のりさん牧師のブログ

おもに聖書からのメッセージをお届けします。https://ribenmenonaitobaishikirisutojiaohui.webnode.jp/

◎ 2020年4月30日(木) きょうのみことば

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ダビデ告別のことば」

【列王記 第一 2章1~12節】

"ダビデの死ぬ日が近づいたとき、彼は息子のソロモンに次のように命じた。
「私は世のすべての人が行く道を行こうとしている。あなたは強く、男らしくありなさい。
あなたの神、主への務めを守り、モーセの律法の書に書かれているとおりに、主の掟と命令と定めとさとしを守って主の道に歩みなさい。あなたが何をしても、どこへ向かっても、栄えるためだ。
そうすれば、主は私についてお告げになった約束を果たしてくださるだろう。すなわち『もし、あなたの息子たちが彼らの道を守り、心を尽くし、いのちを尽くして、誠実にわたしの前に歩むなら、あなたには、イスラエルの王座から人が断たれることはない』。
また、あなたはツェルヤの子ヨアブが私にしたこと、すなわち、彼がイスラエルの二人の軍の長、ネルの子アブネルとエテルの子アマサにしたことを知っている。ヨアブは彼らを虐殺し、平和なときに戦いの血を流し、自分の腰の帯と足のくつに戦いの血をつけたのだ。
だから、あなたは自分の知恵にしたがって行動しなさい。彼の白髪頭を安らかによみに下らせてはならない。
しかし、ギルアデ人バルジライの子たちには恵みを施してやり、彼らをあなたの食卓に連ならせなさい。彼らは、私があなたの兄弟アブサロムの前から逃げたとき、私の近くに来てくれたのだから。
また、あなたのそばに、バフリム出身のベニヤミン人ゲラの子シムイがいる。彼は、私がマハナイムに行ったとき、非常に激しく私を呪った。だが、彼は私を迎えにヨルダン川に下って来たので、私は主にかけて、『おまえを剣で殺すことはない』と彼に誓った。
しかし今は、彼を咎のない者としてはならない。あなたは知恵の人だから、どうすれば彼の白髪頭を血に染めてよみに下らせられるかが分かるだろう。」
こうして、ダビデは先祖とともに眠りにつき、ダビデの町に葬られた。
ダビデイスラエルの王であった期間は四十年であった。ヘブロンで七年治め、エルサレムで三十三年治めた。
ソロモンは父ダビデの王座に就き、その王位は確立した。"

 ダビデの死が迫っていたとき、彼は後継者ソロモンに最期の言葉を遺しました。
 一つは主への服従でした。主への服従は即ち、主のことば、主の律法に誠実であることであり、どんなときもそう生きることで、その歩みが、また治める王国が栄えるためであるからです。
 詩篇にもこのように書かれています。

 

詩篇 1篇1~3節】
"幸いなことよ悪しき者のはかりごとに歩まず罪人の道に立たず嘲る者の座に着かない人。
主のおしえを喜びとし昼も夜もそのおしえを口ずさむ人。
"その人は流れのほとりに植えられた木。時が来ると実を結びその葉は枯れずそのなすことはすべて栄える。"

 また、主の教えを守ることは、主の支配と力を認めることでもあり、自分の計画よりも主の御心を優先するときに、結果的にその歩みは主によって成就されていくのです。

 

詩篇 37篇5節】
"あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。"

 また、若い王ソロモンを遺して旅立つダビデにとって不安な要素がありました。それが、これまでダビデ王国の軍団長であるヨアブであり、アブサロムのクーデターのおり、ダビデを罵ったシムイでした。
 それぞれへの思いは、自分が生きているうちは何とか整理できていても、息子の代になって、彼らはきっと手かせ足かせになるに違いないと踏んだのです。その気持ちはよくわかります。しかし、権力によってその不安要素を取り除こうとすることは、果たして正しいことなのでしょうか。確かに不安なのはわかります。しかし、そのようなときこそ大切なことは、主への信頼ではないでしょうか。
 主の支配、主の力、主の恵みを待ち望むものへの主の報いは偉大です。主に従う者の価値は世が与える価値とは全く違うものです。
 王であっても、国民であっても、大切なことは、絶対的な主への信頼であり、みことばへの服従なのです。その生き方は、私たち自身ではなく、主ご自身が保証してくださるからです。

 

詩篇 33篇16~18節】
"王は軍勢の大きさでは救われない。勇者は力の大きさでは救い出されない。
軍馬も勝利の頼みにはならず軍勢の大きさも救いにはならない。
見よ主の目は主を恐れる者に注がれる。主の恵みを待ち望む者に。"

 またダビデは自分の一番苦しいときに良くしてくれたバルジライのことはきちんと覚えていました。その恩に報いるために、バルジライの一族の保護をソロモンに託します。それは、まさに神の民イスラエル民族の特徴かも知れません。
 かつて、ナチスに迫害を受けていたときに、ユダヤ人を救うために尽力した人たちを彼らは忘れず、今もなお記念して、その親族に対して誠実に感謝を表し続けています。シンドラーしかり、杉浦千畝しかり、樋口喜一郎しかり。
 私たちも、その生き方に倣いたいと思います。大切なことは、私の力ではなく、主の力に信頼することです。私には力がないことを認めて、100%主の力に依存することです。
 鷲が上昇気流に身をまかせながら、大空に舞い上がるように、私たちも神の御力に乗って舞い上がることができるのです。それが主への信頼、その支配、みことばへの服従です。その歩みは決して重荷にはなりません。むしろ、あなたを自由にします。

イザヤ書 40章31節】
"しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように、翼を広げて上ることができる。走っても力衰えず、歩いても疲れない。"