のりさん牧師のブログ

おもに聖書からのメッセージをお届けします。https://ribenmenonaitobaishikirisutojiaohui.webnode.jp/

受難節 第8号 木曜日

●テサロニケ人への手紙 第一
3章
1,そこで、私たちはもはや耐えきれなくなり、私たちだけがアテネに残ることにして、
2,私たちの兄弟であり、キリストの福音を伝える神の同労者であるテモテを遣わしたのです。あなたがたを信仰において強め励まし、
3,このような苦難の中にあっても、だれも動揺することがないようにするためでした。あなたがた自身が知っているとおり、私たちはこのような苦難にあうように定められているのです。
4,あなたがたのところにいたとき、私たちは前もって、苦難にあうようになると言っておいたのですが、あなたがたが知っているとおり、それは事実となりました。
5,そういうわけで、私ももはや耐えられなくなって、あなたがたの信仰の様子を知るために、テモテを遣わしたのです。それは、誘惑する者があなたがたを誘惑して、私たちの労苦が無駄にならないようにするためでした。
6,ところが今、テモテがあなたがたのところから私たちのもとに帰って来て、あなたがたの信仰と愛について良い知らせを伝えてくれました。また、あなたがたが私たちのことを、いつも好意をもって思い起こし、私たちがあなたがたに会いたいと思っているように、あなたがたも私たちに会いたがっていることを知らせてくれました。
7,こういうわけで、兄弟たち。私たちはあらゆる苦悩と苦難のうちにありながら、あなたがたのことでは慰めを受けました。あなたがたの信仰による慰めです。
8,あなたがたが主にあって堅く立っているなら、今、私たちの心は生き返るからです。
9,あなたがたのことで、どれほどの感謝を神におささげできるでしょうか。神の御前であなたがたのことを喜んでいる、そのすべての喜びのゆえに。
10,私たちは、あなたがたの顔を見て、あなたがたの信仰で不足しているものを補うことができるようにと、夜昼、熱心に祈っています。
11,どうか、私たちの父である神ご自身と、私たちの主イエスが、私たちの道を開いて、あなたがたのところに行かせてくださいますように。
12,私たちがあなたがたを愛しているように、あなたがたの互いに対する愛を、またすべての人に対する愛を、主が豊かにし、あふれさせてくださいますように。
13,そして、あなたがたの心を強めて、私たちの主イエスがご自分のすべての聖徒たちとともに来られるときに、私たちの父である神の御前で、聖であり、責められるところのない者としてくださいますように。アーメン。

 

《メッセージ》

高慢とは神ではなく自分が主人になって生きることです。神の恵みは私の悩みに無力だと、この世の苦しみには助けにならないと思って、神がおられないかのように生きることです。高ぶるからこそ世の友となり、神の敵になってしまいます。それは私たちのことです。

「手」は行いのこと、「心」は考えや思いのことでしょう。手を清め、心を清める。それは神に降伏するということです。

 

思いにおいても、言葉においても、行いにおいても、神なしに生きてしまうことを悲しみながら、神に降伏しましょう。

 

「主よ。私の中に入り、私の王座についてください」と祈りましょう。

 

《祈り》

主よ

友のために自分の命を捨てること、

これ以上に大きな愛はないと

あなたは教えてくださいました。

しかし、あなたの愛はもっと大いなるものでした。

あなたは敵のために自分の命を捨ててしまわれたからです。

私たちが敵であったときに

あなたはご自分の死によって

私たちをご自分と和解させてくださいました。

このような愛が、かつて他にあったでしょうか。

これからもあり得るでしょうか。

あなたは不正な者のために、

不正な仕打ちに耐えてくださいました。

あなたは罪深い者のために、罪人らの手で死なれました。

あなたは虐げられている者を自由にするために

ご自分は奴隷となってしまわれました。

 

どうぞ主よ

私の心にお入りください。

 

(クレルヴォーのベルナルドゥスの祈り 1090〜1153年)