のりさん牧師のブログ

恵庭福音キリスト教会の牧師をしています。おもに日常で気がついたことや、聖書からのメッセージをお届けします。https://ribenmenonaitobaishikirisutojiaohui.webnode.jp/

2020年7月16日(木)きょうのみことば

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列王記 第二 17章
1,ユダの王アハズの第十二年に、エラの子ホセアがサマリアイスラエルの王となり、九年間、王であった。
2,彼は主の目に悪であることを行ったが、彼以前のイスラエルの王たちのようではなかった。
3,アッシリアの王シャルマネセルが攻め上って来た。そのとき、ホセアは彼に服従して、貢ぎ物を納めた。
4,しかし、アッシリアの王はホセアの謀反に気がついた。ホセアがエジプトの王ソに使者たちを遣わし、アッシリアの王には年々の貢ぎ物を納めなかったからである。そこで、アッシリアの王は彼を捕らえて牢獄につないだ。
5,アッシリアの王はこの国全土に攻め上り、サマリアに攻め上って、三年間これを包囲した。
6,ホセアの第九年に、アッシリアの王はサマリアを取り、イスラエル人をアッシリアに捕らえ移し、彼らをハラフと、ゴザンの川ハボルのほとり、またメディアの町々に住まわせた。
7,こうなったのは、イスラエルの子らが、自分たちをエジプトの地から連れ上り、エジプトの王ファラオの支配下から解放した自分たちの神、主に対して罪を犯し、ほかの神々を恐れ、
8,主がイスラエルの子らの前から追い払われた異邦の民の風習、イスラエルの王たちが取り入れた風習にしたがって歩んだからである。
9,イスラエルの子らは、自分たちの神、主に対して、正しくないことをひそかに行い、見張りのやぐらから城壁のある町に至るまで、すべての町に高き所を築き、
10,すべての小高い丘の上や、青々と茂るどの木の下にも石の柱やアシェラ像を立て、
11,主が彼らの前から移された異邦の民のように、すべての高き所で犠牲を供え、悪事を行って主の怒りを引き起こした。
12,主が彼らに「このようなことをしてはならない」と命じておられたのに、彼らは偶像に仕えたのである。
13,主はすべての預言者とすべての先見者を通して、イスラエルとユダに次のように警告された。「あなたがたは悪の道から立ち返れ。わたしがあなたがたの先祖たちに命じ、また、わたしのしもべである預言者たちを通してあなたがたに伝えた律法全体にしたがって、わたしの命令と掟を守れ。」
14,しかし、彼らはこれを聞き入れず、彼らの神、主を信じなかった彼らの先祖たちのように、うなじを固くした。
15,彼らは主の掟と、彼らの先祖たちと結ばれた主の契約と、彼らに与えられた主の警告を蔑み、空しいものに従って歩んだので、自分たちも空しいものとなり、主が倣ってはならないと命じられた、周囲の異邦の民に倣って歩んだ。
16,彼らの神、主のすべての命令を捨て、自分たちのために、鋳物の像、二頭の子牛の像を造り、さらにアシェラ像を造り、天の万象を拝み、バアルに仕えた。
17,また、自分たちの息子や娘たちに火の中を通らせ、占いをし、まじないをし、主の目に悪であることを行うことに身を任せ、主の怒りを引き起こした。
18,そのため主はイスラエルに対して激しく怒り、彼らを御前から除かれた。ただユダの部族だけが残った。
19,ユダも、彼らの神、主の命令を守らず、イスラエルが取り入れた風習にしたがって歩んだ。
20,そのため主はイスラエルのすべての子孫を蔑み、彼らを苦しめ、略奪者たちの手に渡し、ついに彼らを御前から投げ捨てられた。
