のりさん牧師のブログ

おもに聖書からのメッセージをお届けします。https://ribenmenonaitobaishikirisutojiaohui.webnode.jp/

黙想:日ごとの糧を

"私たちの日ごとの糧を、今日もお与えください。"マタイの福音書 6章11節

 主イエスは弟子たちに「祈り」を教えてくださいました。一般に「主の祈り」と呼ばれるものです。その祈りの中で、今日取り上げた祈りがあります。

 食べ物のことを祈るのかと、思われる方がおられるかも知れません。でも、この祈りは大変大切な願いではないでしょうか。現在でも地球規模で考えるなら、食べ物を自由に食べられない人の方が遥かに多いのです。

 先進国の中でも、食べ物のことで困っていないのは地球の中の一握りの人たちだけです。

 また、今、食べ物のことで困っていない人も、明日から食べ物を失ったら数日で死ぬのです。今、当たり前だと思っていることが、実は当たり前でなかったことに、その時気付かされるでしょう。

 また、今朝のこの祈りは、単に食べ物のことだけの願いではありません。この物質世界に置かれ、生かされている者にとっての切実な願いである食べ物のことを通して、私たちが、この世で生きるために必要なもの全てを願っても良いということです。

 イエスは、私たちがこの地上での必要をご存知です。食べ物だけでなく、住まいも着るものも、そのための仕事も、勉強も、余暇も、ありとあらゆるものが、この世において必要だと言うことを。

 しかし、その祈りの中でこそ、私たちの必要の本質が、そこにないことも知らされます。なぜなら、イエスが祈りの中で求める第一のことは、この主の祈りにおいて、最初に願っているからです。

 それは、「天にいます父よ。御名が聖なるものと去れますように。みこころが天で行われるように、地でも行われますように」という願いです。私たちの願いの本質は、この地上のことにばかり心を向けるのではなく、天にいます父なる神に、そして、その父の御心がなることこそ最善であり、最良である確信に立つことだからです。

 その大前提に立ちつつ、この世の必要に目を向けるのです。ここでようやく、日ごとの糧を今日もお与えくださいと祈ることができるのです。

 天の父は、子である私たちが乏しくなっていることを良しとしないでしょう。天の父は、子であるあなたがちぢこまっているのを何とかしたいと思う、私たちの本当のお父さまだからです。その父の懐に抱かれていることを、今朝あらためて覚えたいと思います。

 その上で、箴言のみことばも味わいましょう。

 

"むなしいことと偽りのことばを、私から遠ざけてください。貧しさも富も私に与えず、ただ、私に定められた分の食物で、私を養ってください。
私が満腹してあなたを否み、「主とはだれだ」と言わないように。また、私が貧しくなって盗みをし、私の神の御名を汚すことのないように。"
箴言 30章8~9節