のりさん牧師のブログ

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ソロモンはヤハウェの王座に

"こうしてソロモンは主の王座に就き、父ダビデに代わって王となった。彼は栄え、全イスラエルは彼に聞き従った。
すべての首長たち、勇士たち、そしてダビデ王のすべての息子たちも、ソロモン王に忠誠を誓った。
主はソロモンを全イスラエルの目の前に非常に大いなる者とし、彼より前にイスラエルを治めたどの王にも見られなかった王の威厳を、彼に与えられた。"
歴代誌 第一 29章23~25節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 

 統治者にとって、王座とは何だろうか。それは、自分の権威を表す、力の象徴であり、そこには自分の威光と尊厳と栄誉がある。

 多くの王は、その力を見せつけて、民たちの上に立つ存在として、その王座を誇るだろう。そのうちに、自らを神格化して、国民を臣民として、自分に服従させるだろう。

 しかし、イスラエルの王の王座は王のものではない。それは主の王座である。それは、神の王座、神の権威の印であり、王はその権威ある座に座ることで、民のために命を捨てなければならない責任を負う。

 そして、神の王座を汚すことのないように、日々自らを律して、神のことばに忠実でなければならない。

 ソロモンは、その主の王座に就いたのである。

 このことは、現代においてクリスチャンに適用できる。クリスチャンもヤハウェなるキリストの権威を帯びた一人ひとりである。その地位は決して低くはない。それは神の子どもとして、神の国の相続人でもあるからである。

 しかし、そのキリストの権威に与るということは、キリストの苦しみをも受け継ぐということである。それは、いばらの冠という王冠であり、十字架という王座をも受け継ぐということである。

 それが、私たちが受け継ぐヤハウェの王座である。ソロモンも同じである。それだけに主は、ソロモンを祝福して、国民全てが彼を王として認めることができるように、威厳を与えられた。

 それも、神からの賜物であって、ソロモン自身のものではない。だからこそ、主の栄光だけが残され、主の栄光だけが輝く国として確立するのである。

 今日も、キリストの権威に与っていることを感謝して、へりくだって与えられた王座である自分の十字架を負って、神と人に仕えていこう。