21,主がイスラエルダビデの家から引き裂かれたとき、彼らはネバテの子ヤロブアムを王としたが、ヤロブアムはイスラエルを主に従わないように仕向け、そうして彼らに大きな罪を犯させた。
22,イスラエルの人々は、ヤロブアムが行ったすべての罪に歩み、それから離れなかったので、
23,主は、そのしもべであるすべての預言者を通して告げられたとおり、ついにイスラエルを御前から除かれた。こうして、イスラエルは自分の土地からアッシリアに引いて行かれた。今日もそのままである。
24,アッシリアの王は、バビロン、クテ、アワ、ハマテ、そしてセファルワイムから人々を連れて来て、イスラエル人の代わりにサマリアの町々に住まわせた。こうして、彼らはサマリアを占領して、その町々に住んだ。
25,彼らはそこに住み始めたとき、主を恐れなかったので、主は彼らの中に獅子を送り込まれた。獅子は彼らの何人かを殺した。
26,彼らはアッシリアの王に次のように報告した。「あなたがサマリアの町々に移した諸国の民は、この土地の神についての慣わしを知りません。それで、神が彼らのうちに獅子を送り込みました。今、獅子が彼らを殺しています。彼らがこの土地の神についての慣わしを知らないからです。」
27,そこで、アッシリアの王は次のように命じた。「おまえたちがそこから捕らえ移した祭司の一人を、そこに連れて行け。行かせて、そこに住まわせ、その土地の神についての慣わしを教えさせよ。」
28,こうして、サマリアから捕らえ移された祭司の一人が来てベテルに住み、どのようにして主を礼拝するべきかを教えた。
29,しかし、それぞれの民は、それぞれ自分たちの神々を造り、サマリア人が造った高き所の宮にそれを安置した。それぞれの民は自分が住む町々でそのようにした。
30,バビロンの人々はスコテ・ベノテを造り、クテの人々はネルガルを造り、ハマテの人々はアシマを造り、
31,アワ人はニブハズとタルタクを造り、セファルワイム人はセファルワイムの神々、アデラメレクとアナメレクに自分たちの子どもを火で焼いて献げた。
32,彼らは主を礼拝したが、自分たちの中から高き所の祭司たちを自分たちで任命し、この祭司たちが彼らのために高き所の宮で祭儀を行った。
33,彼らは主を礼拝しながら、同時に、自分たちが移される前にいた国々の慣わしによって、自分たちの神々にも仕えていた。
34,彼らは今日まで、以前の慣わしのとおりに行っている。彼らは主を恐れることはなく、主がイスラエルと名をつけたヤコブの子たちに命じられた、掟や定めや律法や命令のとおりに行うこともない。
35,主はイスラエル人と契約を結び、次のように命じられた。「ほかの神々を恐れてはならない。これを拝み、これに仕えてはならない。これにいけにえを献げてはならない。
36,大きな力と、伸ばされた腕をもって、あなたがたをエジプトの地から連れ上った主だけを恐れ、主を礼拝し、主にいけにえを献げなければならない。
37,主があなたがたのために書き記した掟と定めと律法と命令をいつも守り行わなければならない。ほかの神々を恐れてはならない。
38,わたしがあなたがたと結んだ契約を忘れてはならない。ほかの神々を恐れてはならない。
39,あなたがたの神、主だけを恐れなければならない。主はすべての敵の手からあなたがたを救い出される。」
40,しかし、彼らは聞かず、以前の彼らの慣わしのとおりに行った。
41,このようにして、これらの民は主を礼拝すると同時に、彼らの刻んだ像にも仕えた。その子たちも、孫たちも、その先祖たちがしたとおりに行った。今日もそうである。

