詩篇 143篇10~11節
"10 あなたのみこころを行うことを教えてください。あなたは私の神であられますから。あなたのいつくしみ深い霊が平らな地に私を導いてくださいますように。
11 主よあなたの御名のゆえに私を生かしあなたの義によって私のたましいを苦しみから助け出してください。"
私たちにとって幸いな道は神の御心を生きることです。確かに、私たちの周りには魅力的に見える道がたくさんあります。そのどれもが心をひくような楽しさ、気楽さがあるように映ります。
でも神様の御心に生きる以上の幸せはないと聖書は言います。だからこそ、その御心を教えてくださいと願います。目に見えない神に願ったところで、いったい何が変わるのかと思われる方がおられるかも知れません。
でも、そこはまず祈ってみるだけでも大切な御心を行なうことになるので、ぜひお勧めします。その一歩を神様は必ず祝福して、益々、これからも祈るように導き、祈りへの応えを与えてくださるでしょう。
イエス・キリストもいつも一人で暗いうちに寂しい場所へ行き、父なる神に祈っていました。それがイエス様にとって何よりの幸せな時間だったからです。そのような豊かな神様との関係を私たちにも与えるために、イエス様は苦しみの道を歩まれました。それもまた神様の御心でした。それは、私たちを神の子どもとするために必要な歩みだったからです。
御心の道は永遠のいのちに至る道ですが、時に険しいときもあります。しかし、それが御心である限り、私たちは迷わないのです。神様が責任を持って、励まし、勇気を与えて、険しさの中にも平かな心を備えてくださるからです。
イエス・キリストの苦難の歩みは、私たちの罪を負う歩みであると同時に、信じる私たちの模範でもあります。私たちたちの罪を負われたお方が、今度は神のため、隣人のためにこのように生きよと、その歩みを示しています。
祈り
愛する主よ
今日も御心を教えてください。
あなたの御心のうちを歩ませてください。
時に険しい道を通るかも知れませんが、
恐れず、ただあなたがともにおられる恵みに感謝することができますように。
どうか今日もあなたのむちとあなたの杖によって、私を鍛え、あなたの御心に叶うものとして整えてください。
主の御名により祈ります。
アーメン。