっていた(6) 。神学部の学生、和泉彌六を教師として日本語の習得訓練に励み、後には皇室の通訳に招聘されるほど上達したが、固 辞したと言われる(7) 。しかし、当時、日本の政治状況はすでに明治絶対主義体制をほぼ完了し、天皇制の確立、明治欽定憲法の制定、教育勅語の発布等によって自由民権思想、運動と連動するキリスト教主義学校は国家体制と相容れない教育として排撃され、弾圧をまぬがれなかった。ミッション・スクールであった明治学院も規制を受け、生徒数は激減し、ピアソンもそれが理由で学校を退かざるを得なかった。

  1890(明治23)年、第一高等中学校(現東京大学教養学部)の教師となった内村鑑三が、翌年1月9日同校の教育勅語奉戴式場で、明治天皇の親署に敬礼を躊躇したとの理由で、官民の別なく世論から非難された、いわゆる「内村鑑三不敬事件」が起こった春、ピアソンは明治学院をあとにした(8) 。1890(明治23)年5月、千葉県立中学校から月俸60円で招きを受け、英語教師となり、そのかたわら千葉、佐倉の田舎伝道に尽くした(9) 。千葉での2年間の伝道活動の後、彼は更に北に向かい、岩手県の盛岡に移った。それは、数年前よりそこで伝道していた三浦徹牧師に協力するためであった。そして同時にピアソンはそこから北海道に足を伸ばし調査した結果、北海道こそ自分の全生涯を捧げるに値する伝道地と考え、決意したらしい。初めは室蘭や函館にごくわずかの期間滞在し、やがて小樽、札幌に居を構えるようになり、そこを拠点に全道をくまなく船や馬の背で、また徒歩で、クリスチャンがいるところで彼の訪ねなかったところはないほどであった。
  1895(明治28)年6月12日、東京において、米国聖公会婦人宣教師アイダ・ゲェップ(Ida Goepp)(10) と結婚した。
  ピアソン夫妻はその後、小樽に住んで教会を助け、小樽最初の女学校、静修女学校を援助し、全道のクリスチャン家庭を訪ね、「私に娘をあずけてください」と言って学生募集に奔走した。創設者ロースの突然の死去のため短期の女学校であったが優れた人材を生み出した。札幌に出てからは、形成途上にある若い教会を助け、夫人はスミス女学校(現北星女子中、高校)で英語と聖書を教えた。小樽で酒飲みの路上生活者を助けたり、豊平川沿いに点 在していたスラムの小屋が台風で倒壊し、背と鼻の高い天狗のような異人が泥だらけになって、浮浪者と一緒に小屋を修理したことが町のうわさになったのも札幌在住のことである。また夫人は、札幌農学校の生徒にドイツ語を教えたが、その中には有島武郎もいた。

 

旭川~廃娼運動・聖書事業・監獄伝道・アイヌ伝道 
  小樽、札幌で7~8年働いた彼らは、自分たちの伝道活動の領域を更に広く遠く伸ばすため、将来性のある旭川にその拠点を移すことにした。それはこの地方の人々が、まだキリストの福音にほとんど耳を傾けたことがなかったからである。旭川でのピアソンの活動は町と教会を中心に、その周辺へと広がる農村の開拓者へと及び、伝道のためには教派を超えて協力し、旭川キリスト教連合会を組織した。最も注目すべきことは、旭川教会牧師坂本直寛らと市内の諸教会と一致して、旭川中島遊郭撤去運動並びに廃娼運動を推進したことである。その働きをおもにリードしたのはアイダ夫人であった。
  ピアソンはそのほか、旭川中学で英語を教え、第七師団のクラブで説教をしたり、夫人は将校にドイツ語を教えた。なかでも「略註旧新約聖書」の編纂事業では膨大で長時間を要し、盛岡以来の先輩牧師三浦徹の助けを借りたとは言え、彼のような忍耐深い、愛に満ちた献身的な宣教師にして初めてできたことで、後にも先にもこの種の仕事は類例を見ない。難しい聖書に愛する日本人が親しんでもらいたいとの祈りと情熱の結晶した仕事と言わねばならない。この業績はやがて母校プリンストン大学から高い評価を受け、神学博士の称号を授けられるに至った(11) 。
  また、旭川第七師団での将校と軍人伝道、および十勝監獄伝道は、坂本直寛牧師の協力を得て活発に進められ、とりわけ十勝監獄伝道は全国的に有名になった(12) 。
  更に、貧しい人、差別され虐げられた人々の友となり、とりわけ近文のアイヌ部落で、アイヌ使徒と言われた英国人伝道者ジョン・バチェラー宣教師と協力して教会を建て、アイヌを援助した。酋長の娘で夫に先立たれた アイヌの夫人をメイドとして引き取り、アイヌの孤児をわが子のごとく育て、帰国するまで生活を共にし、教育もした。ピアソン夫妻のアイヌの関わりを 批判する人がいるが、真意を知らない誤解である。
   