 

 ついにイスラエル王国滅亡の時が来ました。それは、ダビデ王家から切り離された分裂後のイスラエル王国です。そのことを、この列王記の記者はこう伝えています。

21,主がイスラエルダビデの家から引き裂かれたとき、彼らはネバテの子ヤロブアムを王としたが、ヤロブアムはイスラエルを主に従わないように仕向け、そうして彼らに大きな罪を犯させた。

 ダビデ王家の部族ユダから切り離された新しいイスラエル王国は、新たにヤロブアムを王としましたが、ヤロブアムは国民を主から遠ざけるように仕向けて、国全体に罪を犯させたのです。

 その結果、アッシリア帝国の侵略を受けて滅ぼされたのです。しかし、主はずっと預言者を送り、みことばによって警告し続けて来ました。それは、彼らが罪を悔い改めて、主に立ち返ることを、主が期待していたからです。

 その主による深い憐みが何年も何年も注がれてきたにも関わらず、彼らが罪を悔い改めるどころか、益々酷くなり、世界中の民族に主を証して、世界中の国民が祝福されるために立てられたイスラエルであるのに、神に背く行為をやめなかった。そこに、このアッシリアによるさばきがあるのです。そのことを聖書記者は、丁寧に説明しています。

22,イスラエルの人々は、ヤロブアムが行ったすべての罪に歩み、それから離れなかったので、


23,主は、そのしもべであるすべての預言者を通して告げられたとおり、ついにイスラエルを御前から除かれた。こうして、イスラエルは自分の土地からアッシリアに引いて行かれた。今日もそのままである。

 彼らは、彼らを顧みて、繰り返し建て直そうとする主の憐みを侮ったのです。その罪に対する責任を彼らは負うことになった。それが、このさばきの理由です。パウロもこのように言っています。

 

"思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、刈り取りもすることになります。" ガラテヤ人への手紙 6章7節

 その刈り取りは、良い種を撒けば良い実を収穫しますが、悪い種を撒けば、悪い実の刈り取りをしなければならないのです。

 

 "自分の肉に蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、御霊に蒔く者は、御霊から永遠のいのちを刈り取るのです。"
ガラテヤ人への手紙 6章8節

 

 イスラエル王国は、この「自分の肉に蒔く者」だったということです。結果的に滅びを刈り取ることになった。それが王国の滅亡です。

 

 ここには、現代を生きる信仰者に対する教訓があります。現代のクリスチャンも、もし罪を赦してくださる主の憐みを侮り、犯してしまう罪を放置しているならば、その刈り取りをするのは必定なのです。しかし、それは滅びを意味しているのではありません。それは、主イエス・キリストの贖いは完全だからです。一度信じた私たちの側の愚かさによって揺さぶられるものではありません。

 

"高いところにあるものも、深いところにあるものも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。"
ローマ人への手紙 8章39節


 ただしヘブル人への手紙には、このように記されています。

 

"もし私たちが、真理の知識を受けた後、進んで罪にとどまり続けるなら、もはや罪のきよめのためにはいけにえは残されておらず、ただ、さばきと、逆らう者たちを焼き尽くす激しい火を、恐れながら待つしかありません。"ヘブル人への手紙 10章26~27節

 聖書は、このように現代を生きる私たちに対しても、神の恵みを侮ることのないように警告してくださっています。それは、私たちを脅して困らせようとしているのではありません。私たちが、主の憐みに生き、神に愛されている者として、その愛を受け取り、感謝して生きる者となることを望んでおられるからなのです。

 その愛は既に、御子イエス・キリストの十字架の死によって明らかにされています。その十字架を仰ぎ続けることこそ、祝福の歩みです。

 神が御子さえも惜しまずに、私たちの救いのために真実な愛を示された。その恵みを知り続ける生き方、その恵みが示された主イエス・キリストから目を離さない歩みこそ、神の恵みを受けた者として、神が用意された命に溢れる人生の秘訣だからです。あなたが元気を失わず、疲れ果てないために。

 きょうも、主イエスがどれほどあなたを愛して、十字架の道を歩み、贖いの死を遂げられ、死から甦られたか。その恵みの大きさ、深さ、広さ、高さを仰ぎ続けてまいりましょう。

 

"信仰の創始者であり完成者であるイエスから、目を離さないでいなさい。この方は、ご自分の前に置かれた喜びのために、辱めをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されたのです。
あなたがたは、罪人たちの、ご自分に対するこのような反抗を耐え忍ばれた方のことを考えなさい。あなたがたの心が元気を失い、疲れ果ててしまわないようにするためです。"
ヘブル人への手紙 12章2~3節