のりさん牧師のブログ

おもに聖書からのメッセージをお届けします。https://ribenmenonaitobaishikirisutojiaohui.webnode.jp/

2020年7月22日(水)きょうのみことば

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ルカの福音書 11章1~13節

"さて、イエスはある場所で祈っておられた。祈りが終わると、弟子の一人がイエスに言った。「主よ。ヨハネが弟子たちに教えたように、私たちにも祈りを教えてください。」
そこでイエスは彼らに言われた。「祈るときには、こう言いなさい。『父よ、御名が聖なるものとされますように。御国が来ますように。
私たちの日ごとの糧を、毎日お与えください。
私たちの罪をお赦しください。私たちも私たちに負い目のある者をみな赦します。私たちを試みにあわせないでください。』」
また、イエスはこう言われた。「あなたがたのうちのだれかに友だちがいて、その人のところに真夜中に行き、次のように言ったとします。『友よ、パンを三つ貸してくれないか。
友人が旅の途中、私のところに来たのだが、出してやるものがないのだ。』
すると、その友だちは家の中からこう答えるでしょう。『面倒をかけないでほしい。もう戸を閉めてしまったし、子どもたちも私と一緒に床に入っている。起きて、何かをあげることはできない。』
あなたがたに言います。この人は、友だちだからというだけでは、起きて何かをあげることはしないでしょう。しかし、友だちのしつこさのゆえなら起き上がり、必要なものを何でもあげるでしょう。
ですから、あなたがたに言います。求めなさい。そうすれば与えられます。探しなさい。そうすれば見出します。たたきなさい。そうすれば開かれます。
だれでも、求める者は手に入れ、探す者は見出し、たたく者には開かれます。
あなたがたの中で、子どもが魚を求めているのに、魚の代わりに蛇を与えるような父親がいるでしょうか。
卵を求めているのに、サソリを与えるような父親がいるでしょうか。
ですから、あなたがたは悪い者であっても、自分の子どもたちには良いものを与えることを知っています。それならなおのこと、天の父はご自分に求める者たちに聖霊を与えてくださいます。」"

  よく手紙の中で、ご健勝を祈りますとか、ご多幸を祈りますとか、あなたのために祈ってますよという表現を使います。でも、果たして、どれくらいの人が本当に祈っているでしょうか。

 しかも何に対して祈っているのでしょうか。対象ははっきりしてはいないが、とにかく願っているというのが本当ではないでしょうか。

 しかし、聖書は祈る対象である神を示し、祈りとは何かという問いにも明確に答えています。聖書では、祈りとは単なる願いというだけでなく、神との交わりであり、会話です。

 だから主イエスは、きょうの箇所で、多くの祈りが形式的であったり、宗教行為、儀式的な動作だけになっていた当時のユダヤ社会に、そして現代の私たちにも、本来の祈りについて説いています。

 特にきょうのみことばは、祈りとは私たちの願いどおりになるためのものではなく、その求めるべきものは聖霊が与えられることであるとはっきりと教えています。

「ですから、あなたがたは悪い者であっても、自分の子どもたちには良いものを与えることを知っています。それならなおのこと、天の父はご自分に求める者たちに聖霊を与えてくださいます。」

  私たちはつい自分のことばかり願いがちであり、そこに立ち続けている限り、祈りとは何なのかがわかりません。それは、神は霊なるお方ですから、神と交わるとき、つまり祈るときは御霊と真理によって交わらなければならないからです。

 この聖霊の助けの中で祈るからこそ、そこに御霊の交わりが起こるのです。その聖霊によって交わるときに、私たちの内側は喜びに満たされます。そこから生まれる神への感謝と賛美がすなわち祈りで最も大切な要素です。

 あなたは、きょう主の前にどんな祈りをささげているでしょうか。その祈りの本質とは、祈る相手である神と会話することです。生きた交わりをすることです。

 そのために聖霊を求めるのです。それは、私たちが神に願うどんなものよりも崇高で尊く、優れた願いです。世間の友人だって、真夜中にパンを恵んでほしいとしつこく頼み続けるならば、そうしてくれるだろう。ましてや、私たちの天の父が、子どもであるあなたが、また私が願っているものをくださらないことがあろうか。その求めているものが聖霊ならば、天の父は喜んで与えてくださり、あなたが神の子どもとして、この世で生きるために必要な力を聖霊の助けの中で得ることができるのです。

 この世は、私たちを罪に誘い、神のことばから遠ざけようとします。だからこそ、祈りましょう。神と交わりましょう。そこから、聖霊の助けをいただきましょう。

 きょうも、罪に汚れた歩みから、神の愛ときよさに溢れた歩みへ、死からいのちへと移らせてくださる歩みへと造り変えていただくために、神との交わりを大切にしていきたいと思います。

"主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがたすべてとともにありますように。"
コリント人への手紙 第二 13章13節