のりさん牧師のブログ

おもに聖書からのメッセージをお届けします。https://ribenmenonaitobaishikirisutojiaohui.webnode.jp/

神によって勇気を得て祈る幸い

"「わが神よ。あなたはこのしもべの耳を開き、しもべのために一つの家を建てると告げられました。それゆえ、このしもべは御前で祈る勇気を得たのです。
今、主よ、あなたこそ神です。あなたはこのしもべに、この良いことを約束してくださいました。
今、あなたは、あなたのしもべの家を祝福することを良しとされ、御前にとこしえに続くようにしてくださいました。主よ。あなたが祝福してくださいました。あなたのしもべの家はとこしえに祝福されています。」"
歴代誌 第一 17章25~27節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 

 ダビデは自分が立派な王宮に住み、主の箱が出エジプト以来、ずっと天幕にあることを憂います。そこで預言者ナタンを通して主に、主の宮建設を提案するのです。

 すると主は、ご自分はずっと天幕で良しとして来たので、これで良いと仰せながらもダビデの申し出を喜んでくださり、ダビデに対する祝福の約束をあたえられたのです。これがダビデ契約と呼ばれるものです。

 この約束には、単にダビデの一族が祝福されるというだけでなく、とこしえの王座に着くキリストを予表したものとして知られています。

 今朝はそこには深く触れません。今朝の私の注目は、ダビデが主からの祝福のことばをナタンを通して知らされた時に、勇気が与えられ、祈りさえも主から勇気を与えられてささげるものだということに気づかされたことです。

 よく、祈るくらいしかできませんと仰る方がおります。私もつい口に出してしまう表現です。しかし、それは大きな間違いだとあらためて今朝教えられました。

 祈りすら、私たちは主からの勇気を与えられなければささげることができないのだということです。祈りの言葉が上らないだけでなく、偉大な主なる神の御前に滅びるしかないものである私。

 そのお方の前で祈ることができるのは、そのような滅びるしかないものに目を留めてくださり、愛する御子をくださるほどに私をも愛しておられるという祝福の言葉があるからなのです。

 私たちは滅びの淵にあったものですが、まさにダビデの子孫である御子イエスの贖いにより、罪が赦されたのです。

 ここに愛があるとヨハネが言った通り、私たちは神の愛を受け、その愛の中に置かれ、永遠までその愛のうちに、そして天の御国までも繋がる祝福にあずかっている。

 そのことを受け取る時、祈る勇気も生きる勇気も、主のためにささげる勇気も与えられるのです。

 今日も多くの試練を通らされる一日かも知れませんが、主があなたを愛してくださっているというかけがえのない希望をもって、勇気をいただいて歩ませていただきましょう。

 

"これらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を得るためです。世にあっては苦難があります。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝ちました。」"
ヨハネ福音書 16章33節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会