歴代誌 第二 34章30節
"王は、ユダのすべての人々、エルサレムの住民、祭司とレビ人、および上の者から下の者まで、すべての民とともに主の宮に上り、主の宮で見つかった契約の書のことばをすべて彼らに読み聞かせた。"
主の宮からモーセの律法の書を見つけたヨシヤ王は、その発見を単なる偶然とはしませんでした。
そのことすら、どうすべきなのか主に尋ね求めるために女預言者フルダに伺いを立てるのです。
ヨシヤは、彼女を通して主の御心を仰ぎ、その契約の書を自ら民たちに読み聞かせるのでした。まさに、書き記された主のことばとして、その契約の書は用いられたのです。
今日のみことばの箇所には、二通りの主のことばの示され方があります。一つは、預言者という人を通して語られる方法。二つ目は、書き記されたものを読み聞かせる方法です。
このヨシヤの時代はまだ聖書が完成していませんでしたので、預言者による啓示が中心でした。しかし、このモーセの律法の書とも契約の書とも言われる、書き記された言葉の発見により、今後の神のことばの啓示の仕方に新しい方向性が見られると言っても良いのではないでしょうか。
預言者による啓示は、直接的でわかりやすい反面、偽預言者が出てきたときの見分けがつけづらい欠点もあります。
しかも、語られたことばは一時的であり、そのとき限りで、その都度、また新たな言葉を語ってもらわねばなりません。そして、多くの人が神のことばを聞くのが難しいです。神のことばを聞くためには預言者の近くまで行かねばならないからです。
しかし、書き記されたものは、代表者によって読み聞かせることができ、書き写していけば、多くの人がそれぞれに神のことばに触れることができます。
だからと言って朗読だけで、そこから神の御心が分かるわけではありません。そこで、これまでの預言者ではなく、その書き記された神のことばを解釈し、説教する者の存在が必要となるのです。
説教者は預言者の役目の進化形と言えると思います。神様から直接ことばをいただき、常に新しいことばを語るのではなく、書き記された神のことばに従って、それをもとに語るべきことを伝えるのです。
そのために必要なのが、神の霊による導きです。説教者も自分の思いつきで書き記された神のことばを選んではならないからです。
現在はそれが聖書として完成し、聖書に基づいて神のことばが聖書から説教者によって語られ、また神を信じる民が自分でも書き記された神のことばを読むことによって、神の御心を受け取れるように導かれるのです。
以上のようにヨシヤ王による、モーセの律法の書の発見による対応によって、神のことばの新しい啓示の仕方をも発見したことになります。
現代の教会の時代では、その流れの中にあって、聖霊が注がれて、聖書の朗読と説き明かしによって主のことばを知らされるのです。
主は今も生きておられ、ご自身の御心を聖書に啓示して、私たちにこの世で生きていくための糧として、日々与えてくださっています。
今日もその主のことばをいただき、主のことばによって生かされて参りましょう。