のりさん牧師のブログ

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◎「セムからアブラハムへ」創世記11章10~26節

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2018年11月18日 白石教会礼拝   説教題 「セムからアブラハムへ」
聖書箇所 創世記11章10~26節

 

序論
  天地創造から始まった人類の歴史は、神様のことばに逆らってから、呪いが始まりました。その呪いによって人間は死ぬようになり、被造物もその影響を受けて人間に逆らうものとなっていきました。また病気や災害が起るようになりました。その後まもなく人間は堕落しました。そこに大洪水という災害を通して神様のさばきがあったことを見てきました。しかし洪水後は新しい世界としてノアの息子たちセム、ハム、ヤペテから祝福が広がっていくことが神様の御心だった。そのことを知りました。
 そのような、これまでの聖書の流れの中で、系図はどういう意味を持っていたのでしょうか。
  これまで創世記では、アダムの歴史、ノアの歴史、セム、ハム、ヤペテの歴史と区分されてきました。今日は更に、その中でもセムの歴史に絞ってお話が進む箇所です。この系図は、ある意味特別な系図になっています。それは、これまでのアダムの系図とは少しずつ変更があるということです。たとえば寿命が短くなってきていること。また、もう一つは「こうして彼は死んだ」という言葉がないことです。その理由は何か。この系図は何を私たちに語っているのか。その問いをもって聴いていきたいと思います。
  それで今日も二つに区切ります。一つは10~19節「セムからペレグ」、二つ目は20~26節「レウからハラン」です。またもカタカナばかりで集中しにくいかも知れませんが、ここも神のことばですので、しっかりと漏らさないように御心に聴いていきたいと思います。

 

1.セムからペレグ(10~18節)
 まず10~18節を読みます。
「これはセムの歴史である。セムは百歳のとき、すなわち大洪水の二年後にアルパクシャデを生んだ。セムはアルパクシャデを生んで後、五百年生き、息子、娘たちを生んだ。アルパクシャデは三十五年生きて、シェラフを生んだ。アルパクシャデはシェラフを生んで後、四百三年生き、息子、娘たちを生んだ。シェラフは三十年生きて、エベルを生んだ。シェラフはエベルを生んで後、四百三年生き、息子、娘たちを生んだ。エベルは三十四年生きて、ペレグを生んだ。エベルはペレグを生んで後、四百三十年生き、息子、娘たちを生んだ。 ペレグは三十年生きて、レウを生んだ。ペレグはレウを生んで後、二百九年生き、息子、娘たちを生んだ。」
 なぜここで分けたのかわかるでしょうか。それは、前々回のセム、ハム、ヤペテ系図のときに、既に出て来た名前だからです。
10章の22~25節をお読みします。
セムの子孫はエラム、アシュル、アルパクシャデ、ルデ、アラム。アラムの子孫はウツ、フル、ゲテル、マシュ。アルパクシャデはシェラフを生み、シェラフはエベルを生んだ。エベルにはふたりの男の子が生まれ、ひとりの名はペレグであった。彼の時代に地が分けられたからである。もうひとりの兄弟の名はヨクタンであった。」
 今日の箇所は「セムの歴史である」と始まっていますが、10章の系図を見るとセムには5人の子どもがいたことがわかります。しかし、その中でもアルパクシャデの系統だけが今日の箇所でセムの歴史と言われているのです。なぜアルパクシャデの系統に絞られているかお分かりでしょうか。その答えは一つ。この系図の最後を見ると分かります。26節を読みましょう。
「テラは七十年生きて、アブラムとナホルとハランを生んだ。」
 最後はアブラムとナホルとハランの兄弟です。つまり言いたいことは、アブラムに繋がるための系図だということです。アブラムはこのあとで神様によってアブラハムと名前が変わりますが、このアブラハムに到達するために、このセムの歴史が書かれているということです。そして、このアブラハムからイサクが生まれ、イサクからエサウヤコブが生まれ、ヤコブから12人の息子たちが生まれました。その12人の息子たちからイスラエル民族が生まれました。
 このアブラハムへの神様の祝福を受け継いだセムの歴史だということです。つまりアブラハムを中心に、祝福が過去にまで遡り、逆に未来にも広がっていくのです。そして実際にここに書かれている人々がどんな生き方をしたのかはこの系図だけでは見えてきません。しかし、ここまでの系図を振り返って読んでみると、ここで伝えようとしていることは何かを知ることができます。
 まず注目できることは、冒頭でも言いましたが、寿命が徐々に短くなってきていることです。
  もともと罪を犯してから死が入ってきましたが、寿命は900歳くらいでした。アダムも930歳まで生きたと5章のアダムの歴史を見ると書いています。しかし、今日の箇所を見ると、セムが602歳、アルパクシャデが438歳・・・・そしてテラが205歳です。アブラハムが175歳(創世記25:7)です。どうして寿命が短くなってきたのでしょうか。このことを裏付ける聖書のことばが今までの創世記の学びの中で出てきましたが、どこか覚えていますか。
 それは6章3節にありました。お読みします。
「そこで、主は、「わたしの霊は、永久には人のうちにとどまらないであろう。それは人が肉にすぎないからだ。それで人の齢は、百二十年にしよう。」と仰せられた。」
 神様は人間の堕落ぶりをご覧になって寿命を120年にしようと仰せられました。そのときから寿命が短くなっていったと考えられます。しかし、ノアの大洪水があって一旦人口が8人になったので、急に120歳にすることはなさらなかったようです。そうでないと人間が世界中に広がる前に絶滅するかも知れません。
 現代は120年という寿命は納得できます。現代は医学の発展で病気になりにくいかたちで本来の寿命がはっきりしてきました。100歳以上の高齢者は日本では、昭和38年では153人しかいなかったのに現在は6万9千人以上いるそうです。
 それでもだいたいが120歳くらいで亡くなるのは、神様がそのようにお決めになったことが果されているということではないでしょうか。もう誰も900歳まで生きることができなくなりました。ですからセムの子孫の系図を見るときに、祝福を受け継いだ一族だと言いつつも、罪の呪いである死とその影響は等しく受けているということです。
 このことは、現代のセムの子孫とも言える私たちクリスチャンにも適用できます。
  私たちはイエス様を信じて罪が赦されて神の子どもにされました。しかし、必ず肉体の死は訪れます。それが、全員が老衰で死ぬわけではありません。事故や病気で亡くなる方や、時には誰かから殺されて亡くなる場合もあります。つまり、まだ信仰を持っていない方と何も変わらない。ある意味、みんな様々なかたちで等しく死ぬのです。
  では何が祝福なのでしょうか。何が恵みなのでしょうか。この地上において、神の民は苦しいだけなのでしょうか。正直者が馬鹿を見るということなのでしょうか。
そうではありません。次を見ましょう。

