「神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださるのです。」ピリピ2:13
信仰生活を歩もうとするとき、私たちの心とからだはどこを向いているでしょうか。また、何をもってそれを成し遂げようとしているでしょうか。
聖書は言います。それは、神だと。それでは、私たちは、神がそうなさるのだから、何もせずにおれば良いのでしょうか。そうではありません。聖書は、両方が必要だと言っているのです。12節で、パウロは「自分の救いを達成してください。」と言っています。救いは、ただ神からの恵みなはずなのに、自分で達成しろと。そして、神は、みこころのままに私たちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださると言っているのです。だから、自分で努力しながらも、その志も達成も神によると。そのとおり、ヤコブの手紙の記者主の兄弟ヤコブも、行いのない信仰は虚しいと言っています。私たちは、神を信じている。と同時に信じさせていただいてもいるのです。私たちは、主イエスを信じて救いをいただいている。と同時に、努力して救いを達成しようと努力しているのです。この表裏一体が、すべてのことを働かせて益となすという神の約束によって確信へと向かわせてくれるのです。放縦にもならず、律法的にもならず、ただ生ける神を愛し、神の愛にとどまるとき、私たちは形骸化した信仰生活ではなく、生き生きとした、神との親しい交わりのある信仰生活へと導かれるのです。
神が御子を与えてくださるほどに愛されている一方的な恵みに感謝し、神を愛する歩みをはじめましょう。