のりさん牧師のブログ

おもに聖書からのメッセージをお届けします。https://ribenmenonaitobaishikirisutojiaohui.webnode.jp/

主は…王の心に起こさせ

"私たちの父祖の神、主がほめたたえられますように。

 

主はエルサレムにある主の宮に栄光を与えるために、このようなことを王の心に起こさせ、王とその顧問と、王の有力な高官すべての前で私に恵みを得させてくださった。

 

私の神、主の御手が私の上にあったので、私は奮い立って、一緒に上るイスラエル人のかしらたちを集めることができた。"
エズラ記 7章27~28節

 

私たちの人生には、実に様々な出来事が起こります。幸せに過ごしていたと思ったら、テロにあったかのような電撃的に打ちのめされるような事が起こることもしばしばではないでしょうか。

 

そんなとき、一瞬、神様を見失いそうになります。目の前の出来事に心が折れ、なかなか、目を上に上げる勇気すら失ってしまいます。

 

しかし、私たちの神様は、すべてご存知であり、そのように目の前の出来事に翻弄されている小さき者の上に、その強き御手を置いていてくださるのです。

 

エズラもバビロン捕囚からエルサレムへ帰還し主の宮を再建する事業にとりかかるという大きな使命を受けていましたが、実際には、それが本当にできるのか不安があったのではないでしょうか。

 

しかし、神様の御手が自分の上にあることを覚えずにはいられなくなりました。それは、その大変な事業のために、何とペルシャのアルタクセルクセス王自身が、ユダヤ人のために大きな決断をし、帰還するユダヤ人たちのために行動したという奇蹟を目の当たりにしたからです。

他国、しかも支配国の王が、世界で最も小さい民族のために一肌もニ肌も脱ぐという命令が下されたことは、これは神業であると確信したのです。

 

エズラの目には、王がそのように良くしてくださったというよりも、「主が」王の心にユダヤ人のために力を尽くす心を起こさせたと理解していたのです。

 

私たちも今日、このエズラの目を持ちたいと思います。世の中の出来事、自分の周りでの出来事は、確かに神様とは真逆の方向に進んでいるように思えるかも知れません。もしかしたら、あなたの心を挫くような出来事が起こっているかも知れません。

 

しかし、神様の御手は信じるあなたの上にあるのです。その御手は決して無力ではありません。信じて余りある全能の御手です。その御手を信じ、神様のご支配を覚えるとき、私たちの歩みの主語が変わります。

 

私が、あの人が、このことが、あのことが、と、思っていたところから、神様が、という思いに変えられるとき、そこに人生の革命が起きます。

 

神様が主語になるならば、必ず、これまで「起きてしまった」偶然と思われていたことが神様の介入にある必然として、「させられている」、「してくださった」と、神の御手の業として見ることができるのです。

 

今日も、あなたを愛してやまない神様の御手がともにあることに信頼してまいりましょう。