のりさん牧師のブログ

おもに聖書からのメッセージをお届けします。https://ribenmenonaitobaishikirisutojiaohui.webnode.jp/

回復させ、憐れむ主

エレミヤ書
33章
1,エレミヤがまだ監視の庭に閉じ込められていたとき、再びエレミヤに次のような主のことばがあった。
2,「地を造った主、それを形造って堅く立てた主、その名が主である方が言われる。
3,『わたしを呼べ。そうすれば、わたしはあなたに答え、あなたが知らない理解を超えた大いなることを、あなたに告げよう。』
4,まことに、イスラエルの神である主は、敵の塁や剣に対抗するために取り壊された、この都の家々と、ユダの王たちの家々について、こう言われる。
5,『彼らはカルデア人と戦おうとして出て行くが、わたしの怒りと憤りによって打ち殺された屍をその家々に満たす。それは、彼らのすべての悪のゆえに、わたしがこの都から顔を隠したからだ。
6,見よ。わたしはこの都に回復と癒やしを与え、彼らを癒やす。そして彼らに平安と真実を豊かに示す。
7,わたしはユダとイスラエルを回復させ、以前のように彼らを建て直す。
8,わたしは、彼らがわたしに犯したすべての咎から彼らをきよめ、彼らがわたしに犯し、わたしに背いたすべての咎を赦す。
9,この都は、地のすべての国々の間で、わたしにとって喜びの名となり、栄誉となり、栄えとなる。彼らは、わたしがこの民に与えるすべての祝福のことを聞き、わたしがこの都に与えるすべての祝福と平安のゆえに恐れ、震えることになる。』

10,主はこう言われる。「あなたがたが、人も家畜もいない廃墟と言うこの場所で、人も住民も家畜もいない、荒れすたれたユダの町々とエルサレムの通りで、
11,楽しみの声と喜びの声、花婿の声と花嫁の声、主の宮に感謝のいけにえを携えて来る人たちの声が、再び聞かれるようになる。彼らは言う。『万軍の主に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで』と。わたしがこの地を回復させ、以前のようにするからだ
──主は言われる。」
12,万軍の主はこう言われる。「人も家畜もいない廃墟であるこの場所と、そのすべての町に、群れを伏させる羊飼いたちの住まいが再びできる。
13,山地の町々でも、シェフェラの町々、ネゲブの町々、ベニヤミンの地、エルサレムの近郊、ユダの町々でも、群れが再び、数を数える者の手の下を通り過ぎる──主は言われる。」
14,「見よ、その時代が来る──主のことば──。そのとき、わたしはイスラエルの家とユダの家に語ったいつくしみの約束を果たす。
15,その日、その時、わたしはダビデのために義の若枝を芽生えさせる。彼はこの地に公正と義を行う。
16,その日、ユダは救われ、エルサレムは安らかに住み、こうしてこの都は『主は私たちの義』と名づけられる。」
17,まことに主はこう言われる。「ダビデには、イスラエルの家の王座に就く者が断たれることはない。
18,また、レビ人の祭司たちには、わたしの前で全焼のささげ物を献げ、穀物のささげ物を焼いて煙にし、いけにえを献げる者が、いつまでも絶えることはない。」

19,エレミヤに次のような主のことばがあった。
20,主はこう言われる。「もしもあなたがたが、昼と結んだわたしの契約と、夜と結んだわたしの契約を破ることができ、昼と夜が、定まった時に来ないようにすることができるのであれば、
21,わたしのしもべダビデと結んだわたしの契約も破られ、ダビデにはその王座に就く子がいなくなり、わたしに仕えるレビ人の祭司たちと結んだわたしの契約も破られる。
22,天の万象は数えきれず、海の砂は量れない。そのようにわたしは、わたしのしもべダビデの子孫と、わたしに仕えるレビ人を増やす。」
23,エレミヤに次のような主のことばがあった。
24,「あなたはこの民が、『主は自分で選んだ二つの部族を退けた』と話しているのを知らないのか。彼らはわたしの民を侮っている。『自分たちの目には、もはや一つの国民ではないのだ』と。」
25,主はこう言われる。「もしも、わたしが昼と夜と契約を結ばず、天と地の諸法則をわたしが定めなかったのであれば、
26,わたしは、ヤコブの子孫とわたしのしもべダビデの子孫を退け、その子孫の中から、アブラハム、イサク、ヤコブの子孫を治める者を選ぶということはない。しかし、わたしは彼らを回復させ、彼らをあわれむ。」

