サムエル記 第一 8章1~22節
**導入**
皆さん、こんにちは。今日はサムエル記第一8章1~22節から、「王を求める基準」というテーマで共に御言葉に耳を傾けたいと思います。この箇所は、イスラエルの民が初めて王を求めた場面です。しかし、彼らの求め方や動機には、私たちが学ぶべき重要な教訓が隠されています。私たちは何かを求める時、何を基準に選び、決定しているでしょうか。神の御心と一致する基準を持つことがどれほど大切か、一緒に考えてみましょう。
**1. 背景:サムエルの息子たちの失敗(1~3節)**
この物語は、サムエルが年老いた時に始まります。サムエルは預言者であり、さばきつかさとしてイスラエルを導いてきましたが、自分の息子たちを後継者として任命します。しかし、長男ヨエルと次男アビヤは父の道を歩まず、賄賂を受け取り、さばきを曲げるような不正を行いました。ここに最初の問題があります。指導者の失敗が、民の心に不安と不満を生んだのです。
私たちの社会でも、リーダーの不正や失敗が人々の信頼を失わせ、変革を求める声が上がることがあります。しかし、問題は、その不満がどこに向かうかです。イスラエルの民は、神に信頼を置くよりも別の解決策を求めてしまいました。
**2. 民の要求:王を求める動機(4~5節)**
長老たちはサムエルのもとに集まり、こう言います。「あなたはお年を召し、ご子息たちはあなたの道を歩んでいません。どうか今、ほかのすべての国民のように、私たちをさばく王を立ててください。」彼らの動機は二つあります。一つは、現状への不満。そしてもう一つは、「ほかの国民のようになりたい」という比較心です。
ここに、私たちが注意すべき点があります。彼らは神の導きを求める前に、周りの国々と自分たちを比べてしまいました。私たちも同じ過ちを犯すことがあります。SNSや周囲の人と比べて、「もっと良いもの」「もっと楽な道」を求めてしまうことはないでしょうか。しかし、他者を基準にすると、真の平安や満足は得られません。民の要求は、自分たちの必要よりも世俗的な憧れに突き動かされていたのです。
**3. 神の応答と警告(6~9節、10~18節)**
サムエルの目には、この要求が悪しきものに映りました。彼は主に祈り、主は驚くべき答えを与えます。「民の声を聞き入れなさい。彼らが拒んだのはあなたではなく、わたしが王として彼らを治めることを拒んだのだ。」神は、民の心が既に神から離れていることを明らかにされます。それでも、神は彼らの自由意志を尊重し、王を立てることを許します。
しかし、神はサムエルを通して王の「権利」を警告します。息子や娘が徴用され、財産が奪われ、奴隷のようになると告げます。これは、王を求めることが必ずしも彼らの期待通りにならないことを示しています。私たちも、自分の望むものを手に入れた時、それが本当に祝福となるのか、慎重に考える必要があります。神の警告を無視すると、後に悔やむ結果を招くのです。
**4. 民の頑なさと結果(19~22節)**
驚くべきことに、民は神の警告を聞いても心を変えませんでした。「いや、どうしても王が必要です」と言い張り、「他の国民のようになりたい」と繰り返します。彼らの耳は閉ざされ、心は頑なでした。そして神は、「彼らの言うことを聞き、彼らのために王を立てなさい」とサムエルに命じます。
ここで、私たちは神の忍耐と愛を見ます。神は民の選択を強制せず、彼らが選んだ道を歩ませます。しかし、その選択には代償が伴います。後にイスラエルの歴史を見ると、彼らが求めた王制は多くの苦難をもたらしました。私たちの選択も同様です。神の御心を離れた基準で何かを求めるとき、短期的な満足は得られても、長期的な喜びを失う危険があります。
**5. 適用:私たちの「王を求める基準」とは**
この箇所から、私たちは何を学ぶことができるでしょうか。人生の中で、私たちは多くの「王」―リーダー、目標、価値観―を求めます。その基準がどこにあるかが重要です。
- **神の御心を第一に求める**
イスラエルの民は神に相談する前に自分たちの欲求を優先しました。私たちはどうでしょうか。祈りの中で神の導きを求めていますか。詩篇37篇4節に「主をおのれの喜びとせよ。主はあなたの心の願いをかなえてくださる」とあります。神を喜びとする時、私たちの求めるものが神の御心と一致します。
- **比較ではなく信仰に立つ**
民は「ほかの国民のようになりたい」と求めました。しかし、神はイスラエルを特別な民として選ばれていました(出エジプト19:5-6)。私たちも、神が与えた独自の召しと祝福に目を向けるべきです。他者との比較は、不満と焦りを生むだけです。
- **結果を考え、警告に耳を傾ける**
神の警告を無視した民は、後に苦しみを味わいました。私たちも、聖書の教えや周囲の忠告に耳を傾け、長期的な視点で決断を下す知恵が必要です。
**結論**
愛する皆さん、私たちが何かを求めるとき、その基準はどこにありますか。イスラエルの民は、神を王とする道を捨て、人間の王を求めました。しかし、新約聖書は、イエス・キリストこそが真の王であると告げます(ヨハネ18:36)。キリストを人生の王とし、御心を基準とするなら、私たちは真の平安と祝福の中を歩むことができます。
今日、あなたが求めている「王」は何でしょうか。それが神の御心と一致しているか、祈りの中で見極めてください。そして、イエス・キリストをあなたの王として迎え入れ、その導きに従う決心を新たにしましょう。神の恵みが皆さんに豊かにありますように。お祈りいたします。
**お祈り**
天の父なる神様、あなたの御言葉を感謝します。私たちが何かを求めるとき、御心を第一とする信仰を与えてください。比較や世の基準に流されず、あなたの愛と真実の中に立つことができますように。イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。