のりさん牧師のブログ

恵庭福音キリスト教会の牧師をしています。おもに日常で気がついたことや、聖書からのメッセージをお届けします。https://ribenmenonaitobaishikirisutojiaohui.webnode.jp/

黙想:「ともにうめきながら」

"私たちは知っています。被造物のすべては、今に至るまで、ともにうめき、ともに産みの苦しみをしています。
それだけでなく、御霊の初穂をいただいている私たち自身も、子にしていただくこと、すなわち、私たちのからだが贖われることを待ち望みながら、心の中でうめいています。"
ローマ人への手紙 8章22~23節

 神に救われることには、様々な側面があります。それは、罪を悔い改めて神に立ち返り、神が与えてくださった救い主を受け入れるところから始まりますが、その救い主を信じた時点で既に新しくされているという、救いに到達した側面と、いまだその途上にあるという側面です。

 

 この二つの側面は矛盾しているのではなく、表裏一体です。それは救いという意味がとてつもなく深く広く高いからです。その奥行きにおいても、その素晴らしさを味わい知ることは一足飛びにはできない神の領域のことです。

 

 今日のみことばには、その救いの門を潜り抜け救いの世界である神の庭の入り口に立っているという私たちの姿と、そこから始まっている救いの道を歩む私たちの姿を伝えています。そのことを「子にしていただくこと」と言っている。それは救いとは、神の子とされた歩みであり、神の子とされていく歩みだと言うことです。

 

 つまり救いにおける私たちの立場とは、神の御子である主イエスを長子とした弟妹という神の家族の養子とされたということです。だから、もう滅びることはありません。滅びるべき罪の奴隷という立場から既に新しい神の子どもという立場に与ったからです。ここはイエスを信じる信仰のゆえに揺るがない事実です。

 しかし、私たちは神の御子イエスのような完全な神の子としてのかたちを完全に取り戻したのではありません。そのことには時間がかかるからです。

 ここにうめきがあります。そのことを私たちだけでなく、全ての被造世界もうめいているとパウロは言っているのです。

 神の子たちのおとずれを、被造物たちはうめきつつ待っていると。そこに完成があるからです。

 その完成に至る過程のことをパウロ自身がコリント教会へ宛てた手紙の中で言っています。

 

"私たちはみな、覆いを取り除かれた顔に、鏡のように主の栄光を映しつつ、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられていきます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。"
コリント人への手紙 第二 3章18節

 このことを聖化と言います。この聖化の歩みにうめきがおこります。それは産みの苦しみのうめきなのです。出産をするお母さんは生まれてくる赤ちゃんのためにその苦しみを耐えるでしょう。なぜなら、もうすでに愛してやまないその子に会いたいし、抱きしめたいからです。

 被造物たちも、私たちが今まだ罪の性質が残っていながら神の子どもとされているという葛藤の中の現実にある苦しみをともに負っている。そのことを思う時に、この地上において自然界が私たちに対して過酷であったり、牙をむいたり、未曾有の危機となったりすることが彼らのうめきなのだと、そのように感じるのです。

 

 つまりそれがかつて神がアダムに言われた「大地は、あなたのゆえに呪われる」(創世記3:17)という、人の罪がもたらしてしまった結果なのです。でも、その罪の呪いを私たちの主イエスが負ってくださったからこそ、今はその被造世界の呪いは呪いで終わらず、それはむしろ産みの苦しみとして完成の喜びを待つうめきへと変えられたということなのです。

 

 ここに新しい創造(ガラテヤ6:15)があることに気がつかされます。そうです。この文脈において、私たちは新しくされたと言えるのです。救われる以前と同じような厳しい道をいまだ歩んでいるようで、それはキリストを知らなかった以前の苦しみとは違う、神の子どもとされるための栄光の歩みにされたということです。味わう苦しみの意味が全く変わったのです。あなたが味わう辛さ苦しみは、もう滅びに至らせる香りではなく、いのちに与らせる香りとなったからです。

 

 神の私たちに対する救いは、とてつもなく高く、広く、深く、奥行きも無限です。それが神の完全な愛に基づいているからです。神の愛は、私たちに変革をもたらします。だから、そのためにも、私たちもその神の愛を味わい、賛美と感謝といううめきを持って今日も歩んでいきたいと思います。

 

 もはや、うめきという苦しみの表現すらネガティブなものではありません。神の愛と憐れみを生きる神の子どもとしての産声としてのうめき。益々ポジティブな喜びの叫びです。

 ですから、今日も私たちは全ての被造物とともに、その素晴らしい救いをくださった神様を崇めつつ、みことばの乳を慕い求めていこうではありませんか。

 

"ですからあなたがたは、すべての悪意、すべての偽り、偽善やねたみ、すべての悪口を捨てて、
生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、霊の乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです。"
ペテロの手紙 第一 2章1~2節