のりさん牧師のブログ

おもに聖書からのメッセージをお届けします。https://ribenmenonaitobaishikirisutojiaohui.webnode.jp/

2021年12月19日 クリスマス礼拝

説教題 「飼葉おけに寝かせられた神の御子」
聖書箇所 ルカの福音書2章1~7節
 
 

 きょうはクリスマス礼拝です。皆さんは心の戸を開いてイエス様をお迎えしているでしょうか。クリスチャンの人は当たり前だと思うかも知れませんが、実はそうでもないのです。今日、招きの詞として司会の方に読んでいただいたみことばは、戸の外に立って戸を叩くイエス様のお言葉でした。それは、そのみことばの文脈で見ると、教会の外に立っているイエス様の言葉なのです。キリスト教会なのにキリストを追い出している。それが、個人のレベルでもあるのです。クリスチャンでも心の王座からイエス様を追い出していることがある。そして、イエス様を信じる決断をしていない方であるならば、それはせっかく来られたイエス様を締め出しているということです。それは救いを拒んでいるということです。
 
 みことばよりも自分の基準で生きているとき私たちの心の王座にイエス様はおりません。信じていると言いながら、聖書で言っている基準で生きていたら生活が成り立たないと言って自分の価値観を優先するとき、私たちはイエス様を私たちの心の外に追い出しているのです。
 
 今日、あらためて、私たちを救うために来てくださったイエス様に焦点を合わせて、クリスマスのみことばに聴いてまいりましょう。
今日の箇所は三つのポイントから見てまいります。一つは1節と2節で「人間の歴史の中に来られた主」についてです。二つ目は3~5節で、その「私たちの歴史に目的を与えてくださる主」について、三つ目は6節と7節で「いる場所がなかった主」についてです。
 
 
1.最初の住民登録(1,2節)…「人間の歴史の中に来られた主」
1節、2節
「そのころ、全世界の住民登録をせよという勅令が、皇帝アウグストから出た。これは、クレニオがシリヤの総督であったときの最初の住民登録であった。」
 このルカの福音書を書いたルカは医者でした。彼はその職業にふさわしく、物事をよく調べることに長けていたようです。このルカの福音書の冒頭でも自分で言っています。1:3「私も、すべてのことを初めから綿密に調べておりますから、あなたのために、順序を立てて書いて差し上げる」
 これはイエス様のことを伝えるために、よく調べたのです。特に、イエスというお方が歴史的事実であるということを明確にするために、どの時代に起こったのかを調べて記しています。たとえば、バプテスマのヨハネのお父さんであるザカリヤという祭司がいたことが「ユダヤの王ヘロデのときに」と紹介しています。
 
 同じようにイエス様がお生まれになった時代についても、ローマ皇帝アウグストの治世であり、シリヤの総督がクレニオだったことを調べて、明確に伝えています。だから現代の私たちも、ここでイエス様がいつお生まれになったのかがわかってくるのです。アウグストすなわち一般的にはアウグストゥス「尊厳あるもの」という称号(本名がオクダビアヌス)が、伯父であるユリウス・カエサルが暗殺後に元老院の支持を受けてローマの初代皇帝になったのが紀元前27年で紀元14年まで務めました。
 
 またシリヤつまりパレスチナで住民登録が行われたのが二回あったことが考古学の調査でもわかっています。それは聖書でいう「最初の住民登録」が紀元前9年から6年までの間に行われたということです。そこにマタイの福音書の記事とユダヤヘロデ大王の治世を考慮すると、イエス様は紀元前6年から紀元前4年の間にお生まれになった、歴史的事実であり、実在の方であるということがわかるのです。
 
 私たちの罪を取り除く神の小羊として、主イエス様は、確かに私たちの歴史の中に来て下さった。そして、今、この主イエスの降誕を境にして私たちは紀元前、紀元後と言ってその歴史を整理しています。この西暦はBCとADと呼ばれますが、Before Christ(キリスト以前)とannnodomini(主の年)と言う意味です。ただ残念なことに、西暦を考案したディオニュシウスという人がイエス様の降誕年を間違っていたために、今もずれています。
 
 しかし、現在でも、どの国においても西暦が一般的に用いられているのは、まさに救い主イエス様が私たち人間の歴史のただ中に確かに来て下さった証しなのです。そればかりでなく、私たち一人ひとりの歴史の中にも来てくださったので、今から2000年前の話で終わらずに、今もなお、今日も私たちの人生と言う歴史に、主イエス・キリストは来てくださり関わっておられるのです。
 
