のりさん牧師のブログ

おもに聖書からのメッセージをお届けします。https://ribenmenonaitobaishikirisutojiaohui.webnode.jp/

黙想:主の慰め

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"神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。それで私たちも、自分たちが神から受ける慰めによって、あらゆる苦しみの中にある人たちを慰めることができます。"
コリント人への手紙 第二 1章4節

自動車は燃料がないと走れません。人間もお腹がすくと動けません。同じように、誰かを慰めようとするときに、私たちの中に真の慰めがないと、本当にその人を慰めてあげることはできないのです。

 

それは愛も同じです。人を愛そうとするとき、真の愛をもっていないと、人を本当の意味で愛することはできません。ですから聖書はこう言っています。

 

"愛する者たち。私たちは互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。愛がある者はみな神から生まれ、神を知っています。"
ヨハネの手紙 第一 4章7節

愛は神から出ている。だから互いに愛し合いましょうと勧めています。

 

では、神はその愛をどのように、私たちに示しているでしょうか。そのことも聖書に書いてあります。

 

"私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、宥めのささげ物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。"
ヨハネの手紙 第一 4章10節

神様は、ご自身の愛を示すために、ご自分の御子を世に遣わして、宥めのささげ物として十字架につけられ、殺しました。ここに愛があるということです。

 

それは神様の究極の愛の表し方でした。本来罪人の私たちがそのさばきを受けるべきでしたが、神様はそれをよしとせず、自らのいのちを私たちのためにささげてくださったのです。それは、神のいのちを私たちに与えるためであり、また神ご自身である御霊を与えることにより、神ご自身のご性質にもあずからせてくださるためでした。

 

だから、その御子であるキリストを自分の救い主として受け入れる時に、私たちは神のいのちである永遠のいのちも、神の愛も、そして慰めさえも与えられるのです。そして、今度は神が私たちを愛してくださったように、私たちも隣人を愛せるようになり、慰められるようになる。これが、主の慰めを得る目的です。

 

この世は、悲しみを持つ人々で満ちています。愛する人を亡くした方々、犯罪に巻き込まれてしまった方々、戦争の戦禍の中で傷つき倒れている方々、重大な罪を犯して逮捕され、その大きな償いの前に打ちひしがれている方々。様々なかたちで神の慰めを必要としています。

 

その方々を私たちが慰めるのです。なぜならば、すでに神によってキリストを通して慰めていただき、愛していただいているという体験を味わっているからです。

 

今日、もしまだ神様の慰めを受けていないならば、今、あなたのために十字架で死んで三日目によみがえられたキリストをあなたの救い主として信じ受け入れましょう。そこに、本当の慰めがあります。

 

また、もし既にキリストを信じて洗礼を受けているならば、今度はあなたが誰かを慰めてあげてください。それは、ただただ、主の慰めによってです。あなたに満たされた主の慰めがあなたを生かし、あなたも神の使命に生きる者とされるからです。

 

今日も一日、神様の慰めがあなたとともにありますように。