のりさん牧師のブログ

おもに聖書からのメッセージをお届けします。https://ribenmenonaitobaishikirisutojiaohui.webnode.jp/

神、主がともにおられ

歴代誌 第二 1章
1,ダビデの子ソロモンは王権を確立した。彼の神、主がともにおられ、彼を並外れて偉大な者とされた。
2,ソロモンは全イスラエル、千人隊、百人隊の長、さばき人、および一族のかしらである全イスラエルの族長すべてに向かって語り、
3,ソロモンおよび彼とともにいた全会衆は、ギブオンにある高き所に行った。そこに、主のしもべモーセが荒野で造った神の会見の天幕があったからである。
4,しかし、神の箱については、ダビデがこれをキルヤテ・エアリムから、ダビデがそのために定めた場所に運び上げていた。箱のための天幕をエルサレムに張っていたのである。
5,ギブオンの主の幕屋の前には、フルの子であるウリの子ベツァルエルが造った青銅の祭壇があった。ソロモンと会衆はそこで主を求めた。
6,ソロモンは、そこに、すなわち会見の天幕におられる主の前にある青銅の祭壇に上り、その上で千匹の全焼のささげ物を献げた。
7,その夜、神はソロモンに現れて仰せられた。「あなたに何を与えようか。願え。」
8,ソロモンは神に言った。「あなたは、私の父ダビデに大いなる恵みを施されました。そして、父に代わって私を王とされました。
9,神、主よ、今、私の父ダビデになさったあなたの約束を堅く守ってください。あなたは、地のちりのように数の多い民の上に、私を王とされたからです。
10,今、知恵と知識を私に授けてください。そうすれば、私はこの民の前に出入りいたします。さもなければ、だれに、この大いなるあなたの民をさばくことができるでしょうか。」
11,神はソロモンに仰せられた。「そのようなことがあなたの心にあり、富も、財も、名誉も、あなたを憎む者たちのいのちさえ願わず、また長寿も願わず、むしろ、わたしがあなたをその王として立てたわたしの民をさばくための知恵と知識を願ったので、
12,その知恵と知識があなたに授けられる。またわたしは、あなたの前の王にも後の王にもないほどの富と財宝と誉れをあなたに与える。」
13,こうして、ソロモンはギブオンにある高き所から出て行き、会見の天幕の前を去ってエルサレムに行き、イスラエルの王となった。
14,ソロモンは戦車と騎兵を集め、戦車千四百台と騎兵一万二千人を所有した。彼はこれらを戦車の町々、およびエルサレムの王のもとに配置した。
15,王はエルサレム銀と金を石のように用い、杉の木をシェフェラのいちじく桑の木のように大量に用いた。
16,ソロモンが所有していた馬は、エジプトとクエから輸入されたもので、王の商人たちが、クエから代価を払って手に入れたものであった。
17,彼らはエジプトから戦車を銀六百、馬を銀百五十で買い上げて、輸入した。同様に、ヒッタイト人のすべての王やアラムの王たちにも、王の商人たちの仲買で輸出された。

 

 ソロモンは父ダビデから王位を譲り受け、その王権を確立しました。それは、彼の人格、また彼の人間的な魅力がそうさせたのではなく、あくまで彼の背後には神がおられたこと。それしかありません。

 その中で、彼は神から、求めるものは与える、と言われ、民を治める知恵、知識を求め、与えられます。そのことは、神の御心に叶うことだったでしょう。それは、その知恵や知識は、神の知恵であり知識だったからです。人間である自分にはない、神様からいただかなければ、国を治められない。そのへりくだる心がそこにあるからです。

 しかし、この章の後半は、彼が求めた知恵や知識とは程遠い、軍事力増強の記述になっています。歴代誌の記者はそこにある問題には触れていませんが、明らかに聖書全体の文脈では、この軍事力増強は神の御心ではありません。それは、神に頼るのではなく、武力に頼ることだからです。

 つまり、この歴代誌第二1章において、聖書は彼が王国を確立し、主の知恵を求めていながら、実はそこに問題があったことを記しているのです。

 一見、謙遜に御心を求めている信仰者のように記しつつ、しかし、ソロモンが気づいていない、信仰者の矛盾を隠さずに述べているということです。

 このように、どんなに立派な信仰者でも、必ずそこには罪や弱さ、不信仰が見え隠れしているのです。それは、誰も神の前に正しい人がいないことも物語っていると言えますし、せっかく良いものを弁えて求めていながらも、その本質が必ず明らかにされるということも、ここから教えられます。

 神に頼っていながら、自分の力で頑張る信仰は必ず疲れ果て、躓きます。また、疲れなくても、逆に疲れている人、弱っている人を労ることができずに、ソロモンが軍事力によって、周囲に脅威を与えたように、脅すようなことを言ったり、行ったりするのです。

 人間的な力を誇示することは、何も良いものを生み出しません。かえって争いの種となり、またそのような武力を持っていることで安心して、神への信頼が薄まっていくのです。この軍馬などの目に見える力は単に軍事力のことだけではありません。

 物質主義全部を指しています。金銭に見る経済力や暮らし向きへの執着、自分をよく見せようとする、様々な努力も全て、それは軍馬と同じです。

 今日も、色々な物質的な誘惑があるかも知れませんが、ぜひ、目に見える力ではなく、神の知恵、知識であるみことばに聴き、みことばからあなたの一歩を踏み出してはいかがでしょうか。

 ともに、神様の恵みを待ち望み、神様を愛し恐れて歩もうではありませんか。

 

"王は軍勢の大きさでは救われない。勇者は力の大きさでは救い出されない。
軍馬も勝利の頼みにはならず軍勢の大きさも救いにはならない。
見よ主の目は主を恐れる者に注がれる。主の恵みを待ち望む者に。"
詩篇 33篇16~18節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会