のりさん牧師のブログ

恵庭福音キリスト教会の牧師をしています。おもに日常で気がついたことや、聖書からのメッセージをお届けします。https://ribenmenonaitobaishikirisutojiaohui.webnode.jp/

●今日のみことば: マタイの福音書 23章12節

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"だれでも、自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされます。"

  どんな人も誰かよりも上の立場にいたいと思うのではないでしょうか。私も会社員のときに、仕事で会う相手が自分よりも年上か年下かをよく気にしていたことを思い出します。もし、年上なら敬語を使い、年下ならばタメ口になるというようなことがありました。人を見て自分の立場を守ろうとしていたのです。

  

   イエス様の周りにはいつも弟子だけでなく、群衆に紛れてパリサイ人や律法学者たちもいました。

  彼らの宗教者としての態度は立派なものであったようです。規則正しく律法を守ることを大切にしていたからです。ただ、その多くは外見上の立派さであり、それを行う理由も神を愛し隣人を愛してそうしていたというよりも、むしろ人からの賞賛や尊敬が彼らの求めていたものだったのです。そのことをイエス様は、報いを自分で受け取っていると言われていました。

 

"ですから、施しをするとき、偽善者たちが人にほめてもらおうと会堂や通りでするように、自分の前でラッパを吹いてはいけません。まことに、あなたがたに言います。彼らはすでに自分の報いを受けているのです。"
マタイの福音書 6章2節


 

  彼らの善行は人前で吹くラッパのようだと言われます。それは、本来、神のため、また人のための奉仕は、誰にもわからないようにすべきなのに、人に分かるように目立つように行うからです。

  そういう彼らは、先生と呼ばれることに快感を覚え、また有力な人を持ち上げて父と呼んで、目にかけてもらうことを期待したようです。

  イエス様はそういう彼らを引き合いにして、弟子たちに対してチャレンジを与えています。自分を低くすることへの挑戦です。

 

"あなたがたのうちで一番偉い者は皆に仕える者になりなさい。"
マタイの福音書 23章11節

 

  今日のことばはまさに、とことん謙遜を身につけること。その必要を知るように求めています。

  弟子たちは度々、弟子たちの間で誰が一番偉いかということを議論していました。しかし、主イエス様は、偉い人になる。つまり、人の上に立つ者になることを望んでいるならば、かえって人に仕えなければ、誰も従って来ないし、リーダーの資質として相応しくないと言われたのです。

  誰でも人よりも一段高いところに自分をおいて安心するという気持ちがあると思います。

  しかし、大切なことはどんどん自分を低くすることであり、神の国はそのような者たちのものだと言われた通りです。

"ですから、だれでもこの子どものように自分を低くする人が、天の御国で一番偉いのです。"マタイの福音書 18章4節

  イエス様ご自身が、その模範となって最もへりくだってくださいました。神の御子が貧しい大工の家庭に生まれて、都会ではなく、誰からも蔑まれている場所で育ちました。

  その主は、こう言われています。

 

"わたしは心が柔和でへりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすれば、たましいに安らぎを得ます。
わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」"
マタイの福音書 11章29~30節

 

  真にへりくだっているお方なので、ご自分のようになることを教えるために、「わたしは柔和でへりくだっているから」とあえて仰っているのです。そして、そのくびきは負いやすいと言われています。

  今日、この主のへりくだりから学びましょう。主の歩まれた、へりくだりの道を歩ませていただきましょう。

 そうすればたましいに安らぎが与えられるのです。

 

"何事も利己的な思いや虚栄からするのではなく、へりくだって、互いに人を自分よりすぐれた者と思いなさい。
それぞれ、自分のことだけでなく、ほかの人のことも顧みなさい。
キリスト・イエスのうちにあるこの思いを、あなたがたの間でも抱きなさい。
キリストは、神の御姿であられるのに、神としてのあり方を捨てられないとは考えず、
ご自分を空しくして、しもべの姿をとり、人間と同じようになられました。人としての姿をもって現れ、
自らを低くして、死にまで、それも十字架の死にまで従われました。
それゆえ神は、この方を高く上げて、すべての名にまさる名を与えられました。
それは、イエスの名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが膝をかがめ、
すべての舌が「イエス・キリストは主です」と告白して、父なる神に栄光を帰するためです。"
ピリピ人への手紙 2章3~11節