のりさん牧師のブログ

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パウロ告別説教①「パウロが伝えていたもの」

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使徒の働き 20章13~24節

  私たちは先に船に乗り込んで、アソスに向けて船出した。そこからパウロを船に乗せることになっていた。パウロ自身は陸路をとるつもりでいて、そのように決めていたのである。


こうしてパウロはアソスで私たちと落ち合い、私たちは彼を船に乗せてミティレネに行った。


翌日そこから船出して、キオスの沖に達し、その次の日にサモスに立ち寄り、さらにその翌日にはミレトスに着いた。


  パウロは、アジアで時間を取られないようにと、エペソには寄らずに航海を続けることに決めていた。彼は、できれば五旬節の日にはエルサレムに着いていたいと、急いでいたのである。


  パウロはミレトスからエペソに使いを送って、教会の長老たちを呼び寄せた。
彼らが集まって来たとき、パウロはこう語った。

 

「あなたがたは、私がアジアに足を踏み入れた最初の日から、いつもどのようにあなたがたと過ごしてきたか、よくご存じです。
私は、ユダヤ人の陰謀によってこの身に降りかかる数々の試練の中で、謙遜の限りを尽くし、涙とともに主に仕えてきました。
益になることは、公衆の前でも家々でも、余すところなくあなたがたに伝え、また教えてきました。
ユダヤ人にもギリシア人にも、
神に対する悔い改めと、私たちの主イエスに対する信仰を証ししてきたのです。
ご覧なさい。私は今、御霊に縛られてエルサレムに行きます。そこで私にどんなことが起こるのか、分かりません。
ただ、聖霊がどの町でも私に証しして言われるのは、鎖と苦しみが私を待っているということです。
けれども、私が自分の走るべき道のりを走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音を証しする任務を全うできるなら、自分のいのちは少しも惜しいとは思いません。」

 パウロがこれまで伝えてきた福音とは何でしょう。それは、「神の恵みの福音」であり、その中身は、「神に対する悔い改めと、私たちの主イエスに対する信仰」です。その福音をユダヤ人にもギリシア人にも等しく語ってきたと言っています。

 これはパウロが伝えていた福音を端的に表したものです。

 まず「神に対する悔い改め」です。意味的には、神に対する方向転換であり、これまでの生き方をやめて、神に立ち返ることを意味しています。

 それは神から離れた生き方である自分中心の生活をやめて、神中心の生活を始めることです。

 

 福音というと、そのままでは「良い知らせ」という意味ですが、その良い知らせを自分自身の中に適用するためには、私たち自身の変革が必要になるということなのです。

 それは、実は簡単なことではありません。何せ自分を変えることは大変難しいからです。しかし、ここで更に大切なことは、その自分自身の変革の必要に気がつくことなのです。そして、気が付いたならば、自分では自分の罪をどうすることもできないことを悟り、だからこそ神様にお任せするのです。

 そこに、必然的に神への信仰が始まります。では、その神様にどのように自分自身の変革を任せるのか。

 それが次のステップである「主イエスに対する信仰」です。

 主イエスに対する信仰とは何でしょう。それは、主イエスこそ、自分の罪の贖いとなってくださった救い主と信じることです。そして、その主イエスが私の罪の身代わりに死んで葬られ、三日目によみがえり、死に打ち勝ち、信じる私をもその勝利に与らせてくださると信じることです。

 私たちは、その福音によって神の子どもとされ、永遠のいのちにあずかっているのです。

 パウロが伝えてきたその福音は、語るパウロをはじめ、主イエスの弟子たちのいのちがけの宣教によって伝えられて来たことをあらためて覚えたいと思います。

 パウロは、ここでエペソの長老たちに告別説教を語り、聖霊に導かれてエルサレムへ戻ると言っています。これは、福音のゆえに、エルサレムユダヤ人たちから迫害を受ける危険を覚悟しているパウロの姿です。

 多くの人々を救いに導けるのなら、パウロは自分のいのちを惜しいとは少しも思っていません。それは、まさにご自分のいのちをささげて、私たちに与えてくださった主イエスの御跡に従う弟子の姿です。

 私たちも今朝、あらためて、この神の恵みの福音の意味を味わいたいと思います。そして、私たちも、その福音を、まだ救われていない人たちへ、大胆にあかしするものでありたいと思います。

 

"兄弟たち。私があなたがたに宣べ伝えた福音を、改めて知らせます。あなたがたはその福音を受け入れ、その福音によって立っているのです。
私がどのようなことばで福音を伝えたか、あなたがたがしっかり覚えているなら、この福音によって救われます。そうでなければ、あなたがたが信じたことは無駄になってしまいます。
私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書に書いてあるとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、
また、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおりに、三日目によみがえられたこと、
また、ケファに現れ、それから十二弟子に現れたことです。
その後、キリストは五百人以上の兄弟たちに同時に現れました。その中にはすでに眠った人も何人かいますが、大多数は今なお生き残っています。"
コリント人への手紙 第一 15章1~6節
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