のりさん牧師のブログ

おもに聖書からのメッセージをお届けします。https://ribenmenonaitobaishikirisutojiaohui.webnode.jp/

◎受難節 第8日 木曜日

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ヤコブへの手紙4章1節~10節

James 4:1 あなたがたの間の戦いや争いは、どこから出て来るのでしょうか。ここから、すなわち、あなたがたのからだの中で戦う欲望から出て来るのではありませんか。
James 4:2 あなたがたは、欲しても自分のものにならないと、人殺しをします。熱望しても手に入れることができないと、争ったり戦ったりします。自分のものにならないのは、あなたがたが求めないからです。
James 4:3 求めても得られないのは、自分の快楽のために使おうと、悪い動機で求めるからです。
James 4:4 節操のない者たち。世を愛することは神に敵対することだと分からないのですか。世の友となりたいと思う者はだれでも、自分を神の敵としているのです。
James 4:5 それとも、聖書は意味もなく語っていると思いますか。「神は、私たちのうちに住まわせた御霊を、ねたむほどに慕っておられる。
James 4:6 神は、さらに豊かな恵みを与えてくださる」と。それで、こう言われています。
「神は高ぶる者には敵対し、
へりくだった者には恵みを与える。」
James 4:7 ですから、神に従い、悪魔に対抗しなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります。
James 4:8 神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいてくださいます。罪人たち、手をきよめなさい。二心の者たち、心を清めなさい。
James 4:9 嘆きなさい。悲しみなさい。泣きなさい。あなたがたの笑いを悲しみに、喜びを憂いに変えなさい。
James 4:10 主の御前でへりくだりなさい。そうすれば、主があなたがたを高く上げてくださいます。

 

 「高ぶり(高慢)」(ヤコブ4:6)とは、神ではなく自分が主人となって生きることである。神の恵みは私の悩み、私の問題には無力だと、この世の苦難には助けにならないと言って、神がおられないようにして、神を無視して生きることである。

 高ぶるからこそ、この世が友となり、この世の価値基準が心地よいと思う。それは同時に神の敵になってしまうことを意味している。まさにそれは私たち人間のことである。

 ヤコブ4:8の「手は」は行いのこと、「心」は考えや思いのことであろう。手をきよめ、心をきよめる。それは、神に降伏すると言う意味である。というのは、思いにおいても、言葉においても、行いにおいても、神なしに生きてしまう現実に悲しみながら、神に降伏してしまいたい。自分の生活を神に明け渡してしまいたい。そう願う私が、あなたがいるのも現実だからである。だから祈ろう。

 「主よ。どうか私の中に入り、私の王座にあなたが坐してください。」

 

《クレルヴォーのベルナルドゥスの祈り》(1090頃~1153)

主よ

友のために自分のいのちを捨てること、

これ以上に大きな愛はないと

あなたは教えてくださいました。

しかし、あなたの愛はもっと大いなるものでした。

あなたは敵のために自分のいのちを捨ててしまわれたからです。

私達が敵であったときに

あなたはご自分の死によって

私達をご自分と和解させてくださいました。

このような愛がかつてほかにあったでしょうか。

これからもあり得るでしょうか。

あなたは不正な者のために、

不正な仕打ちに耐えてくださいました。

あなたは罪深い者のために、罪人らの手で死なれました。

あなたは虐げられている者を自由にするために

ご自分は奴隷となってしまわれました。