 

2.レウからハラン(19~26)
 続いて19~26節を読みます。
「ペレグはレウを生んで後、二百九年生き、息子、娘たちを生んだ。レウは三十二年生きて、セルグを生んだ。レウはセルグを生んで後、二百七年生き、息子、娘たちを生んだ。セルグは三十年生きて、ナホルを生んだ。セルグはナホルを生んで後、二百年生き、息子、娘たちを生んだ。ナホルは二十九年生きて、テラを生んだ。ナホルはテラを生んで後、百十九年生き、息子、娘たちを生んだ。テラは七十年生きて、アブラムとナホルとハランを生んだ。」
 さてセム系図の後半からですが、前半との違いは何かわかるでしょうか。前半は、10章で既に名前が出て来た人たちでした。ですから、後半でまず言えることは、知らない人ばっかりだということです。つまりある意味だれからも知られていないということです。最後のアブラムは有名人ですが、他の人たちはよく知りません。実は、前半に出て来た人たちすら誰なのかはわかりません。
 しかし、聖書に名前が記されているのです。どういう人か、どういう生き方をしていたのか全くわかりません。しかし、わかることは、この人たち一人ひとりが確かに、この地上に生きていたということです。そして、この祝福のセムの一族の中にいたという事実であります。
 それは神のことばとして何を伝えようとしているのでしょうか。それは、主は、私たち一人ひとりの名前を呼び、一人ひとりを大切にしているよ。その存在だけで尊いよ。たとえ親があなたを捨てても、友達があなたのことをないがしろにしても、あなたの天の父であるわたしはあなたを忘れず、あなたを祝福するよ。
 それがここにある主のメッセージではないでしょうか。今週のみことばは、まさに神様のあなたに対する愛のメッセージです。イザヤ49:15
「女が自分の乳飲み子を忘れようか。自分の胎の子をあわれまないだろうか。たとい、女たちが忘れても、このわたしはあなたを忘れない。」
 お母さんは赤ちゃんを自分以上に大事にします。お腹にいるときから、産んでからも心を注いで愛します。しかし、仮にあなたにとって守ってくれる、愛してくれる存在があなたを忘れても、見捨てても、「このわたし」主はあなたを忘れない。絶対に覚えていると。一人ぼっちにしないよ。あなたを愛している。祝福しているよと言ってくださるのです。
 今日の系図はアダムの系図のときとは少し違うとメッセージの冒頭で言いました。その一つは寿命が短くなっているということでした。その理由は先程言ったとおり、罪の呪いである死が更に人間の堕落のせいで、神様によって短くされたからだと学びました。