 

 ユダの民から虐げられ、監視の庭に追いやられた預言者エレミヤ。涙の預言者と言われたエレミヤの孤独がここにあります。正しいことを行なっていても不幸なことは起こる。そのことも、このエレミヤの姿を通して考えさせられます。

 しかし、そのような監視の庭にいるエレミヤに主からのみことばが与えられます。それは、つまりどんなに孤独に、また他の人たちから自由が奪われ、監視されていても、主のみことばが与えられる幸いをエレミヤは引き続き体験するのです。

 これは、私たちに聖書があたえられているのと同じであると言って良いでしょう。実はいつも、手元に聖書があるということは、非常に大きな恵みなのです。それは、監視の庭にいてもみことばが与えられたエレミヤと同じだからです。

 しかも与えられたみことばは、エレミヤを元気づける内容でした。

"『わたしを呼べ。そうすれば、わたしはあなたに答え、あなたが知らない理解を超えた大いなることを、あなたに告げよう。』"エレミヤ書 33章3節

 どんなときにも主の名を呼びなさいと主は言われます。そのとき、どんなことが起こるのか。それは「あなたが知らない理解を超えた大いなること」です。 

 神様の解決方法は私たちには想像できません。私たち人間の理解を超えたことなのです。神の知恵は間違いなく私たちの頭では考えつきません。

 そのようなことが起こるということを、私たちはまず信じなければなりません。それは私たちにできることは、自分の頭で監視の庭から出ることを考えるよりも、まずは主に呼びかけること、つまり祈ることが最善だと言うことです。

 主の御業はそこに注がれるのです。ほれがエレミヤに対してはイスラエルの回復でした。それは、どんなに今絶望的に見えていたとしても、神様は必ずイスラエルに回復を与えてくださるということです。

 それが私たちの理解を超えた大いなることなのです。

 その最も偉大な大いなること、私たちの理解を超えた偉大な出来事が主の十字架と復活によって罪が赦されるということです。だれが、ローマ帝国の磔によって救いを考えつくでしょう。どうして死んだ人がよみがえって新しい神の国を建て上げるでしょう。

 それは、だれも想像しなかったこと、できなかったことでした。それはイエス様の弟子たちですら考えも及ばない数奇なことでした。だから彼らは聖霊が与えられるギリギリまでイスラエルの再興しか頭にありませんでした。

 しかし、主はユダヤ人から妬まれ憎まれてランチに会い、殺される中に、イスラエル人たちがモーセの律法に基づいてずっと行なってきた動物による罪の贖いの意味を、その主イエスの十字架に重ね合わせ、神と人間を隔てていた壁を取り除いたのです。

 そして、神は三日目にイエス様を死からよみがえらせて、主を信じて義とされた者の初穂として新しいからだをもって復活する希望を示されたのでした。

 このことこそ、誰も理解できない大いなる出来事です。それは、私たちの人生を死から命、闇から光、呪いから祝福に変える奇蹟となったのです。

 そして、この世の最も弱い者、取るに足りない者にまずその奇蹟を味わわせて、誰も自分の知恵だ、私の手柄だと言わせないようにされたのです。

 ここに神の知恵があります。今…私たちは、この神の知恵によりキリストの奇蹟的な贖いのゆえに義とされ、聖とされ、最も恵まれた者とされました。今日のエレミヤへの神のことばにある恵みは、あなたにも訪れたのです。

 今日もその理解を超えた大いなる出来事を反芻して、神に感謝をささげつつ歩ませていただきたいと思います。

"ああ、神の知恵と知識の富は、なんと深いことでしょう。神のさばきはなんと知り尽くしがたく、神の道はなんと極めがたいことでしょう。
「だれが主の心を知っているのですか。だれが主の助言者になったのですか。
だれがまず主に与え、主から報いを受けるのですか。」
すべてのものが神から発し、神によって成り、神に至るのです。この神に、栄光がとこしえにありますように。アーメン。"
ローマ人への手紙 11章33~36節
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