のりさん牧師のブログ

おもに聖書からのメッセージをお届けします。https://ribenmenonaitobaishikirisutojiaohui.webnode.jp/

耳のある者は聞きなさい

ヨハネの黙示録を読むと、七つの教会宛に手紙を書き送れと言われている。これは使徒ヨハネが晩年に幻を見て、実際にその諸教会に書いたものなのか、あくまで黙示的に見たものを、また聞いたものを記録したものなのか。

 

いずれにしても、主による幻の中で、ヨハネは七つの教会に手紙を書いた。これらの教会は、実際に当時存在した教会なのだろう。それらの教会の状況が描かれて、そこに主からの警告のことば、もしくは称賛の言葉が綴られる。

 

その七つの教会は、現代に至るまでの教会の姿を映しており、それが終末における諸教会の姿なのだろう。その主からのことばの中で必ず繰り返されることばがある。それが「耳のある者は聞きなさい」である。このことば自体は、主イエスが言われていたことを思い出す。

 

それはマタイで3回、マルコで1回、ルカで2回、黙示録では8回言われている。しかし黙示録の8回のうち7回は2章と3章の七つの教会への手紙で言われていて、1回は13章で使われている。ただし、手紙で使われている7回の方には、「耳のある者は聞きなさい」に更に繰り返されることばがつく。

 

それは「御霊が諸教会に告げることを」である。ここで、諸教会に対する手紙の発信者が確定されていて、それが御霊であることを確認できる。その手紙の発信者が聖霊だということである。ここに、ヨハネに語られたのがイエスでありながら、教会へのことばとしては聖霊のことばとされているのである。

 

ここに、その区別がされているのはどうしてだろうか。これらの手紙が「〇〇の諸教会に書き送れ」と言われて書き出されるので、それぞれの教会に実際に遣わされている御使いたちに対する命令者としての三位一体の神における働きの中で。その役目としては御霊であると言うことなのか。

 

しかし、「使徒の働き」を見ると、人に対してイエスの御霊が語り進むべき道を変更させている場面があるので、必ずしも人に対することばがイエスで、御使いに対しては御霊であるというわけではないのであろう。

 

あくまで、ヨハネを通して書かれる手紙。つまり現在における聖書が御霊によって書かれているという意味なのである。つまりテモテへの手紙第二3章16節で言われている、あの「神の霊感」である。

"聖書はすべて神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練のために有益です。"
テモテへの手紙 第二 3章16節

だから、言いたいことは、ここで手紙を書くヨハネが執筆してはいても、聖書の真の著者は聖霊であり、だからこそ、それは権威があり、神のことばとして受け取るものなのだということでおる。

 

聖書への信頼はこの事実にあるのである。聖書は無謬だから神のことばなのではなく、神のことばだから無謬なのである。それは、神に霊感されて書かれたこと、つまり、それは主なる御霊が言われているからこそ、耳のある者はそれを聞かねばならないのである。

 

私たちもそのことをわきまえて聖書に聞かねばならない。各書が人によって書かれているが、その真の著者が聖霊であることのゆえに、そこで語られていることには誤りがないと信頼してまいりたい。