のりさん牧師のブログ

恵庭福音キリスト教会の牧師をしています。おもに日常で気がついたことや、聖書からのメッセージをお届けします。https://ribenmenonaitobaishikirisutojiaohui.webnode.jp/

安息日律法

"安息日を覚えて、これを聖なるものとせよ。
六日間働いて、あなたのすべての仕事をせよ。
七日目は、あなたの神、主の安息である。あなたはいかなる仕事もしてはならない。あなたも、あなたの息子や娘も、それにあなたの男奴隷や女奴隷、家畜、またあなたの町囲みの中にいる寄留者も。
それは主が六日間で、天と地と海、またそれらの中のすべてのものを造り、七日目に休んだからである。それゆえ、主は安息日を祝福し、これを聖なるものとした。"
出エジプト記 20章8~11節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 

"安息日を守って、これを聖なるものとせよ。あなたの神、主が命じたとおりに。
六日間働いて、あなたのすべての仕事をせよ。
七日目は、あなたの神、主の安息である。あなたはいかなる仕事もしてはならない。あなたも、あなたの息子や娘も、それにあなたの男奴隷や女奴隷、牛、ろば、いかなる家畜も、また、あなたの町囲みの中にいる寄留者も。そうすれば、あなたの男奴隷や女奴隷が、あなたと同じように休むことができる。
あなたは自分がエジプトの地で奴隷であったこと、そして、あなたの神、主が力強い御手と伸ばされた御腕をもって、あなたをそこから導き出したことを覚えていなければならない。それゆえ、あなたの神、主は安息日を守るよう、あなたに命じたのである。"
申命記 5章12~15節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 

主なる神はイスラエルの民に十戒を与え、その第四戒で安息日を守るように命じられました。これは律法として与えられたものですから、神を信じる者にとっての行動規範だと言えるでしょう。

 

今朝はここにその十戒が記されている出エジプト記申命記の聖句を抜粋しました。

 

どちらも同じことを命じているのですが、その違いを見ると、より神様からイスラエルの民に対する思いの深さを知ることができます。

 

出エジプト記では安息日を守る理由としてこう記されています。

「それは主が六日間で、天と地と海、またそれらの中のすべてのものを造り、七日目に休んだからである。それゆえ、主は安息日を祝福し、これを聖なるものとした。」

 

しかし、申命記の方ではこのように記されています。

 

「あなたは自分がエジプトの地で奴隷であったこと、そして、あなたの神、主が力強い御手と伸ばされた御腕をもって、あなたをそこから導き出したことを覚えていなければならない。それゆえ、あなたの神、主は安息日を守るよう、あなたに命じたのである。」

 

出エジプト記の方は、天地創造において主が休まれ、その日を祝福して聖なる日とされたことが制定の理由となっています。一方、申命記ではイスラエルの民が奴隷であったところから、主によって救い出されたことを覚えているために安息日を守るように定められたとあります。

 

これは矛盾ではなく、そのどちらも正しいといえます。出エジプト記の方はシナイ山における、まさにモーセ十戒を受け取った時に語られたものであり、申命記の方は約束の地を目の前にして、あらためて語られたものです。その語られた文脈が若干異なっている点に注目できます。

 

では、この安息日を守ることで、主が祝福された日として尊ぶことと、主が救ってくださった恵みを覚えることで、私たちの生き方にどんな影響があるのでしょうか。

 

それをイザヤ書から知ることができます。

 

"もし、あなたが安息日に出歩くことをやめ、わたしの聖日に自分の好むことをせず、安息日を『喜びの日』と呼び、主の聖日を『栄えある日』と呼び、これを尊んで、自分の道を行かず、自分の好むことを求めず、無駄口を慎むなら、
そのとき、あなたは主をあなたの喜びとする。わたしはあなたに地の高い所を踏み行かせ、あなたの父ヤコブのゆずりの地であなたを養う。──主の御口がそう語られる。」"
イザヤ書 58章13~14節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 

ここには安息日を守ることにより、それを守る者が主を喜ぶようになると言われています。

 

これが安息日律法による私たちへの大きな恵みではないでしょうか。

 

主を喜ぶことは信仰生活の要だからです。誰がいやいやながら礼拝を続けられるでしょうか。誰がささげものを強制されて長続きするでしょうか。それは、単なるカルト宗教の行為です。主なる神はご自身と私たちとの生きた交わりを求めておられるので、喜んで交わる民を求めておられるのです。

 

ネヘミヤ記にはこうあります。

 

"さらに、彼は彼らに言った。「行って、ごちそうを食べ、甘いぶどう酒を飲みなさい。何も用意できなかった人には食べ物を贈りなさい。今日は、私たちの主にとって聖なる日である。悲しんではならない。主を喜ぶことは、あなたがたの力だからだ。」"
ネヘミヤ記 8章10節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 

主を喜ぶことが私たちの生きる力となるのです。主を喜ぶことこそ、あなを生かすのです。その生きた信仰を主は求めておられます。明日は主の日です。ぜひ、自分中心の目的でその日を過ごすのではなく、何をおいても主の日を大切にして、何よりも主の恵みを覚えてまいりましょう。そこに、ますます主を喜ぶ生きた交わりが与えられるからです。

 

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