のりさん牧師のブログ

おもに聖書からのメッセージをお届けします。https://ribenmenonaitobaishikirisutojiaohui.webnode.jp/

悟ることがなければ

"人は栄華のうちにあっても悟ることがなければ滅び失せる獣に等しい。"
詩篇 49篇20節

 詩篇49篇には、ソロモンの伝道者の書に流れる同じテーマがある。神を恐れない者の末路は滅びであり、それが「愚か者の道」(13)であると。

 

 この地上でどんなに栄華を誇っても、それは神の永遠性から見れば一瞬のことであり、人はその「栄華のうちにはとどまれない」のである。

 この地上で神を恐れる者がわざわいに会うことがある。それは時に、私たちに悪意をもって取り囲み、私たちの心を挫こうとする。彼らはその財産により頼み、豊かな富を誇るが自分のたましいの贖い代を神に支払うことはできない。

 そのくらい、人間の罪は重く深い。本来であれば諦めなくてはならないほど、解決の道がないのだ。

 

 しかし、詩篇49篇20節のみことばは、どのようにすれば神による贖いに与ることができるのかを逆説的に示している。

 それは「悟る」ことである。これはらこの詩篇の文脈から読み取れば、あきらかに、自分の財産などに依存するのではなく、神の存在を認め、神に対する信頼を置くことであり、その神の招きに応えて生きることである。

 「しかし神は私のたましいを贖い出し、よみの手から私を奪い返してくださる」(15)

 物事がうまくいっていても、人々が私たちをほめたたえても、そのたましいの行き先は死であり、誰もが神の前に立たされる。そのとき、もはや持っていた財産も人々からの賞賛という勲章も役に立たない。

 生きているうちに、神との和解が終わっているか。その神への信頼により生かされていたのかが問われる。

 それがなければ、いくら金持ちでも高学歴でも、自分に誇れる能力や知識があったとしても「悟ることがなければ滅び失せる獣に等しい」のである。

 たとえられる獣に失礼なのかも知れない。獣は被造物として人の罪の呪いを受け、救いを待ち望んでいる被害者だからだ。

 

 あらためて、今、今日、現在、神なる主を崇め、このお方が与えてくださった救いを受け取っていきたい。その悟りをもって今日も歩ませていただこう。