日本メノナイト白石キリスト教会

聖書からのメッセージをお届けします。

テモテへの手紙第二 2章

「苦しみの中の宣教」

 福音宣教の働きは、二千年の歴史が証明しているように、沢山の聖徒らによって継承されて現在に至っている。使徒パウロが愛する弟子であるテモテに宣教の業をゆだねてきたが(1・18)、それを「他の人」にもゆだねるようにパウロは命じる(2)。
①恵みによって強くなれ(1~13)
 テモテが強くされなければならなかったことは、福音を伝える働きについてではなかった。それはむしろ、その働きそのものを「忠実な人たち」にゆだねることであった(2)。パウロはテモテを励ますために、3~6節で三つのたとえを用いている。それは兵士、競技、農夫である。それらのたとえを用いてパウロが言いたいことは、与えられた務めに専念し、神が定めた規定に従い、労苦は報われるということである。宣教の働きには苦難は避けられないが(1・8、2・3)、そこには必ず報いがある。その報いとは「キリスト・イエスにある救いと・・・とこしえの栄光を受ける」ことである(10)。
②神の不動の礎(14~26)
 テモテが牧会するエペソ教会には、違う教えを伝える者たちが出入りしていた。テモテにとっての課題は、その異なった教えを伝える者たちとどう向き合うかである。パウロはここで二つのことを命じている。一つは「論争などしない」(14)ことであり、もう一つは「熟練した・・・働き人として」(15)献身し務め励むことである。異なった教えを広める者たちは「俗悪なむだ話」(16)を癌のように広げ、福音の根幹である復活についても真理から外れた論争を仕掛けてくる。しかし、「それにもかかわらず、神の不動の礎は堅く置かれて」いる(19)。その礎に刻まれている銘こそ、テモテに限らず私たちにとっても大きな慰めではないだろうか。
 私たちの宣教も苦しみの中にあるかも知れない。しかし「主はご自分に属する者を知っておられる。」同時に「主の御名を呼ぶ者」として「あらゆる良いわざに間に合うものとなる」(21)ために「不義」から離れる必要がある。(19)