⑤地の果て~野付牛(北見へ)
  旭川での多事多難な12年の伝道活動が終わる頃、彼の伝道の幻は更に奥地へと向った。アイヌ語で野の端、地の果ての意味を持つと言われる野付牛に移住してきたのは1914(大正3)年である。ここには屯田兵や四国土佐の開拓民が入植した北光社のキリスト教団体がおり、開拓入植後ピアソンはしばしばここを訪問し開拓者たちを慰め励ましていた。彼がこの野付牛原野に足を踏み入れた時は既に52歳、天命を知る初老に達していた。
  ある初秋の夕暮れ、北見の高台に柏の大木、楡が大枝を張り広げ、桔梗、刈萱、萩が咲き乱れ、狐や野うさぎの出没する小高い丘を散歩していると、遠く広がる開拓地の向こうに連なる山並みは美しい夕焼けに燃えている。その中を飛んでゆく鳥の群れ。どこからともなく香ってくる薄荷の芳香。そこで、ああこここそ自分たちの住むべき最後の根城であるというインスピレーションを受けたと言う。ピアソンはその丘に素朴な、かつての生家もしくは夫人好みの山小屋風の二階建て住宅を建てた(13) 。

そのような野付牛(北見)での宣教でも、旭川と同様に遊郭設置反対運動を指導し、設置運動を未然に阻止することに成功した(14) 。ピアソン没後、太平洋戦争を挟んで、29年後、彼の故郷アメリカのニュージャージー州エ リザベス市と北見市は、北見におけるピアソンの存在と働きを記念して1969(昭和44)年、姉妹都市の縁組を結び今日に至っている。
 

3.今日の教会が学ぶべきこと
  以上、ピアソンの歩みを見てきたが、アメリカ人宣教師としては珍しいと言って良いほど地味で控えめな性格の持ち主であったと思う。アイダ夫人との夫婦喧嘩においても見事に家から出て行く側になっている(15) 。しかし、彼の日本における、特に北海道における宣教の働きは実にアグレッシブであり、最終的に地の果て(野付牛)までやって来た。
  外国人宣教師を嫌悪していた内村鑑三は、友人である田村直臣(16) に「田村君、宣教師でもあんな宣教師がいるよ」と言って自分に親切にしてくれた野付牛のピアソン夫妻に感服していたという。その評価は決してお世辞ではなく、ピアソンのキリスト者としての生き方から溢れてくる証しである。
  その歩みから今日の私たちが学ぶべきことを大きく三つ挙げたい。

 

①ぶれない献身
  ピアソンの生まれ育った土壌や教育環境、家庭環境が大きく影響していたのか、また1冊の日本語聖書が影響を与えたのか、それとも全ての事柄がピアソンを日本の宣教へと押し出したのか。明治学院での働きから徐々に田舎へ。徐々に北へ宣教地を移していった。その中で、ピアソンとは真逆な性格のアイダと出会い結婚。そこから彼の宣教のスピードも強さも高まったように思える。特に、みことばによる福音宣教だけでなく、廃娼運動などの社会運にも尽力したことは、語るだけでなく行いにおいても福音に生きたと言える。行動が伴う敬虔な一貫した信仰の姿勢は、今の私たちにとっても大切な生き方である。

 

②社会運動への取り組み
   前述したように遊郭廃止運動や廃娼運動に尽力し、社会における悪に対してからだを張って反対し、少女たちを救ったことは、現代における福音主義教会にとっても大きなチャレンジを受ける姿勢である。現在、震災支援等を通して取り組んでいるところではあるが、キリスト者として、またキリスト教会として、主から知恵を与えられつつ更に継続した福音的な社会活動への参加が求められていると思われる。

