のりさん牧師のブログ

おもに聖書からのメッセージをお届けします。https://ribenmenonaitobaishikirisutojiaohui.webnode.jp/

●今日のみことば: マタイの福音書 23章25節

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"わざわいだ、偽善の律法学者、パリサイ人。おまえたちは杯や皿の外側はきよめるが、内側は強欲と放縦で満ちている。"

「わざわいだ、偽善の律法学者、パリサイ人。」

  主イエスは、マタイ23:13〜29の中でこの言葉を繰り返し繰り返し、これでもかというほどに用いています。

 その中でも今日は、25節のことばに注目したいと思います。それは、外側をよく見せても内側は汚れているということは、人間社会の中でもよく言われていることだからです。

  同じ意味のことが、27〜28節でも言われています。

"わざわいだ、偽善の律法学者、パリサイ人。おまえたちは白く塗った墓のようなものだ。外側は美しく見えても、内側は死人の骨やあらゆる汚れでいっぱいだ。
同じように、おまえたちも外側は人に正しく見えても、内側は偽善と不法でいっぱいだ。"
マタイの福音書 23章27~28節


 イエス様は「わざわいだ」と言われます。何がでしょうか。それは律法学者やパリサイ人そのものがわざわいなのではなくて、「偽善」であることがわざわいだと言われているのです。

  偽善とは何でしょう。このもともとの言葉は、役者、俳優を意味する単語が用いられています。仮面をつけて演じる人のことです。つまり、中身がないのに正しい人を演じているだけなら、意味がないことを伝えています。しかし、更に問題なのは、律法学者やパリサイ人というのは、当時のイスラエルの政治・宗教で指導的立場にあった人たちであったということです。

  イエス様は彼らについてこのようにも言われていました。

  "わざわいだ、目の見えない案内人たち。"マタイの福音書 23章16節

  それはどういうことでしょう。それは神の国へ導く案内人であるはずなのに、案内人自身が霊的に盲目だと警告しているということです。それはこのようになるからです。

  "彼らは盲人を案内する盲人です。もし盲人が盲人を案内すれば、二人とも穴に落ちます。」"
マタイの福音書 15章14節

  それは、本来ならば正しく人々を導く立場にありながら、強欲と放縦によって人々を混乱させ、正しい道に導けないだけでなく、いっしょに穴に落ちる。つまり地獄へ落ちるとまで言われているのです。

  神が愛してやまない一人ひとりを御国に導くために置かれた彼らが、かえって人々を御国から遠ざけている。彼らに与えられた責任の重さがここにあるのです。

  私も牧師という立場に立たされながら、御霊ではなく、強欲と放縦で行なっているなら、同じようにイエス様から叱責を受けなければなりません。

  これは、牧師に限らず、教会でリーダーに召されている全ての人への警告です。ここで、自分とは関係のない話だと読み飛ばすなら、それは大変なことを招くことをよく心して置かなければならないのです。

  イエス様がなぜここまで厳しく繰り返し繰り返し「わざわいだ」と叱責されているのでしょうか。

 それは、その背後に明らかにサタンが立っているからです。

  "蛇よ、まむしの子孫よ。おまえたちは、ゲヘナの刑罰をどうして逃れることができるだろうか。"
マタイの福音書 23章33節

  イエス様は彼らのことを「蛇よ、まむしの子孫よ」と言われました。それは、あの創世記3章で神である主が、蛇に対して言われた言葉に繋がっています。

"わたしは敵意を、おまえと女の間に、おまえの子孫と女の子孫の間に置く。彼はおまえの頭を打ち、おまえは彼のかかとを打つ。」"創世記 3章15節

  イエス様は、偽善の律法学者、パリサイ人をこの蛇の子孫、サタンの子孫だと言っているのです。しかも、そこに敵意を置いたのは他でもなく神である主ご自身であるということ。

 ここに、イエス様の厳しいお言葉、厳しい姿勢のもう一つの意味があるのではないでしょうか。

  偽善の背後にあるサタンの陰謀に加担してはいけません。蛇の子孫、まむしの子孫となってはいけません。

  あなたも女の子孫、主イエスを通して生まれ変わった者として生きるために招かれています。石ころからでもアブラハムの子孫を起こせるお方は、蛇の子孫に加担している者をも女の子孫へと立ち返らせることがおできになります。

  要は、偽善をやめ、すべての罪を悔い改めて、へりくだってその祝福への招きを受け入れることです。

  イエス様は律法学者たちを見捨てて繰り返し厳しいことを仰っているのではありません。彼らにある責任の重さを認識させるとともに、その厳しいみことばで目が覚めて、主の下に悔い改めることを望んでおられるのです。

  なぜならば、主は全ての人が滅びることなく救われることを望んでおられるからです。

  

"主は、ある人たちが遅れていると思っているように、約束したことを遅らせているのではなく、あなたがたに対して忍耐しておられるのです。だれも滅びることがなく、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。"
ペテロの手紙 第二 3章9節

 

"ですから、悔い改めて神に立ち返りなさい。そうすれば、あなたがたの罪はぬぐい去られます。"
使徒の働き 3章19節

 

"もし私たちが自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、私たちをすべての不義からきよめてくださいます。"
ヨハネの手紙 第一 1章9節

" 御子イエスの血がすべての罪から私たちをきよめてくださいます。"
ヨハネの手紙 第一 1章7節b