 
2.ダビデの町に(3~5節)…「私たちの歴史に目的を与えてくださる主」
 このように皇帝アウグストによる住民登録によって、なんと主イエスがお生まれになるべき場所にヨセフとマリヤを導きます。3節~5節。
「 それで、人々はみな、登録のために、それぞれ自分の町に向かって行った。ヨセフもガリラヤの町ナザレから、ユダヤベツレヘムというダビデの町へ上って行った。彼は、ダビデの家系であり血筋でもあったので、身重になっているいいなずけの妻マリヤもいっしょに登録するためであった。」
 
 旧約聖書によれば、ベツレヘムで救い主がお生まれになることが預言されていました。ミカ5章2節。
ベツレヘム・エフラテよ、あなたはユダの氏族の中で最も小さいものだが、あなたのうちから、わたしのために、イスラエルの支配者になる者が出る。その出ることは、昔から、永遠の昔からの定めである。」
 なぜベツレヘムなのかというと、それはヨセフとマリヤの祖先がダビデ王だったので、そのダビデの出身地、つまり本籍地がベツレヘムだったということです。
 
 でも、どうしてヨセフとマリヤは、先祖ダビデの町であるベツレヘムではなくガリラヤのナザレに住んでいたのか。ガリラヤ地方というのは「異邦人のガリラヤ」と言われ、旧約時代から蔑まれていた地域です。なぜ、そのようなところにダビデ王の子孫であるヨセフとマリヤが住んでいたのか。その理由は推測しかできませんが、恐らくダビデ王以降の王様は、良い王様ばかりでなく、偶像崇拝を続け、主に従わなかった王もたくさんいましたので、その後バビロン捕囚になり、ダビデ王家で生き残ったエコニヤ以降の子孫たちがカナンの地へ帰還後は散り散りになって、もはや王家の血筋は意味を持たなくなっていたと考えられます。
 
 そういう意味では、人間の罪の故に、救い主が生まれるべき場所から遠のいてしまっていたと言えます。神様の救いの計画からどんどんずれていた。もはや神様の救いの計画が頓挫したかのような状態に陥っていたということです。
 
 ところが、神様は人間の罪の歴史に介入してくださり、着々と救いのご計画を進めるのです。いくら私たちが罪深く、神様から遠ざかっていたとしても、神様は見捨てないで、その罪の中に来てくださって、悪魔の妨害すら、ご自分の全能の御手の中で、いとも簡単に恵みの手段として用いられるのです。
 
 だからイエス様はナザレで生まれるのではなく、聖書のみことばどおりにベツレヘムでお生まれになるように、神様は全てのことを働かせて益とされた。ダビデの町、ベツレヘムこそ主イエスが生まれるべき町として実現されたのです。
 私たちの人生に来て下さったイエス様も、同じように受け入れ信じる私たちの人生を変革させてくださいます。これまで、どんな不幸を背負って来たような人生でも、また、どんなに罪深い人生だったとしても、主は私たちの歴史に来てくださっただけでなく、その生き方がどんなに神様から遠ざかっていた人生だったとしても、主を受け入れるならば、生きていて良かったという人生に変えられるのです。
 
 ヨセフとマリヤも遠いナザレという町から、ベツレヘムにやってきましたが、その目的は単に住民登録ではなかった。そこには神様の救いの計画による大切な務めがあった。その主の務めを果たすためとなった。それが主に祝福された人の生きる目的です。何気ないいつもの行動すら、もし神様がご介入されるならば、ただ道を歩く私たちの一歩一歩すら、神様にあって意味あるものにされるのです。私たちの人生は決して無駄ではない。永遠のいのちへの確かな目的をもった確かな人生に変えられるのです。
 
 
3.ところが(6節、7節)…「いる場所がなかった。」しかし
 ヨセフとマリヤは、このように自分たちにとって意味のある町にやって来ました。同時にそれは主ご自身の町に帰って来たことでもありました。今日、交読でヨハネ福音書1章を読んだのは、ルカ2:3にある「自分の町に」とヨハネ1章11節の「ご自分のくに」が重なったからです。ヨセフとマリヤがベツレヘムに住民登録のために行ったことには、やはり、もっと大きな意味があったことがここからも裏付けられます。しかも、このヨハネの1章11節をよく読むと「この方はご自分のくにに来られた《のに》」とあり、この「のに」もルカ2:6の「ところが」と同じ意味であることがわかります。そこに住む、ご自分を歓迎してくれるはずの人たちが、いなかったという暗転する意味での「ところが」「のに」であることです。
 
