のりさん牧師のブログ

おもに聖書からのメッセージをお届けします。https://ribenmenonaitobaishikirisutojiaohui.webnode.jp/

「主の名がつけられている」

「地上のすべての国々の民は、あなたに主の名がつけられているのを見て、あなたを恐れよう。

主が、あなたに与えるとあなたの先祖たちに誓われたその地で、主は、あなたの身から生まれる者や家畜の産むものや地の産物を、豊かに恵んでくださる。

主は、その恵みの倉、天を開き、時にかなって雨をあなたの地に与え、あなたのすべての手のわざを祝福される。それであなたは多くの国々に貸すであろうが、借りることはない。」申命記28章10節~12節

 

 今日のみことばは申命記28章1節から14節までですが、最も大切なことは、イスラエルの民が主の命令に聴き従うことです(1,2,9,13節)。それが主の民としての務めであるからです。しかし、前回お話したように、その務めに向かうときに、重要なことは、主が奴隷の国エジプトから救い出してくださったという、恵みを心に刻み、その恵みのゆえに感謝することです。

 務めは義務とも言いますが、その字義的な意味で言うならば、「正しい(義)務め」です。そこには決して、いやいやながら従うという意味はありません。正しいことを務める。それが主の命令に聴き従うことなのです。

 

 そして、今日のみことばは、更にその主の命令に聴き従っていくときに、どのような祝福が更に待っているか、です。そもそも主の民として選ばれて、奴隷の生活から主の民とされただけでも祝福なのに、さらに祝福を与えようとされる主の「追って来る恵み(詩篇23:6)」の力強さを覚えます。

 

その恵みの例として、今日は二つの祝福を味わいたいと思います。

 

まず一つ目は、主はご自分の民にご自分の名をつけられておられるということです。そのために、主の名がつけられた者を、地上のすべての国々の民は恐れる」というのです。主の名がつけられるとは、それが主の所有であることを言っています。それゆえ、他の者たちはその所有物をも恐れるということです。現代のクリスチャンには、「キリスト」という主の名がリアルにつけられています。それは、私たちクリスチャンがキリストのものであるということです。

 

その名がつけられている恵みがどれほど畏れ多く、感謝なことか、今日、ともに味わいましょう。神の御子の名がつけられた尊いこの身分に、心から感謝したいです。

 

そして、二つ目は、主に従う者に主は豊かに恵んでくださるということです。すべての支配者である主に従うということは、この地上での歩みに心配はないということです。それは、私たちが主を信じ、そのみことばに聴き従うならば、私たちの人生が天に繋がる人生となるからです。天に繋がる人生とは、ヤコブが石を枕に夢を見た、あの天から地に向かって立てられたあの梯子が私たちの人生に置かれることです。

 

それは主が開いてくださる「恵みの倉、天」からの豊かな恵みを日々受けることを意味しています。そして、その大いなる恵み、追って来るほどの豊かな恵みは、自分だけのものではなく、「多くの国々に貸すであろう」と言われるほどに、他に分け与えていく人生であるということです。その「貸す」ということも、聖書的に見るならば、ヨベルの年を見通して、実は「与える」ことです。

 

私たちの人生は、「受けるよりも与える」ものに変えられるのです。それが、主の民、主のみことばに聴き従う者としての務めだからです。その務めは決して、後ろ向きな気持ちになるようなものではありません。なぜならば、まず主は、私たちに恵みを与えてくださって、その応答として、聴き従うことを求めておられるからです。愛する者を大切にするために主はそのように、恵みの上にさらに恵みを与えようと待っておられます。

きょう、あらためて、受けている恵みの偉大さ、御子のいのちがささげられた愛の深さ、広さ、高さに感謝したいと思います。私たちを罪の奴隷から神のこどもにしてくださった、その大きな恵みに応えてまいりましょう。

 

主はあなたに主の名をつけられ、あなたをこれからのちも豊かに祝福しようと待っておられます。