のりさん牧師のブログ

おもに日常で気がついたことや聖書からのメッセージをお届けしています。

ディートリヒ・ボンヘッファー

ディートリヒ・ボンヘッファー(Dietrich Bonhoeffer, 1906–1945)

 

 ボンヘッファーは20世紀を代表するドイツのキリスト教神学者であり、ルター派の牧師です。ヒトラー政権に反対した「反ナチ運動」の中心人物の一人としても知られています。第二次世界大戦中、ヒトラー暗殺計画に関わったことで逮捕され、戦争末期にフロッセンビュルク強制収容所で処刑されました。

 

① 幼少期と青年期(1906–1923)

 ボンヘッファー1906年、当時ドイツ領だったブレスラウ(現在のポーランドヴロツワフ)に生まれました。8人きょうだいの6番目で、双子の妹ザビーネがいました。父カールは精神科医で、母パウラは教育者でした。家は知識と文化に恵まれた上流市民の家庭でしたが、父は宗教にあまり関心がなかったため、家族はあまり教会に行きませんでした。


 1912年、一家は父の転任でベルリンへ引っ越します。ボンヘッファー第一次世界大戦末期、死や永遠について深く考えるようになります。兄ヴァルターが戦死したことがきっかけでした。

学校では哲学や神学書を熱心に読み、やがて神学を学ぶ道を選びます。家族は驚きましたが、彼の決意を支持しました。1923年、17歳で大学入学資格(アビトゥーア)を取得します。

 

 

② 学生時代(1923–1930)

 1923年にテュービンゲン大学で神学を学び始め、のちにベルリン大学に転入しました。ここで神学者アドルフ・フォン・ハルナックやカール・バルトの影響を受け、独自の神学を形成していきます。

 

 1927年、21歳の若さで博士号を取得し、論文『聖徒の交わり』は最高評価を受けました。その後、牧師になるための試験に合格し、1928年から1年間スペイン・バルセロナのドイツ人教会で牧師補を務めます。

 1930年にはアメリカ・ニューヨークに留学し、黒人教会やガンディーの非暴力思想に触れ、信仰を「社会に生きる実践的なもの」として考えるようになりました。

 

 

③ 教会活動と大学講師の時代(1931–1933)

 1931年に帰国後、ベルリン大学で神学講義を始めました。彼の講義は祈りから始まり、時事問題にも触れる大胆なものでした。学生たちは驚きつつも、彼の情熱に引きつけられました。

 

 同時期、学生や労働者への教育活動も行い、貧しい若者のための施設を作るなど、社会問題に深く関わります。1931年、25歳で正式に牧師として任命され、優れた説教者として評価されました。

 

 ボンヘッファーはまた、同時代の神学者カール・バルトと親しく交流し、後の「教会闘争」や「教会一致運動」へとつながる思想的基礎を築いていきました。

 

 

④ 教会闘争と反ナチ活動(1933–1945)

 1933年、ヒトラーが政権を握ると、ボンヘッファーはすぐに危険を察知し、ラジオ放送で独裁政治を批判しましたが、放送は途中で打ち切られました。

その後、ナチ政権がユダヤ人を排除する「アーリア条項」を教会にも適用しようとしたため、彼はマルティン・ニーメラーらと共に「牧師緊急同盟」を結成し、抵抗の中心となります。

 

 1934年、「告白教会」が結成され、ボンヘッファーは非合法の牧師養成所(フィンケンヴァルデ神学校)の指導者となりました。しかし、やがて彼は大学から追放され、1937年には神学校も閉鎖されます。

 

 1939年、亡命の誘いを受けて一時アメリカに渡りますが、「祖国の苦しみに共に立ちたい」と帰国を決断。その後、ドイツ軍内部の反ヒトラー組織「黒いオーケストラ」に加わり、秘密裏に連合国と和平の橋渡しを試みました。

 

 1943年、ユダヤ人の逃亡を助けた罪で逮捕。1944年のヒトラー暗殺計画失敗後、関係者として再び処刑が決まります。1945年4月9日、戦争終結のわずか3週間前に絞首刑にされました。享年39歳でした。

 

ボンヘッファーの神学思想

 ボンヘッファーは「イエス・キリストに従うこと」を中心に据えた神学を築きました。彼の考えの特徴は、信仰を個人の心の中だけでなく、「社会の中でどう生きるか」という倫理的実践と結びつけたことです。

 

 彼は「安っぽい恵み」と「高価な恵み」という言葉で、人がただ許されることに満足する信仰を批判し、「本当にイエスに従うためには犠牲が伴う」と説きました。

 また、神を「教会という共同体の中に現れる存在」と捉え、キリスト者は「他者のために生きる」ことで神の愛を実践するのだと教えました。

 

 ボンヘッファーにとって教会とは、単なる宗教団体ではなく、「世界の中で苦しむ人々と共に生きる場所」でした。だからこそ、彼はナチ政権に従う教会を厳しく批判し、信仰の真実を求め続けたのです。

 

 

⑥ この世と教会 ― 現実の中にある信仰

 当時の神学では「教会とこの世は別のもの」とする考え(ルター派の二王国論)が主流でしたが、ボンヘッファーはそれを否定しました。

 彼にとって、神はこの世の外ではなく、この世のただ中におられる存在です。だから、信仰もまた現実の中で実践されなければならないのです。

 

 彼は「キリストは教会共同体として存在している」と語り、教会は自分たちのためでなく「他者のために存在する」べきだと主張しました。

 1944年、彼は「教会が自分たちの安全のためにしか動かなくなっている」と厳しく批判しています。

 

 

まとめ

 ボンヘッファーは、信仰を「言葉」ではなく「行動」で示そうとした神学者でした。彼の生き方は、「信仰とは、この世の不正や苦しみに向き合いながら、他者のために生きること」であるという信念に貫かれていました。

 

 彼の思想は戦後のキリスト教だけでなく、平和運動や人権思想にも大きな影響を与え続けています。