のりさん牧師のブログ

おもに聖書からのメッセージをお届けします。https://ribenmenonaitobaishikirisutojiaohui.webnode.jp/

ダビデの側近たちの名簿

"ダビデのおじヨナタンは助言者であり、洞察力のある人で、彼は書記でもあった。ハクモニの子エヒエルは王の子らとともにいた。
アヒトフェルは王の助言者で、アルキ人フシャイは王の友であった。
アヒトフェルの跡を継いだのは、ベナヤの子エホヤダとエブヤタル。王の軍の長はヨアブであった。"
歴代誌 第一 27章32~34節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 

 歴代誌第一27章25節以降はダビデ王朝に仕える者たちの名簿であり、その中でも重要な部署に仕える人たちの名が記されています。王の宝物蔵を司る者や、おそらく王が飲むワインを作るためのぶどう畑や、同じくポリフェノール摂取のためにも大切ないちじく桑を管理する者の名前もありました。

 そして、その最後に助言者たち、そして軍団長の名が記録されています。このような名簿が歴代誌の中にあるのは決して珍しいことではありません。しかし、ダビデ王朝における重鎮たちの名が記されていることは、彼らにとって非常に名誉なことであると言えます。

 私もキリスト教年鑑などに牧師として名前があると嬉しいものです。それは、いのちの書に名前があることにも繋がる嬉しさです。だからこそ、襟を正されると思います。その職務に恥じないように、誠実に主と教会に仕えたいと思わされるからです。

 彼らもそうだったでしょう。ただ、この歴代誌という書物は、サムエル記や列王記と重複している記事があり、一見、同じ時に書かれたのかと見えますが、そうではありません。この歴代誌はバビロン捕囚後に、再びエルサレムに帰って来たユダヤ人たちが、あらためて礼拝を整えるため、かつて栄えたイスラエル王国再建を願って書かれたものなのです。

 それは、バビロン捕囚から帰還して、再建に取り掛かろうとする人々を励ますためでもありました。だから、名簿が多いのです。それは、名簿の中に自分の祖先らの名があることで、そこに名誉だけでなく、襟を正される思いが与えられるからでしょう。

 もし、このダビデの側近たちの子孫が、この名簿を見たのなら、大変励まされたでしょう。

 しかし、アヒトフェルはダビデの息子アブシャロムがクーデターを起こしたときに、アブシャロムに仕えて、結果的に謀反を起こして死んだ人です。それを引き継いだエブヤタルと軍団長ヨアブもまたダビデやその子ソロモンに逆らった人でした。

 つまり、彼らの子孫がもしバビロン捕囚後にもいて、この歴代誌を読んだとしても、なかなか嬉しい思いは沸いて来ないかもしれませんね。

 

 でも、歴代誌はその残念なことには触れておらず、彼らの名誉だけを記しています。ここに、この記録を書き残すように導かれ聖書として完成させた神様のご意志を見ることができます。

 それは、私たちキリストによって救われた者たちも、いのちの書に記されているのは名前だけであるということです。そこに、私の罪人としての恥ずかしいことは触れられず、ただ、いのちの書に名前があることに神様の愛と配慮を知らされるのです。

 今日も、神のいのちの書にあなたの名前がある。それは、大変名誉なこと光栄なことであると同時に、名前だけであって罪状はない、ただ恵みだけがあることに感謝しようではありませんか。

 なぜ、私の罪、あなたの罪が記されていないのか。それは、神は悔い改めて信じる私たちの罪をもう思い出さない。海の深みに投げ入れたと言ってくださるお方だからです。

 だから、あなたはきよい。だから、あなたは神の子どもなのです。この憐れみに満ちた主なる神様に心からの感謝と賛美を、今日の礼拝の中でおささげしましょう。

 

"わたし、このわたしは、わたし自身のためにあなたの背きの罪をぬぐい去り、もうあなたの罪を思い出さない。"
イザヤ書 43章25節


"しかし、霊どもがあなたがたに服従することを喜ぶのではなく、あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい。
ルカの福音書 10章20節