日本メノナイト 白石キリスト教会

おもに聖書からのメッセージをお届けします。

『婚と葬における牧会伝道の意義』

           
 
序)
 人間の営みの中で、結婚することと葬ることは、絶対に欠くことができない儀式である。古来、人間は、民族、文化、宗教を超えて、この二つの儀式を行なってきた。それは、そこに生命の誕生と終わりがあるからである。
 結婚は、すべての人がするものではないが、結婚がなければ子孫は生まれず、国家も成り立たなくなるほど国の根幹に関わってくる問題である。近年、絶滅が危ぶまれる動物が多数種存在するが、人間も結婚を疎かにしていると絶滅する可能性はゼロではない。一方、葬式はすべての人間が避けて通れない儀式である。それは、だれもが死に向かって生きている一人ひとりだからである。
 いずれにしても、婚と葬はそのような意味で、人間だれもが向き合わなければならない必須儀式である。特にこの二つの儀式と宗教が大きく関係していることは、「婚と葬における牧会伝道の意義」を考察する上で、重要な着目点である。
 
1. 結婚とキリスト教
 昨今、日本においても結婚式をキリスト教式で行なう人が増えてきた。この状況にキリスト教会はどのように対応すべきだろうか。ある教会はクリスチャン同士でなければ挙式、また司式しない牧師もいるし、ブライダルミニストリーのように結婚するカップルがどうであれ、どんどん司式してキリスト教式の結婚式を積極的に行なっている教会、牧師もいる。
 私がこの度、学びを通して考えさせられたことは、闇雲に結婚式を司式することはやめたほうが良いが、結婚する二人の事情、状況によって、結婚前の聖書の学びに応じ、教会の役員会等での承認が得られるのであれば、未信者同士であっても司式はしても良いと考える。なぜなら、もし教会が断れば他宗教の中での挙式となり偶像崇拝をさせてしまうことにも繋がるからである。そうであるなら、前述の条件を満たすならば、教会の意思に反しない範囲での司式は認めるべきだろう。その他ケースバイケースではあるが、その都度よく祈り、主はどうされるかを考えていくべきであると思う。
 
2. 葬式とキリスト教
 葬るとは、古くから人間だけが行う礼拝行為である。その際、人が死ぬことは、そのあとのいのちがどうなるのか。そのあとの霊魂がどうなるのかということが、葬ることと深く関係している。
 そこでキリスト教会も、魂を扱うという意味で、立てられている地域における葬儀には無関係でいられない。ただし、信仰による救いを明らかにしているキリスト教会は、未信者で亡くなられた方の葬儀をどのように行なうかが問われる。
 教会員であるなら、まず日ごろからの関わりが大切である。授業を通して学んだことは、普段の牧会が葬式に表れるということである。結婚式はある程度準備があり、結婚までの備えに余裕があるが、葬儀ともなれば、ほとんどが急であろう。しかし、日ごろの関係が確立しているならば急な中にも失礼にならないような備えができるだろうと思う。
 キリスト教葬儀自体の日本における印象は、明るくて比較的良いと評価される。葬儀を明るい伝道の場とするのはクリスチャンの葬儀で多々あることだが、一般の方には配慮は必要である。いくら天国に行く希望に満たされているとは言え、一人の人が死ぬということは大変重い出来事である。その厳粛さは大切にすべきであると言える。
 
3. まとめ
 婚と葬。どちらも人間にとって切っても切れない出来事における儀式である。だからこそ、教会はそれに寄り添い、そこに向かう人々をキリストへと導かなければならないと思う。主イエスがカナの婚礼を祝福されたように、私たちもまた人々の主の御前における結婚を祝福したい。また、主がラザロの死に際し、憤られて涙を流され、しかし、みことばをもってラザロを生き返らせたように、死に対する厳粛さを共有しつつ復活の主の希望を伝えたい。
 現代日本に遣わされている私たちはどのように福音を展開できるか。祈りつつ、学びつつ進むものでありたい。