のりさん牧師のブログ

おもに聖書からのメッセージをお届けします。https://ribenmenonaitobaishikirisutojiaohui.webnode.jp/

受難節 第9日 金曜日

●ヘブル人への手紙 2章10~18節

"多くの子たちを栄光に導くために、彼らの救いの創始者を多くの苦しみを通して完全な者とされたのは、万物の存在の目的であり、また原因でもある神に、ふさわしいことであったのです。
聖とする方も、聖とされる者たちも、みな一人の方から出ています。それゆえ、イエスは彼らを兄弟と呼ぶことを恥とせずに、こう言われます。
「わたしは、あなたの御名を兄弟たちに語り告げ、会衆の中であなたを賛美しよう。」
また、「わたしはこの方に信頼を置く」と言い、さらに、「見よ。わたしと、神がわたしに下さった子たち」と言われます。
そういうわけで、子たちがみな血と肉を持っているので、イエスもまた同じように、それらのものをお持ちになりました。それは、死の力を持つ者、すなわち、悪魔をご自分の死によって滅ぼし、
死の恐怖によって一生涯奴隷としてつながれていた人々を解放するためでした。
当然ながら、イエスは御使いたちを助け出すのではなく、アブラハムの子孫を助け出してくださるのです。
したがって、神に関わる事柄について、あわれみ深い、忠実な大祭司となるために、イエスはすべての点で兄弟たちと同じようにならなければなりませんでした。それで民の罪の宥めがなされたのです。
エスは、自ら試みを受けて苦しまれたからこそ、試みられている者たちを助けることができるのです。"

《メッセージ》

主イエスは死の苦しみのゆえに栄光と栄誉の冠を授けられました。数々の苦しみを通して完全な者とされました。一般的に王の誉れとは、苦しみや惨めさではありえず、威厳を持ち、人々を服従させることでしょう。

しかし、主イエスの誉れは、人間になり苦しむこと、そして死ぬことでした。

主イエスは、苦しんで死んでいく人を見つめます。戦果の中で涙を流している人を見つめます。生活に追われて生きる目標を失っている人、孤独の中で死を目の前にしている人を見つめます。食べるものがなくて死んでいく子どもたちを見つめます。

主イエスも共に苦しみ、その痛み、孤独、悩み、悲しみ、惨めさを共に負っているのです。しかし、そればかりではなく、これまで私たちが神を知らずに歩んでいた罪さえも負って、十字架の道を歩まれました。

それこそ、主イエスの誉れなのです。

 

《祈り》

感謝いたします。

イエス・キリストよ。

私たちにお与えくださった、すべての恵みのゆえに。

私たちのために耐えてくださった、すべての痛みと辱めのゆえに。

 

憐れみに満ちた贖い主よ。

私たちの友にして、兄弟なるキリストよ。

私たちが、

もっと確かにあなたを知ることができますように。

もっと熱くあなたを愛することができますように。

もっと忠実にあなたに従うことができますように。

(チチェスターのリチャードの祈り 1197〜1253年)