そして、もう一つの違いは何でしょうか。それは「こうして彼は死んだ」というフレーズが消えていることです。これは何を意味しているのでしょうか。
 全部は読みませんが、アダムの系図がある5章5節を読みましょう。
「アダムは全部で930年生きた。こうして彼は死んだ」
 この「こうして彼は死んだ」という言葉が実は、9章29節のノアまで全部「こうして彼は死んだ」と繰り返されているのです。
 セム一族も確かに罪の性質を持った人間であり、義人でも善人でもありません。だから、他の人間と同様に同じように死んでいきます。しかし、今日のセム系図では、あえて「こうして彼は死んだ」ということを言わずに、名の知れない人たちの名簿が残っているのです。ここに、このセム一族から起る救いに大きな希望を抱かせます。「こうして死んだ」とは言わないということは、逆に「生きて・・・生んだ」ということばが残るということです。それは言い換えると、いのちに繋がることばが浮き出るということです。つまり、罪の呪いで死ぬ者ではなく、むしろ、そこに罪人を生かそうとする神の御心が透けて見えるのです。今日の11章11~26節を原語(ヘブル語)で読むと、冒頭の言葉が全部「そして生きた」と書いてあるのです。
 アダムの系図は「こうして彼は死んだ」と罪の呪いを受けた現実を訴えています。しかし、それに対してセム系図は「そして、生きた」という、いのちの始まりを賛美しているのです。

 

結論
 神様は人間の救いのためにセムの一族を祝福し、その子孫から出るアブラハムに焦点を絞ってここまで、この創世記の学びを導いてくださいました。その節目となる今日、神様はこのセム系図を通して、私たちに何をお語りになったでしょうか。
 それは、第一に、私たちのような名の知れない者をも忘れないという神様の憐れみがここにあるということです。この系図にある人たちは日本人である私たちにとっては益々知らない人たちの名簿です。しかし、この名簿は私たちの名簿でもあるのです。名の知れない東の国の日本と言う小さな島国の北海道という更に小さな島の住民である私を、そしてあなたを神様は忘れない。あなたの親があなたを捨てても主はあなたを愛し祝福しようと、この系図にあなたの名前も刻まれているのです。
 第二には、そういう名の知れない私たちを神様は、死ぬものから生きるものへと変えてくださるということです。アダムの子孫はみんな「こうして彼は死んだ」と呪いを受けなければなりませんでした。しかし、今や、このセムの子孫として生まれてくださった主イエス・キリストによって、このイエス様を信じる私たちはこのセム系図に入れられたのです。「そして生きた」と新しいいのちを受け継ぐものとして召してくださったのです。
 イエス様は言われました。(ヨハネ5:24)
「まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしのことばを聞いて、わたしを遣わした方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきに会うことがなく、死からいのちに移っているのです。」
 今週もセムの祝福の系図に招かれている恵みを味わい、呪いを受けて死ぬものではく「生きるもの」として歩みたいと思います。そして更に自分が生きるだけでなく、あなたの隣人を「生かすもの」として歩んでまいりましょう。聖書は繰り返し強調します。「そして生きた」「生きて、生んだ」と。


祈り みことばを感謝いたします。創世記から約8ヶ月あなたのみことばに聞いてまいりました。今、私たちは主イエスのゆえに祝福の系図に連なるものとして招き入れられている恵みを感謝します。どうぞ、あなたのいのちに生かされて、さらに多くの人々をも生かす歩みができるように導いてください。今日、ともに礼拝できなかった方々の上にもあなたの祝福がありますように。主の御名によって祈ります。

 

(牧師:川﨑憲久)