のりさん牧師のブログ

おもに聖書からのメッセージをお届けします。https://ribenmenonaitobaishikirisutojiaohui.webnode.jp/

主の礼拝のために聖別されたレビ人

歴代誌 第一
23章
1,ダビデは日を重ねて年老い、その子ソロモンをイスラエルの王とした。
2,彼はまた、イスラエルのすべての長たち、祭司、レビ人を集めた。
3,レビ人のうち、三十歳以上の者を数えたところ、その男子の頭数は三万八千人であった。
4,「そのうち、主の宮の務めを指揮する者は二万四千人、つかさとさばき人は六千人、
5,四千人は門衛となり、四千人は私が賛美するために作った楽器を手にして、主を賛美する者となりなさい。」
6,ダビデは彼らを組に分けた。レビ族を、ゲルション、ケハテ、メラリに分け、
7,ゲルション人をラダンとシムイに分けた。
8,ラダンの子は、そのかしらエヒエル、ゼタム、ヨエルの三人。
9,シムイの子は、シェロミテ、ハジエル、ハランの三人。これらはラダンの一族のかしらであった。
10,シムイの子はまた、ヤハテ、ジザ、エウシュ、ベリア。これらの四人はシムイの子であった。
11,ヤハテはそのかしら、ジザはその次であった。エウシュとベリアは子を多く持たなかった。そこで父の家にいて、一つの役に就いた。
12,ケハテの子は、アムラム、イツハル、ヘブロン、ウジエルの四人。
13,アムラムの子は、アロンとモーセ。アロンは、最も聖なるものを聖別するのに選り分けられた。それは、彼とその子たちが、とこしえに主の前に香をたき、主に仕え、とこしえに主の御名によって祝福するためである。
14,神の人モーセの子孫は、レビ部族の者として名を呼ばれた。
15,モーセの子は、ゲルショムとエリエゼル。
16,ゲルショムの子は、かしらがシェブエル。
17,エリエゼルの子は、かしらがレハブヤ。エリエゼルにはほかに息子がいなかったが、レハブヤの子は非常に多かった。
18,イツハルの子は、かしらがシェロミテ。
19,ヘブロンの子は、かしらがエリヤ、次にアマルヤ、第三はヤハジエル、第四はエカムアム。
20,ウジエルの子は、かしらがミカ、次はイシヤ。
21,メラリの子は、マフリとムシ。マフリの子は、エルアザルとキシュ。
22,エルアザルは死に、彼には息子がなく娘だけであったので、親族であるキシュの子らが彼女たちを妻に迎えた。
23,ムシの子は、マフリ、エデル、エレモテの三人。
24,これは、それぞれ父祖の家に属するレビ族で二十歳以上になり、主の宮の奉仕の仕事をした者であり、一人ひとり名を数えられ、登録された一族のかしらたちであった。
25,ダビデがこう言ったからである。「イスラエルの神、主は、御民に安息を与え、とこしえまでもエルサレムに住まわれる。
26,レビ人も、幕屋を運んだり、奉仕に用いるすべての器具を運んだりする必要はない。」
27,これらが、ダビデの最後のことばにしたがって数えられた二十歳以上のレビ人の数である。
28,彼らの役目は、主の宮に仕えるアロンの子らを、庭、脇部屋、すべての聖なるものに関わるきよめ、また、神の宮での奉仕のわざをもって助けることである。
29,また、彼らは、並べ供えるパン、穀物のささげ物の小麦粉、種なしの薄焼きパン、平鍋、混ぜ合わせたもの、また各種の量や大きさを計ること、
30,朝ごとに、立って主をほめたたえ、賛美し、夕べにも同様にすること、
31,安息日新月の祭り、および例祭ごとに、主に献げられるすべての全焼のささげ物が、主の前に絶えず、定められた数で献げられることについても責任を負う。
32,彼らは、主の宮の奉仕に関して、会見の天幕の任務、聖所の任務、同族アロンの子らの任務に当たった。

 

 今日の箇所では、老いたダビデの最後の仕事だったようです。それは、レビ人の働きを幕屋型から神殿型へ更新することでした。

 

26,レビ人も、幕屋を運んだり、奉仕に用いるすべての器具を運んだりする必要はない。

 

 もう移動することを考えることはないのです。それは、固定式の幕屋である神殿が建設されるからです。でも、このことが実現するのは、もう少しあとのソロモンが王になってからです。

 しかし、ダビデの心はその備えを行い、ソロモンの神殿建設事業を助けるためであり、まだ見ぬ神の宮への強い憧れと希望に満ちたものだったのです。

 恐らく幕屋に仕えるレビ人たちも、ダビデによる働きの更新のことを聞かされて心が躍ったに違いありません。神の礼拝に仕える者として、これまではある意味、旅人であり寄留者としての心で働いていたと思いますが、今度はそうではない、主を礼拝するためだけの専用の礼拝所が与えられるのです。

 このことは、教会の時代を生きるクリスチャンたちの姿と重なります。クリスチャンである私たちも、ダビデの子主イエスによって、完成された天の御国を指し示していただき、今は旅人であり寄留者ですが、しかし、やがてそのような仮住まいの生活から、腰を据えて、主を礼拝することに集中できるという生き方に更新されるからです。

 今は、このときのレビ人と同じように、やがて来るその素晴らしいときのために、ダビデによって命じられことを信じて備えるレビ人のように、そのことに憧れを持ちつつ、希望を抱きつつ待つものとされている。

 何という祝福でしょう。そのために今、老人となったダビデは最後の仕事として命を賭して、この働きを行った。同様にダビデの子キリストも、いのちを捨てて私たちのために十字架にかかり、死んでよみがえり、天の御国へ続く救いの道を備えてくださいました。

 今日もこのキリストのみことばに従い、この方を愛して、御国において主の礼拝に仕える幸いを今、ことときから喜び味わう者とされてまいりましょう。

 

"これらの人たちはみな、信仰の人として死にました。約束のものを手に入れることはありませんでしたが、はるか遠くにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり、寄留者であることを告白していました。
そのように言っている人たちは、自分の故郷を求めていることを明らかにしています。
もし彼らが思っていたのが、出て来た故郷だったなら、帰る機会はあったでしょう。
しかし実際には、彼らが憧れていたのは、もっと良い故郷、すなわち天の故郷でした。ですから神は、彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。神が彼らのために都を用意されたのです。"
ヘブル人への手紙 11章13~16節
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