 

③教派を超えた宣教協力
  当時は公会主義もあり、教派に捉われない宣教が大きく用いられたと言える。特に十勝における監獄伝道では、十勝監獄の大典獄だった黒木鯤太郎自身はピアソンや坂本直寛と同じ日本基督教会(長老派)だったが日本聖公会とも繋がりがあった。十勝自体が聖公会の宣教が最初であった。更に、旭川では坂本直寛と組合派の六条教会とも交流があり、その背景の中、監獄伝道が行われた。そして、受刑者だけではなく刑務官の中にも回心者が起こされ、大リバイバルとなった。今日の北海道宣教においても、教派を超えた宣教協力は地方宣教の要となっている。

  今後も私たちは、以上のような歴史的事実を踏まえつつ、同じ神を信じ福音を宣べ伝えるキリストの群れとして、既に来、いまだ途上にあり、やがて来るべき神の国の建設のために協力し、取り組むべき意義があると言えるのではないだろうか。 

 

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脚注

(1) ピアソン夫妻の住んでいた住居は、その後さまざまな経過を辿り、北見市の指定文化財となり、ピアソン記念館として保存されてきた。
(2)ピングリー中学校の教育:校長のピングリーは牧師のかたわら、すでにいくつかの男子中学で教鞭をとっていた。この校長の信仰・人格・見識がピングリー中学校の基本的性格を形成し、重厚な校風となり、彼の名声と影響は東部諸州に及んだ。この学校の目標は「主を恐れることは、知恵の初めなり」(箴言1章7節)だけであった。彼の生徒に対する同情と親身に溢れ公平で自制を失わない扱いと深い信仰的感情、聖書に対する尊敬と神への畏敬の念が、ピアソン少年にも多大な影響を与えた。
(3)この聖書は、ドイツ人宣教師ギュツラフが中国のマカオで漂流中救助された日本人の三人の船乗りから教えられた、まことに奇妙な日本語によって翻訳された。今日知られている限り世界中でたった16冊現存すると言われる極めて貴重な聖書である。ところが、ピアソンはこのうちの1冊を父より貰い受け、生涯大切に保管し、現在それは明治学院大学図書館に秘蔵されている。
(4)プリンストン大学ではアメリカ第28代大統領となったウィルソンと机を並べて学んだと言われる。
(5)その船には、ピアソンがやがて北海道で協力することとなった坂本直寛に高知教会誕生の際、洗礼を授けた宣教師であるG.W.ノックス夫妻と子どもも同船していた。
(6)青年ピアソンは、日本に到着するや否や、十日目に早くも腸チフスを患い、高熱のため生死の境を一ヶ月近くもさまよう大病にかかり、九死に一生を得たが、この生死をめぐる体験こそピアソンに日本宣教を真剣に考えさせる一大機縁となった。
(7)当時、明治学院には島崎藤村が在学中であった。
(8)彼は晩年の回想で「1888年、日本の国家主義者が台頭し、私はもう明治学院ではお払い箱となった」と語っている。
(9)ピアソンは若かりし頃の千葉伝道をかえりみて、千葉教会への手紙の中で「私は初めて千葉で田舎伝道にかかって、その二年間の経験を忘れられない。その憶えは私の心の中の、何時までも残るべき宝物となっております。千葉は私の日本における神学校となり、故郷となっております。」と、千葉教会50周年(1925年)を記念して野付牛から送っている。
(10)アイダは、フィラデルフィア出身のドイツ系アメリカ人でピアソンより一つ年下。7歳にして母親を亡くし、叔母のいるドイツのシュトゥットガルトで高校に入り、ニューヨークに戻りハンターカレッジ教員養成学校を卒業するが、人生問題に煩悶した末、その疑問は海外宣教活動に向うことで氷解した。初めはアフリカに伝道するはずだったが米国聖公会伝道局は彼女を日本に派遣することとなり、最初の5年間、立教女学院の前身東京セント・マーガレット女学校で、次いで番町女学校で教師として勤務した。その後、福島で伝道した。伝統的に教育と伝道に熱心なモラヴィア教徒の家に生まれ、幼少女時代はニューヨークの聖公会メソジスト教会の日曜学校で育ち、結婚後は夫と共に長老教会の中で働いた。この4つの教派的要素が彼女の堅固な人格形成の基礎となった。彼女は、何事も徹底的に研究しなければ納得しない学者的な側面と合わせて、鳥や花をこよなく愛し、教えることを喜び、献身的に日本人を愛して畏敬はされたが、当時の日本人からは、必ずしも好感は持たれなかったという。