 その残念さ、悲しさが、今日、三つ目のポイントである「ところが」に重なります。6節、7節。
「ところが、彼らがそこにいる間に、マリヤは月が満ちて、男子の初子を産んだ。それで、布にくるんで、飼葉おけに寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。」
 
 身重であることは重々承知。しかし、受け入れてくれる場所がない。つまり、受け入れてくれる人がいないということです。「宿屋には彼らのいる場所がなかったからである」とこれを調べて記録したルカが証言しています。だから、生まれたてのイエス様を寝かせたところが飼葉桶だった。聖書は一言も家畜小屋とは言っていません。でも、この飼葉おけという言葉だけで、そこがどのような場所なのかは想像がつきます。そして、さらにルカは、この宿屋と言う言葉を、客間という意味も持つ言葉を使っています。他に宿屋のみの表わす言葉があるにも関わらずルカは客間の意味も持つ言葉をわざわざ使っているのはどうしてでしょう。ここに書かれている「宿屋」は、最後の晩餐の部屋として使った客間と訳されている言葉と同じ言葉が使われています。
 もし、ここが単に宿屋であるならば、良きサマリヤ人のたとえで、怪我して運ばれたときの宿屋と同じ言葉を使うはずです。でもあえて「客間」という意味もある言葉を使ったのは、おそらく宿屋はもちろん空きがなく、そのほかにも普通の家々をあたったが、一般の家でさえ、その客間すら、彼らのいる場所として提供されなかったということでしょう。それは宿屋だけでない、その他の人の客間も与えられなかった。
 そこにだれからも歓迎されていない、虐げられた貧しい家族の姿、そして、歓迎されていない救い主、神の御子イエス様の姿を見るのです。
 
 でも、ここでもう一度「ところが」を考えたいと思います。それは、7節の「宿屋には彼らのいる場所がなかったからである」のあとに続く「ところが」です。言い換えるならば「しかし」です。このあとに続く「しかし」があるけれどもルカはそれをヨハネに譲っています。それがヨハネ福音書1章12節です。
「しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。」
 そうです。救い主のいる場所がなかったことは実に悲しいです。神様が人となって肉体をとって来られたのに、ご自分の民であるイスラエル人すら受け入れなかった。 
 
しかしそれによって、家畜のいる場所でお生まれになったことすら、神様はご自分の祝福の御手の中に招き入れて、恵みの業として用いるのです。
 
 それは、その家畜といつも暮らしている、この当時に最も「底辺にいた人たち」の心に届けるということです。それは飼葉桶といつも関わっている人。その汚さを汚いなんて思うよりも、その家畜の世話に一生懸命な人たち。その世話のために安息日を守ることができずに、他の人々からが指をさされていた人たち。すなわち、「羊飼いたち」の心の戸を開くために用いられたのでした。
 
 「飼葉おけにに寝ている」ことが、救い主のしるしだと天使に告げられ、そのことをそのまま信じ実行するようになるために、主はご自分に降りかかった、一見、可哀そう、悲しい出来事を、逆に、今、現実に悲しく、虐げられ、蔑まれている人たちの心の戸をたたくノックの音とされたのです。そして、その心を開いて主を受け入れる者たちすべてを、どんな人生を歩んでいた人、過去にどんな闇の歴史を通っていたとしても、信じるすべての人たちを神様の子どもにしてくださるのです。
 
 それは、私たちの主イエスは神の子としてのいのちと引き替えに、私達のすべての罪を負って十字架で死んでくださって、その道を開かれたのでした。御子が十字架でささげてくださったそのいのちを、私たちに与えるためです。
 
 
結び
 今日はクリスマス礼拝です。神の御子が天からこの世に来て下さった。今朝、あらためて、心からお勧めします。まだイエス様を信じていないならば、今日、イエス様をあなたの心にお迎えしましょう。すでに信じている。受け入れていると思っている私たちも、まだ明け渡していない心の隠し部屋があるならば、その部屋を開けて主に入っていただきましょう。まだ癒されていない傷があるならば主に触れていただきましょう。
 そのために主は飼葉おけに寝かせられたのです。主は人間の罪の歴史の中に来られた。あなたの人生の中に来られた。それはあなたを救うためです。もう一度、心を開いて、主をお迎えしましょう。