●ゼカリヤ書8章19~23節
万軍の主はこう言われる。
「第四の月の断食、第五の月の断食、第七の月の断食、第十の月の断食は、ユダの家にとって、楽しみとなり、喜びとなり、うれしい例祭となる。だから、真実と平和を愛しなさい。」
万軍の主はこう言われる。
「再び諸国の民がやって来る。 多くの町々の住民が。一つの町の住民はもう一つの町へ行き、 『さあ行って、主の御顔を求め、 万軍の主を尋ね求めよう。 私も行こう』と言う。多くの国の民、強い国々が、 エルサレムで万軍の主を尋ね求め、 主の御顔を求めるために来る。」
万軍の主はこう言われる。
「その日には、外国語を話すあらゆる民のうちの十人が、一人のユダヤ人の裾を固くつかんで言う。『私たちもあなたがたと一緒に行きたい。 神があなたがたとともにおられる、と聞いたから。』」
《メッセージ》
かの日には、多くの民族が唯一の神、主を礼拝しに集まって来る。そして、口々に「主を尋ね求めよう。私も行こう」と言うと言われています。
主が求めておられるのは、偽りではなく真実であり、争いではなく平和を愛することです。現在、この地には何と争いが満ち、偽りの情報が飛び交っているでしょうか。目の前で子どもたちが泣き叫び、母親が嘆き悲しんでいるときに、ただ祈ることしかできない自分の無力さを覚えるものです。祈ることだけでも大事なことですが、ヤコブ書にあるように、自分にできる最善を尽くすという意味では、その信仰による祈りが行動となって表せなければ空しいのです。
今、苦しみの中にある方々に主の助けがあるように祈りつつ、今日食べるパンの代金をささげることはできそうな気がします。その信仰による行動によって、キリストの福音を受け入れる心が育ってくるでしょう。物質的な必要と合わせて、魂の救いにも繋がり、かの日にはともに主を礼拝することができるように、今日の受難節第18日を過ごさせていただきましょう。
《祈り》
主よ。
私は無力です。
目の前に苦しんでいる人がいても
すぐに行動に起こせず、
武力による解決を考えてしまいがちでもあります。
しかし、「軍馬も勝利の頼みにはならず軍勢の大きさも救いにはならない」(詩篇33:17)とあるように、また主イエスも「剣を取る者は剣によって滅びる」(マタイ26:52)と言われたように、暴力による解決は解決にならず、かえって事態を悪化させていくものです。
どうか、主よ。
私たちに御心を行う知恵と力を与えてください。
民族や国同士で敵対し合うのではなく、暴力が止み、
多くの人びとが主を信じ、主を礼拝し、
主を尋ね求めて、真の平和を味わうことができるように導いてください。
主イエスの御名によって祈ります。
アーメン。