(11)しかし、ピアソンは博士と呼ばれるのを嫌って、教会の玄関で「ピアソン博士です」と紹介されることがあれば、お客さんに草履を揃えながら「私は草履博士です」と言って笑わせたという。
(12)十勝監獄リバイバルについて語った坂本直寛牧師の言葉がある。「日曜日、私は監獄の塀の中にある大きな白い建物の集会所に集まった700 人を超える受刑者たちに説教しました。非常に多くの囚人たちがみことばに触れ、罪の意識に苦しんでいました。・・・集会は、臼井氏の祈りによって始まり、すべての参会者はその祈りに圧倒され、深い感銘を受けました。そこにいた者は全員聖霊に動かされ・・・恵みに対する祈りの大声があがり、悔い改めの泣き声と・・・(私が)説教をするために講壇に立ったとき、再び聖霊に満たされ、話している間激しい落涙のため語ることができず・・・この集会の結果、420人の囚人が悔い改め、神の恵みを受けてクリスチャンになる決心をしたのです。」
(13)当時の開拓民は御殿のようだとして西洋館と呼んだ。彼はこの丘をこよなく愛し、三柏の森と名づけ、夏は小鳥がよく飛来し囀り、きれいな芝生に花壇が映え道行く人の目を休ませた。この宣教師宅に沿って一筋の小さなポプラ並木があり、北見の人たちは古くからピアソン通りと呼び鳴らし、戦時下、英語を敵性語として排斥した時もピアソン通りの呼び名は変わらなかった。
(14)その成功の裏には、ピアソン夫妻の大きな犠牲があったことを知らなければならない。何十人もの農家の若い娘たちが売られて、いかがわしい商売を強いられていることを聞くと、その娘たちを買い取って親元に帰す。すると親と業者がグルになって娘をまた売買してピアソンから金を巻き上げるという悪質な被害にあったり、自宅に娘たちをかくまって、仕事を教え、結婚の世話までしたり、ときにはそのような慈善活動に不服な郎党から殴打されたり、アイダ夫人も打たれて、その痛みは後々まで残っていたほどであったという。
(15)ピアソン夫妻の夫婦喧嘩:伝道のため、また人を助け愛することなら絶えず一致協力する夫妻も、時に衝突することも夫婦喧嘩に及ぶこともあった。ある夜、アイダ夫人のヒステリックな怒声のためピアソンは家出を覚悟し、当てもなく歩いていると橋の上にいることに気づき、ふと、らんかんの下を見れば、月に照らされている自分の影があまりにも黒く鮮やかに水面に映っている。「ああ、これは私の心が暗いからだ」と言って再び家に戻り、仲直りしたという。この夫妻もまた一人ではなく、二人で共に立つ神の使者であった。「天才は一人で立ち、使徒は二人で立つ」と言われるように。
(16)当時のキリスト教界においてその特異な存在のゆえに、むしろ異端者と思われていたキリスト教界「三村」の一人。
 

【参考文献】
1.ピアソン会編集部「ピアソン夫妻をめぐる証言集 三柏のもり改訂版」ピアソン会, 2012年
2.池田晶信「北海道開拓の宣教師ピアソン夫妻」ピアソン会, 2000年
3.北原俊之訳「日本 北海道 明治四十一年」ピアソン会, 2009年
4.中川了之, 吉田邦子訳「ピアソン夫妻書簡・レポート」ピアソン会, 2014年
5.ピアソン, I, G「改訂版 六月の北見路」ピアソン会, 2002年
6.ピアソン夫妻, 小池創造・小池榮訳「改訂版使徒はふたりで立つ」日本キリスト教会北見教会ピアソン文庫, 2011年
7.田村直臣「我が見たる植村正久と内村鑑三」向山堂書房, 1932年

 

                                                    (文責:川﨑憲久)