(写真:映画"Passion"より)
申命記8章2〜10節
"あなたの神、主がこの四十年の間、荒野であなたを歩ませられたすべての道を覚えていなければならない。それは、あなたを苦しめて、あなたを試し、あなたがその命令を守るかどうか、あなたの心のうちにあるものを知るためであった。
それで主はあなたを苦しめ、飢えさせて、あなたも知らず、あなたの父祖たちも知らなかったマナを食べさせてくださった。それは、人はパンだけで生きるのではなく、人は主の御口から出るすべてのことばで生きるということを、あなたに分からせるためであった。
この四十年の間、あなたの衣服はすり切れず、あなたの足は腫れなかった。
あなたは、人がその子を訓練するように、あなたの神、主があなたを訓練されることを知らなければならない。
あなたの神、主の命令を守って主の道に歩み、主を恐れなさい。
あなたの神、主があなたを良い地に導き入れようとしておられるからである。そこは、谷間と山に湧き出る水の流れや、泉と深い淵のある地、
小麦、大麦、ぶどう、いちじく、ざくろのある地、オリーブ油と蜜のある地である。
そこは、あなたが不自由なくパンを食べ、何一つ足りないものがない地であり、そこの石は鉄で、その山々からは銅を掘り出すことのできる地である。
あなたが食べて満ち足りたとき、主がお与えくださった良い地について、あなたの神、主をほめたたえなければならない。"
"イエスは彼らに答えられた。「まことに、まことに、あなたがたに言います。あなたがたがわたしを捜しているのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したからです。
なくなってしまう食べ物のためではなく、いつまでもなくならない、永遠のいのちに至る食べ物のために働きなさい。それは、人の子が与える食べ物です。この人の子に、神である父が証印を押されたのです。」
すると、彼らはイエスに言った。「神のわざを行うためには、何をすべきでしょうか。」
イエスは答えられた。「神が遣わした者をあなたがたが信じること、それが神のわざです。」
それで、彼らはイエスに言った。「それでは、私たちが見てあなたを信じられるように、どんなしるしを行われるのですか。何をしてくださいますか。
私たちの先祖は、荒野でマナを食べました。『神は彼らに、食べ物として天からのパンを与えられた』と書いてあるとおりです。」
それで、イエスは彼らに言われた。「まことに、まことに、あなたがたに言います。モーセがあなたがたに天からのパンを与えたのではありません。わたしの父が、あなたがたに天からのまことのパンを与えてくださるのです。
神のパンは、天から下って来て、世にいのちを与えるものなのです。」
そこで、彼らはイエスに言った。「主よ、そのパンをいつも私たちにお与えください。」
イエスは言われた。「わたしがいのちのパンです。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。"
私たちは食べ物さえあれば生きることができると思います。しかし、それはとんでもない思い違いです。神の語りかけを聞き、神に応え、神との交わりを持つことなしには、本当に生きることはできません。
永遠の神のことばが人となりました。この方こそ命のパンです。パンは取って食されるものです。この方はご自分を丸ごと私たちに食べさせ、与え尽くしてくださいました。それは神のことばを私たちの魂にまで届けるためです。神のことばが私たちのうちにとどまるようになるためです。
主の晩餐はこのことを、私たちの目で、鼻で、舌で、手で味わわせてくださいます。
主よ、あなたご自身を受け取らせてください。
【祈り】
①日本聖公会祈祷書より。
「恵深い父なる神よ。
御子は、すべての人のまことの命のパンとなるために、天からこの世に降られました。
どうか、この命のパンによって私たちを養い、常に主が私たちのうちに生き、
私たちが主のうちに生きられるようにしてください。」
②The Prayer Book 1928より
「神よ。
あなたは、聖なる御子のご受難によって
恥ずべき死を
私たちのための命と平和の手段となさいました。
キリストの十字架をほめたたえるために、
私たちが恥と不利益とを喜んで忍ぶことができますように。
〈参考文献〉小泉 健著『十字架への道(受難節の黙想と祈り)』p.60〜p.61