のりさん牧師のブログ

おもに聖書からのメッセージをお届けします。https://ribenmenonaitobaishikirisutojiaohui.webnode.jp/

受難節 第16日 土曜日

詩篇 46篇
1,神はわれらの避け所また力。苦しむときそこにある強き助け。
2,それゆえわれらは恐れない。たとえ地が変わり山々が揺れ海のただ中に移るとも。
3,たとえその水が立ち騒ぎ泡立ってもその水かさが増し山々が揺れ動いても。セラ


4,川がある。その豊かな流れは神の都を喜ばせる。いと高き方のおられるその聖なる所を。
5,神はそのただ中におられその都は揺るがない。神は朝明けまでにこれを助けられる。
6,国々は立ち騒ぎ諸方の王国は揺らぐ。神が御声を発せられると地は溶ける。
7,万軍の主はわれらとともにおられる。ヤコブの神はわれらの砦である。セラ


8,来て見よ。主のみわざを。主は地で恐るべきことをなされた。
9,主は地の果てまでも戦いをやめさせる。弓をへし折り槍を断ち切り戦車を火で焼かれる。
10,「やめよ。知れ。わたしこそ神。わたしは国々の間であがめられ地の上であがめられる。」
11,万軍の主はわれらとともにおられる。ヤコブの神はわれらの砦である。セラ

 

《メッセージ》

神は我らの避け所とは、何と心強いことでしょう。信仰者が常に平穏無事であるとは、決して言っていません。

この世にあっては苦難があり、悲しいこともしばしばあるのです。

だからこそ、詩人はこの詩を歌っているのです。

 

この地上は、人間に対して牙をむいてきます。地は人間に歯向かって来ます。地震で、台風で、大雪で、洪水で、様々な天変地異で、そして、動物たちも。

 

被造物は呻いているのです。それは、人間によってもたらされた地の呪いに対する呻きです。パウロもこう言っています。

 

"被造物は切実な思いで、神の子どもたちが現れるのを待ち望んでいます。
被造物が虚無に服したのは、自分の意志からではなく、服従させた方によるものなので、彼らには望みがあるのです。
被造物自体も、滅びの束縛から解放され、神の子どもたちの栄光の自由にあずかります。
私たちは知っています。被造物のすべては、今に至るまで、ともにうめき、ともに産みの苦しみをしています。

 

しかし、私たち人間もまた同じ被造物としても呻いています。それは、この罪の世から新しい神の国へと救われたいからです。

この呪われた世界から、愛する神の祝福に置かれたいからです。

 

だからこそ、私たちは救われました。そして、今は与えられた御霊によっても呻いているのです。それは、私たちの声にならない呻きを、神に対する祈りとしてくださるからです。

 

私たちのこの地上での苦しみは苦しみだけで終わるものではありません。生ける神に信頼を置くならば、そして、その御子キリストに望みを置くならば、その声にならないような呻きであったとしても、神への真実な祈りとして聞かれるからです。

 

神は万軍の主。いつもともにおられるお方です。今日もこのお方に、私たちの声にならない呻きを聞いていただきましょう。言葉にならなくても大丈夫です。主はあなたのことを誰よりもよくご存知である真の天の父なのですから。

 

今日も私たちの天のお父様に、心からの祈りをささげましょう。

 

 


それだけでなく、御霊の初穂をいただいている私たち自身も、子にしていただくこと、すなわち、私たちのからだが贖われることを待ち望みながら、心の中でうめいています。
私たちは、この望みとともに救われたのです。目に見える望みは望みではありません。目で見ているものを、だれが望むでしょうか。
私たちはまだ見ていないものを望んでいるのですから、忍耐して待ち望みます。
同じように御霊も、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、何をどう祈ったらよいか分からないのですが、御霊ご自身が、ことばにならないうめきをもって、とりなしてくださるのです。"
ローマ人への手紙 8章19~26節


《祈り》

『天にいます私たちの父よ。御名が聖なるものとされますように。
御国が来ますように。みこころが天で行われるように、地でも行われますように。
私たちの日ごとの糧を、今日もお与えください。
私たちの負い目をお赦しください。私たちも、私たちに負い目のある人たちを赦します。
私たちを試みにあわせないで、悪からお救いください。』"
(マタイの福音書 6章9~13節より)